具体的な話でなく、抽象的なはなしでこれを言うのはどうも掴みどころがありません。
外部委託の話なんて一見合理化に見えても下手すれば金が足りないからうちらで済まそうとまた反対に振るんですよね。
結局、所詮不満を抑えてでも嫌がる仕事を振れる人が居るから済む話で、その人にも嫌がられたら困るだけか外注化出来るならするような話でしょ。
そもそも嫌がる理由によって様々ですから安易に答えは出ないのかと思われます。
簡単に言うと評価の低いルーチンワークとかをやっても時間拘束されるだけでハンデですよね。
それに下手すると何々が溜まったら処理するとか、忘れると怒られるような警戒するストレスの掛かる作業なんてそれこそ評価でも変えないといけないような話ですよね。
掃除をきちんとするような規律で縛るくらいの不自由さでやっと快適なのかと思います。
現実的な話をするとそう言うのをやらなくなったから、快適さが悪くて何か不具合があってもトラブルが起きるまで対処しなかったりしますよね。
丁寧な作業を強いるくらいでトラブルは減る方向なんですよ。
それなのに丁寧さよりもフランクな雰囲気を気にしてせっかくの掃除とかで知れるような細かい視点が育たないのです。
偉そうな事を言おうとしているのではなく、現実的に例えば歩道駐輪のような話にしても最初から駐輪場の少ない町に問題があるのにそれを変えられない点とかの問題を上手く解決出来ないんですよね。
「皆んなが嫌がる事を進んでやる子は褒められるが、皆んなが嫌がる事をやらずに仕組みを変えようとする子は割と煙たがれる」
抽象的な話なのでなんとも難しいのですが、子と書かれていますから教育現場と決めてかかれば極少数の事例なのかと思います。
それでなおかつ「仕組みを変えようとする」が学校ならとても良い案なら別ですが、そもそも論として学校側や先生が決めていて子供達で決めた話ではない可能性もありますよね。
まして、子供達が決めた話であった場合、一度決めた話を蒸し返すなんてしたらその方がヤバいと思います。
誰でも不条理に思うような嫌がる事を押し付けられる経験はあり、その時に相談するのはよくある事です。
それを何か改革意識が必要と思ってしまう時点で相談したのか?となりますよね。
世の中の多くの事は思うようにはならないけど、なるようにはなるから日常の姿が有るのです。
それが相談なりで改革されるかもしれませんが、その後の変化で元の木阿弥のようにまた嫌がられる事が発生します。
何故なら組織も変わらざるを得ないし、時代も変わりますから。
本当に必要な改革は上下の相談のし易さであったりするのが本質的な世の中の難儀なのかと思います。