学校観戦を認める背景には障害者への理解を深めると言うのですが、どうなんでしょうか?
高校生や真面目な中学生ならそれなりに考えもするのかと思います。
されど、女の子は別として男の子で小学生の頃に障害者への理解が深まるのか疑心暗鬼です。
安易に障害者への理解を進めても余計になる事すらあり得ますよね。
サポートするのさえも一つには知識や優しさですから。
好奇心旺盛だとかえって問題は複雑なのかと思います。
こんな事を書いて申し訳ないのですが、それ以前に自身をそれなりにする事の方が大事でしょうに。
本当に福祉や医療へと進むくらいの感動などを得られて何かを目指せるなら良いのですが。
おそらく、教師や学校側の指導で違うとは思いますがそこまでの準備とか、また教育委員会などでサポートしないと大変な事になり兼ねません。
理解を押し付けてもそれは教育ではなくてマニュアル通りの行動を覚えさせる事に過ぎません。
本当は考える余裕がないと理解は深まらないのでしょうね。
でもそんな事よりも各人の才能を伸ばす方が余程大事な社会です。
障害者は労って貰えますが、将来を担う小学生はそんな配慮すら期待出来ませんから。
小学生が社会に出る頃には日本は人口減少の入り口に立ち、労働人口が減って苦労するのが更に増しますから。
それを考えると今、パラリンピックを見せて忍耐を学ばせてしまうとしたらそれも酷な感じがします。