OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

おが丸の航跡 : 「2009硫黄島を離れる前 小笠原丸での島一周」 への追加

2009年07月24日 | 硫黄島・小笠原村
今年の硫黄島を離れて父島に向かう時の、硫黄島一周の様子は、
既に、虹やスコールの写真なの、紹介しました。

日食の中継映像をご覧になった方から、
「空の色がきれい。」「海の色がきれい」というコメントがありました。
さらに、小笠原丸の日食ツアー大成功というご報告もありましたので、
この写真を紹介させていただくことにしました。


小笠原丸の航跡を見て、「こんなに急な曲がり方で、周っているんだ。おが丸は大きいのに小回りきくんだな。」と思いながら今年撮影した写真です。

左端にぽつんと小さく擂鉢山が見えます。
沈船群を前にした釜岩沖の繋留場所から動き始めて、
監獄岩沖を周って北側に進路を向けた辺りです。
正面に島を見ると、慰霊祭会場だった平和祈念旧島民墓地公園のとんがり屋根や、宿泊した祈念館が見えている時間帯です。

この後、北側の端を回りこむ時間にきれいな夕焼けが島と海を染める時間帯がまもなくやってくる地点ですが、今年は、日没地点が暑い暗雲に覆われてしまい夕焼け空は見ることができませんでした。急な雲の発達に驚きながらの硫黄島一周でした。


おが丸の操船技術の優秀さは、本当にすごいです。
(船の性能、操船とかに詳しくはないですが、それでも、そう思います。)

繋留場所は、私どもを安全に、下船上陸させて、また乗船させるのに
ギリギリの場所、水深、潮、波や風の様子などで、決められているそうです。

明け方到着時の繋留の作業と、
次の日の出発前の前後のメインのロープをほどく作業は
一見の価値ありです。艀から飛び降りた人が、そのまま潜ってロープを解きます。

硫黄島に港はありません。「潮の流れが強く、米軍が港を作るのを断念。
沈めて固めようとして途中でやめたのが沈船群」という内容の説明が
NHKの中継でもありましたね。

あの位置に繋留、しっかり停泊させて
乗せたり、降ろしたりできるように船を保ち、実際に
私たちを運ぶのは本当に高い技術が必要なはずだと思います。


今年のように「波が高ければ下船と乗船の時に危険があるので、二日目の日程を
決行するかどうか慎重な決定が必要。」という、海の状況の時には
船長とクルー一同の方々は、冷静でギリギリの選択を求められています。
安全第一 と 「できる限り上陸させたい」の間で、判断ミスが許されない
プレッシャーはいかばかりかと思います。

硫黄島上陸特別便でお世話になっていておが丸の優秀さを知っています。
皆既日食の時に雲もあったかもしれないですが、
最も雲にさえぎられない確率の高い皆既日食帯の中の地点を選んで先回りして、
確実に皆既日食になる時間を迎えることができたのも、あの優秀な船だったら
当然だっただろうな、と感じました。

NHK中継では、横浜発の日食便の別の船の映像が紹介されながら、
場所選びなどの苦労についての話もされていました。

全体が雲で覆われしてまった地域へツアーに行かれた方は
本当にお気の毒だったと思います。今回の日食では明暗がくっきり現れてしまいました。


我らが(小笠原海運の物なので、変な言い方ですが) おが丸は
硫黄島訪問にとって、なくてはならない、立役者です。
今回は日食ツアーでも大活躍してくれて嬉しく思います!


竹芝にいる写真、父島二見港停泊中の写真なども良いですが、
私が一番好きな「おが丸の雄姿」は、硫黄島釜岩沖に
繋留されている姿です。
硫黄島上陸便に乗った人しか見ることができない おが丸 の姿です。

明日は今年撮影してきた、おが丸の写真の中から
繋留地にいる様子を写したものを紹介する予定です。
(毎年、同じような角度、背景の写真になってしまいますが、、。)
コメント
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