身の回りを見渡すと色んな情報が多すぎて知りたくない情報
まで知ってしまうのが日本へ帰ってからの悩みでもあります。
年老いてくれば細胞が老化し運動の能力は落ちて来ます。
いやでも毎朝歯磨きするときに鏡をみますが、自分の顔を毎日
観察しながら、皮膚の弛みが見ものです。
前日良く寝て気分が良い時には、その弛みが消えていて、やる
気も一杯!
こういう日に受け取る情報は、暮らしのエネルギーに化します。
情報をいかに理解するか、身体で受け取れる情報の範囲つなぎ
合わせるため、毎日一回汗を出す運動と、人と話すことにして
います。
人と話せない休みの日は、英会話ラジオやお経で一人喋り、散歩
でゴミ拾いしながらは気持ちも楽しくなり心身のためになっています。
ストレッチ3時間は欠かさずに。
寝たきり老人にならないとは、言えないし、私は絶対そうならないと
言いながら、ベッドに横たわる晩年が待っていないように。
人間は平等ではないし、平等なのは人ひとりに与えられた24時間
でありますが、どんな死を迎えるのかは自分の意志だけで、手に入れ
らえない複雑な時代になって来ています。
昔の人は死ぬ一週間前には箪笥の整理するような、心身をもっていて
理想的でした。
年齢を重ねる晩年は、心に追る美しさを求めて、「千年生きる、明日
死んでも良い」強い意志で生きる事だと、鶴川の秋を満喫しています。