具体的な方法が語られていないのでなかなか見えてこない部分があります。
問題の深刻さは誹謗・中傷を進んでする人なんて少なく何かの原因か行き違いが存在する筈です。
こんな話もあります。
ただ、普段利用させていただいているのはむしろ好まれるような服、景色、番組、有名人などで反応する事すら稀です。
Twitterにしても同様でそれに日経ニュースが加わる程度なんです。
なので使用方法自体やネットで自己主張や行き過ぎた正義感を主張するのは違うかなと思います。
それと同時に冷静さを失い易い環境が問題なのかと思います。
テレビにしてもそこまで設定するかと言うドラマなどもあります。
それに社会全体としてぎこちない為にストレスが溜まり易いのでしょう。
ぎこちない正体は例えば予約制のような状態で時間の制約があるとか、バーゲンで混み合うとか社会にプレッシャーが掛かるような制度や仕組みになり易いのです。
つまり、合理的とか経済的とかと言うのが先行して遣り難さを感じさせます。
コロナのマスクなんかも合理化でなくても衛生面で社会的制約の例では無いかと懸念されます。
更に問題に拍車を掛けるのが躾や教育環境です。
元々親や学校が優しくない、更には話し合いなんか成立しない相手だと言っても埒が明かず、結局喧嘩越しで議論する思考になってしまったり、果ては手を出されていればその人も手が早い人物になり兼ねません。
ただ、勘違いして欲しくないのは縦社会で済む程度なのに明るく済まそうとして逆にふざけているようにしか映らないと逆効果です。
本質的に問題だらけの教育現場なんてゴロゴロあるのでしょうけど、認めたくなくて更に悪化させたりします。
何故こんな感じなるのかの原因がそもそも戦後教育の元になっている西欧のモデル自体が間違いで、結果としてイジメなどに対応し難いのです。
それを想うと解決するのは難しいと想うのですがどうでしょうか?