OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2009 硫黄島の隆起について

2009年07月13日 | 硫黄島・小笠原村
擂鉢山の山頂には写真撮影のポイントが多くあります。
碑も多いですし展望も一番の標高島内で最高点です。

海側では、眼下に広がる海、崩れている斜面が海に
落ち込んでいる様子などを見ることができます。
今年で、定年退職で、私たちの訪問の時の解説を
ご担当いただくのが最後となる、
親切で愉快な、私たちの班担当してくれた自衛隊隊員の方とメンバーで、
海側を臨む地点で、記念撮影をしました。


その後、米軍の碑、星条旗を立てた跡、父親たちの星条旗の著者訪問の
石版などがある島全体を臨む方に来て、この写真を撮りました。

その地点から左側を撮ると、前回の記事に掲載の、釜岩・おが丸繋留場所
方面で、右側を撮ると、この写真の、島の東側半分になります。

眼下に、米軍が上陸した鶉石のある海岸で、
左側には、自衛隊施設が写っています。

この場所で同様の角度で、毎年、写真を撮影していますが、今年は、
同じ班でご一緒いただいた小笠原村村議会副議長が、
「あの、縞模様を見てください。隆起の様子が、浜に
刻まれているのが分かりますよ。」と、解説してくださいました。

一昨年も昨年も見て写真撮っているのにいるのに気がつきませんでしたが、
確かに海岸に海岸線と並んで、数本の縞があります。
大木の年輪のようです。

この縞模様から、
戦後の数十年で、数度の、わりと大きな隆起となった地殻変動(火山)活動が
あったことが分かるのだと、初めて知りました。

一昨年の記事などで、「繋留場所、正面の沈船群のコンクリート船が昨年より
また上がって見えるという声があった。」 「上陸海岸の突起している岩が
隆起を示している。」などと、書いてきましたが、
潮の干満もあったでしょうし、ちょっと見た目の、それらの高さが
1年での隆起をしめすというような、戦後の硫黄島の隆起だったというよりは、
これまでに数回、「年輪」を浜に刻むような、上がり方をした、と考える方が
正しそうだな、と思いました。

訪問するたびに、発見がある、硫黄島です。
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2009 北硫黄島

2009年07月13日 | 硫黄島・小笠原村

(この記事は、オリジナルではタイトル「2009 南硫黄島」と、取り違えてしまっていたのを2009年9月17日にタイトルと、本文中の 「南硫黄島」となっていた部分を「北硫黄島」に、訂正変更いたしました。ミスがありましたことお詫び申しあげます。)

今年の硫黄島訪問で撮影してきた写真全部の中で。
写っているものが
一番ぜいたくにそろっている写真は、これだと思います。

擂鉢山の山頂から、いつものように、おが丸繋留している釜岩沖方角を
撮影したものです。

右側には、沈船群が見えます。
釜岩手前に、繋留停泊している、おが丸がいます。

戦前は硫黄島と離れていて、今は隆起で陸続きになっている、
私どもの上陸点、釜岩付近とと硫黄島とをつなぐ浜が左右に広がっています。
釜岩の州のように伸びている突端(写真左側)の後ろに見えるのが、監獄岩です。

監獄岩は、宿泊した祈念館からは正面前方に浮かぶ島、という位置にあります。


そして、きわめつけは、監獄岩のやや右後方(写真の中央よりやや左より)に
おわんを伏せた形で火山島、北硫黄島も海上に写っています。

今年は南北両硫黄が見えて
この擂鉢山からの写真に北硫黄島をおさめることができました。

ただ、この写真、写っているものはいいのですが、
水平線が傾いてしまっています、、、。
写真が下手なのが悔やまれます。気にはしているつもりなのですが、
つい、傾いたりしますので、苦手なのだと思います。


2007年も2008年も今年も、二日とも硫黄島に上陸して
慰霊墓参、里帰り、できました。
さらに、今年は、南硫黄島&北硫黄島を見ることができました。
本当に、恵まれています。

多くの皆様とご支援、ご尽力と、
天候に恵まれて、
それは、多くの方々が、「硫黄島墓参便、天気に恵まれますように」
と祈って下さっているからだと思います。本当にありがとうございます。
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