先日作家五木寛之氏の「余名」を読み終えました。
余名と言えば残された命のように思われますが、氏は「余名」とは余裕を
もって残された時間と言います。
”天寿を全うする”の言葉は高齢で去られた方に掛けられますが 100歳
以上の高齢者の大半は寝たきりで要介護の状態を考える時、果たして長生
きは本当に目出度いかとも思われます。
近代医学は先端医学の進歩で高齢者をも延命で結果として長寿者が増加
保険制度はどうなるのかとさえ危ぶまれます。ましてや団塊の世代が、後期
高齢者となる頃は労働人口は減り、高度な治療を受け、重度介護の高齢者
が増え続けるわけです。
医療費のうち末期の数日にかかる費用が莫大であることは、何となく分
かります。巷のターミナルケアーで,見守ってきた医者は、安らかに逝くには
余計な治療はしない方がとも言いますが、医学ではどんなことをしても「延命」
をとが至上命令です。
苦しかろうが喉からチューブを挿し込められ、腕は点滴の針が痛々しくとも
です。それでも生きて余命と言えるかです。
安楽死への道が遠い限り、自分の逝き方は示していきたいものです。
尊厳死宣言もその一つでしょう。80歳を迎えてのわたしです。長命=幸福と
も思いません。「自然な死」(知らない間に・・・・)をとは願いです。
テレビで「健康寿命」日本一は愛知県と言っていました。愛知の高齢者は
とにかく喫茶店が好きで喫茶店の数も日本一だそうです。
折しも和歌山県の電鉄貴志駅のみけ猫「たま」が16歳の寿命を全うして
の永眠で社葬までされたと・・・・幸せな猫でした。

神奈川に住む姪の愛犬(シェットランド犬)ラッキーも昨日16歳余で天国
へ旅立ったと、こちらは1年ほど前にガンが発生、度々の抗がん剤治療を
受けていました。家族の一員だったのでしょう。何度かこちらにも連れともに
散歩もしました。名の通りラッキーな生涯だったよう。