夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

 待ちどうしかった春到来  ー物置片付けー

2011-03-31 21:05:26 | Weblog

   3月も今日で終わり、朝は低かった気温も昼前からはどんどん上がり、
  20度に達するほどになりました

   ウォーキングの後、先日から写真(アルバム)の処理に当たっていた残り
 の分を処理したり、物置の不用品の片付けも手をつけました。新品のままで
 の鍋類も多くあり、食器。ガラス器も箱にしまったままです。何年も使用しない
 物ですが、勿体無い物もあり思案中です。よくフリーマーケットなどで贈答品な
 ど出されていますが、自分で出すにはちょっと勇気が要り難しいです。

  若い頃は旅行に行けば記念品にと置物や名産品など買い求め、こけし、
 人形、絵葉書、もたくさんです。これらは捨てるにもまずまずですが、備前焼の
 花びん、九谷焼の香炉、萩焼の茶碗類、(これらは利用もしていますが)捨てる
 には考えます。
          

  最近はみやげ物も食べ物ばかりにしていて記念になる物まで買わないよう
 にしていますが、とにかく
物置に入れてしまった物はおそらく開けずじまいに
 んること大です。

  物置の中には、きれいな包装紙や紙袋等もいつかは使うかもと保存してあ
 りましたが、紐で結わえて資源ごみに出せるようにしました。

  蔵書(全集物など)は捨てられないですが、文庫本や教育図書は少しずつ
 出していくようにしようと思います。あまりあわててしなくても毎年毎年減らして
 いけばいいかなとも思います。

  わたし達世代は戦争中に物資の無い時代を過ごしています。買いだめ、
 物が捨てられないなど十分にしてきた結果が有り余りを作ってしまったので
 す。身の回りをスリムに買うことを控えねばとおもいます。


ゴルフ子犬会(同年仲間)  

2011-03-30 20:05:06 | Weblog

   少し暖かさが戻ってきたようで、朝のうちは寒さも感じましたが、日中は
  薄着でも居られたほどでした。

   先月は白内症の手術(両目共)で参加できなかったYさんも2ヶ月ぶりの
  参加でした。目の方は、まだ少し本調子でないとのことでした。
     Hさんも昨年手術をしましたが、術後当座は良かった(良く見える)けれど、
  また元に戻った
よう、と言っていました。
    Nさんも人間ドックで視力が0,8で落ちたとのことでしたが、など若い頃は
 1,5まで見えて遠視のようでしたが、今は両目で0,8ぐらいで、自動車免許
 更新のときのすれすれの段階です。

  ゴルフをしていると時々打った球が見えにくくなることもありますが、高く上が
 った球は特に見えにくいです。
                   

  今日はみんなドライバーショットがすばらしく、殆どOBは無くHさんの1回だ
 けでした。ショートホールでは二人がバーデーと言うこともありました。

 
 結果 102(50 52)   N氏 90  H氏 94  Y氏 95 
   コンペではなく、1ヵ月に一度仲間がゴルフをすることで話し合いの場を
持っている会です。

   先日の津波では真珠養殖のHさんは五ヶ所湾の真珠いかだが2KMも流
され貝が3分の
2ほど失せたそうです。被災者のことを思えば、と言っていま
した。
        

  わたしの方も先日神奈川の姪の方へ福島へのお見舞いや品物を送りま
 
した。春休みに行こうとしたら原発の避難指定区域で行けないとのこと、5月
の連休に出かけると言っていました。

  復旧にかけて海外や国をあげて必至で義援金、支援金など多額に上がって
いますが、地震 津波 原発と長い日数(年数?)がかかることでしょう。


わたしの「断捨離」 手始めはアルバム

2011-03-29 21:21:37 | Weblog

   人生70数年にもなると、家の中には必要の無い物が押し入れ内、また
 書棚、物置などにあふれ、なかなか処理できずにそのままとなっています。
   最近は本や雑誌などでも「断捨離」と言う言葉が見られます。読んで字の
 如しですから、なるほどと思います。女優の
中村メイコさんは物を三分の一
 に少なくしたそうです。(ラジオ深夜便による)

   本の類は少なくはしましたし、あまり買わずに図書館の利用です。雑誌は
都度都度処分です。

  洋服類、特に和服(琴、三弦、茶道などでたくさん作っている)、布団などの
寝具類(場所をとる)、そして頂き物(見舞い返し、お祝い品など)がしっかり
物置を占めています。

  昨夜からアルバムに手をつけました。厚さはさまざまですが20冊はあります。
何故か子どもの頃のはない。多分親がしまっていたのか・・・・(今の様にあまり
写真を撮らなかったこともある)勤め始めてから50年余りの分です。
          

  各学校での
卒業、修学旅行、職員旅行、遠足でのスナップ等30数年分
です。また40年まえから全国互助会海外旅行
ヨーロッパ20日間)をはじめ、
ハワイ、シンガポール、(バンコク)、ニュージランド、台湾、退職後はカナダ、
韓国、中国
など、とあり、国内旅行もここ20年で毎年数箇所は出かけました。

  そのたびの写真が膨大となり、思い切って古い物から捨てることにしました。
昔のはセピア色となっていました。共に写っている人が懐かしい人もありますが
よほどの物 数枚ずつ(旅行ごとに)残し、14,5冊中味をはがしゴミ処理です。

   20歳代の頃の写真ですから、集合写真など自分でもどれが自分か分かり
かねるものもありました。取り出した写真は小さなお菓子箱に入る程度です。

 中に実兄二人と母方の叔父の写真が(多分母がしまっていた中から私が取
り出したものかも)あり、共に70数年前の写真でしたが、セピア色ではなく白
黒ではっきりしていました。将校服の長兄とスーツ姿の叔父
軍隊入隊のころ
の次兄
でした。・・・・いつまでも若い姿ですから・・・・(生きていれば100歳を
過ぎている叔父ですが) 二人の兄は戦死ですから、私は共に生活の記憶はない
ですが・・・(物心ついたときは兄達は成人し東京、満州にいた)

  アルバムの処理だけでも結構時間を要します。もう一日まだ5,6冊の分
を処理しなければならないです。

   今後はアルバムは重いし、場所もとりますから、封筒に項目を書き、一つ
の箱に入る程度に残そうかなと思います。最終は10枚程度にしておこうか
と思いますが・・・・

   アルバム整理を思ったのは曽野綾子さんの「老いの才覚」の中からでした


叔母を見舞う 老人ホーム「ケア・レディデンス」へ

2011-03-27 22:12:00 | Weblog

  2,3日前に病院から、老人施設へ移された叔母(97歳)です。最初に施設
に移されたときは、かなりショックで
「入りたくなかったのに、誰が入れたのや。」
とわめいたそうでした。

  脳梗塞で病院へ運ばれ、当初は頭も朦朧、言葉も上手く出ない、書くことも
できない、またt一時は食べられない状態が1週間ほど続いたそうでした。
  息子たち3人とそのお嫁さんで交替のつききりでの病院生活でした。しかし
だんだんとリハビリーの結果歩くことも(乳母車を押して)、
話すことも、食べる
こともどうにか出来、施設では、付き添いもなく、ひとりでいました。

  最も今日は名古屋から1ヶ月ほど来ていた息子(72歳)と家内が名古屋に
帰ることになり、お昼を食べにいったと言うことでした。

  「もうここが最後の場所だね。」と自分でも納得しているようでした。施設の
中に101歳の方が居られ、しっかりしていて自分もよい刺激になったようでした。
「私が一番しっかりと歩いて食事場所へ行くんだよ。」と結構自慢顔でした。

  私の甥と共に行きましたが、ちゃんと覚えていて、「あんた、今年定年で退職
やね。」とまで、普段あまり会うことがないのに、とびっくりしました。叔母のひとり
娘(2年前にガンで死亡)と同年でした。

   この分だと100歳まで大丈夫と励まして帰りました。施設は町内にあり、そば
に医院もあり直結していますから、安心です。

   夜 「3年B組金八先生 ファイナル~最後の送る言葉」を見ました。
           
   昭和59年に始まった第一シリーズから32年間よくぞ続いたシリーズでした。
     武田鉄也さんの見事に金八先生を演じた32年間でもあったのでした。
   32年間の卒業生には懐かしい多くの人々が出演でした。
     改めて金八先生の教えに感動しました。
   最後の言葉として「一隅を照らす人になってください。」の言葉でした。
                 


NHK 朝ドラ 「てっぱん」 最終回 (NHKBS)

2011-03-26 18:35:43 | Weblog

   約半年間楽しく見せてくれた朝ドラ「てっぱん」でした。タイトルの通りお好
 み焼き(てっぱん)が周りの人々を結び付けました。
             
     
    主人公あかりさんはまだ20歳と言う設定駅伝さんとの少し淡い想いや
 鰹節屋の浜勝の若社長の想いもありましたが、最後はまだまだ元気な
初音
 おばあちゃん(藤純子さんー好演)
とお好み焼きだけでなく家庭料理の食堂
 を続けていくようでした。
      

  おばあちゃんの下宿屋「田中荘」の住人はそれぞれ転居(おばあちゃん
 にとっては独立)し、最後にみんな集まりました。

    あかりさんの実家
尾道ではお兄ちゃんのお嫁さんとなったのぞみさんが
 出産し、赤ちゃんの名前は円(まどか)さん家族が喜び合う幸せ家族でした。

  「てっぱん」では各地てっぱん体操が繰り広げられ、大変な人気となっ
 たようでした。
          

  私などここ何年かお好み焼きなど食べたことなくでしたが、ドラマのせい
 で昨年秋以来何度か出向きました。今日も親戚の従兄の奥さん(名古屋
 から来ている)とお昼にお好み焼きを食べに行きました。ボリュームたっぷ
 りでおいしいでした。    これも「てっぱん」効果でしょうね
               


球遊会ゴルフ

2011-03-24 20:08:24 | Weblog

   冷たい朝で、自動車の運転も手が凍えるほどでした。
    今日は球遊会ゴルフ浜島カントリーですが、ここの10番ホールは風が
 強い日は泣かされるのですが、冷たさの割には風があまりなく、陽が射してく
 ると、 暖かさもあり、予報での寒さより凌ぎやすいでした

    やはり東北震災以来、客数は減っているようで、遠方からの客が少ないよう
  です。こちらも今日は12名3組(女性2名)といつもより少ないでした。

    2人の女性のため同じ組に組まれていて、男性2人との4人組でした。
 
ティーグランドはレギュラー(60歳代)・シニア・(70歳代)レディースの
  3箇所
からでした。女性2人は70歳代なので、
   
「女性ももう一箇所あればいいのに。」
  と言ってくれました。シニアと同じところからもかなりあります。
             

   伊勢カントリーなどは2~3年前からピンク杭が設けられ、高齢者用になって
  いるそうです

     「元々、ゴルフなど70歳を過ぎた女性など対象にならないから。」
かも
  分かりません。
 
     体が続けられる限り、健康のためにしていますが、急にいつ出来なくなっても
  おかしくない年齢です。良い仲間に恵まれてのゴルフです。

  今日の結果 109 (54 56) ハンデ34  4位(賞なし)ニヤピン1個
       むつかしいパットでした。

         震災関係 

  早朝神奈川の姪から、東北自動車道が全面開通だから、春休みに福島の
 方へ行ってくるとの電話でした。先ずは良かったです。早速こちらからも見舞
 の品が送れそうです。
   
死者、行方不明者共に2万5千人を超しました


老人ホーム(グループホーム)へ訪問

2011-03-23 21:20:10 | Weblog

   今日は忙しい一日となりました。午前中は隣町のライブラリへ返却と
 借本に行き、その足でジャスコ内の書店にて「ラジオ深夜便4月
と曽野綾子
 さんの「老いの才覚」を買い、ついでの食料品も購入、家に帰りました。

  昼食を済ませ、一時に家を出て鳥羽市へと、約束していた、知人のHさんを
車に乗せ、
鳥羽市安楽島(あらしま)に建つ老人ホーム(グループホーム)へ
行きました。知人のNさんが1月末に入所していて、一度も尋ねていなかった
のでした。Hさんは隣に住んでいた方が入所なので、何度も行き、お世話して
います。(事実上の成年後見人です)

   Nさんはまだ若く、私の1歳上 です。見た目には何故入所したのかとさえと
思われました。私が行くと喜びいっぱいの顔でした。どうして入ったのに対して
周りが、1人でいると頼りないからと入らざるを得なくなったようでした

  しかし中での生活は、私ならば一日たりとも暮らせないと思いました。食事
3食とも食堂へ、洗濯もしてくれる。掃除も全て施設でする。部屋にはテレビ
もなく(広間の方には設置)ラジオだけ、本を読むでもなく、寝ている以外する
ことのない生活でした。健康な者でも痴呆になりそうな暮らしです

 体は一応健康ですから、Hさんとも話して、日記でも書けばと働きかけまし
たが・・・・・本人はやる気力がなくなってきていると認識でした。自分でわたし
は子どものまんまだわ。と笑って言っていました。

   帰途Hさんと珈琲店で、お互い
身の回りの整理や食事の用意が出来なくな
 ったら認知になるかもねと話しました。

  今日購入した「老いの才覚」 曽野綾子 著の中

  ー
他人に依存しないで自分の才覚で生きるためにー 「自立」と「自律」
        

  
● 高齢者に与えられた権利は、放棄したほうがいい。
    ● 老化度を測る目安は「くれない指数」・・・・・してくれないなど
    ● 老人が使う言葉が極度に貧困になった。
    ● 人に何かをやってもらう時は対価を払う。
    ● ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった。
    ● 料理・洗濯・掃除・・・日常生活の営みを人任せにしない。
    ●
 老年の仕事は孤独に耐えること。


被災から12日   被災者の様々な顔 顔  

2011-03-22 21:41:40 | Weblog

   昨日の中日新聞裏面には「広がれ元気と勇気」のタイトルで、子どもから
 高齢者に至る40名ほどの 顔写真が掲載されていました。
    喜び   
家族、知人との再会の顔
    悲しみ  
家は流され、肉親とは離れ離れ、未だ不明で再会の叶わぬ顔
    ただ呆然と悲しみを耐えている顔募る不安で硬い顔等など・・・・
その中に
  あって小さな子供達のあどけない笑顔は、別の意味で涙を誘います。

    また自ら被災者となりながらも、お互い励ましあいながら勇気をもって仕事
 (避難場所での炊事やその他の仕事)に精を出す人々の顔には、めげられない
 と言う気迫も感じます。

  しかし、原発での避難、放射性物質の放出での風評被害で困惑する農家
 人たちは不安と共に憤りの顔がテレビ等でも見られました。

    支援のための物資や救援募金などはどんどん運ばれますが、家を 家族を
 そして土地、町自体失った人々にとって、
これから如何なる困難との闘いに
 なる
やもです。「がんばれ!頑張れ!」と言っても
高齢者は気力すら失せて
 いく
人さえとも思います。心のケアーもしながらやはり勇気をだして生きて欲
 しいです。

      茶の実会

  友だちIさん宅で4人が集まりました。震災が話
題となりました。こちらも
 東南海地震が起こったら、逃げる場所や非常食の話でした。でもどこで
 地震に遭遇するかは分からないです。


被災地への救援物資ぞくぞくと 

2011-03-21 18:43:07 | Weblog

   ガソリンが無い、電池が無いなどに加えて、最も生きていくのに必要な
 毛布、お米、食料品など、そして日が経つにつれ
下着などの衣類、オムツ
 などの支援物資が各地からぞくぞく運ばれています。
    

  様々な形での募金活動もされ、街頭で、スーパー、コンビニでと募金箱
 設置です。本当にわずかの額でも心があれば入れたくなります。
           
    本当は家で眠ったままの毛布やタオルなど(お祝い品や見舞い返しの品)
 等たくさんあり、個人で送ることは出来ないですから、
自治体や、ボランティア
 団体での回収がないかなあと思いますが、・・・・県庁まで持っていけばと聞い
 てもとても無理です。歳末助け合いなどでは、持ち寄りされることもあり、これ
 らに準じて欲しいとさえ思います。
     
   今被災者の数は35万人と膨大な数です。みんなにいきわたる様に配られ
 る方々も、ご苦労な仕事でしょう。

  一方未だ不明の人も多くいます。まだまだ捜索活動も続き、昨日のように
 生存者もいるかも知れないです。
捜索活動や原発関係での処理に身の危険
 
も顧みず活動に当たられる自衛隊、消防隊の方々には頭の下がる思いで  す。
  
    今日は三重県からも、し尿処理業者が現地でのし尿処理のため車を連ね
 て出発していました。わたしの方の業者も行かれたようでした。本当にご苦労
 様です。
          
    全国的な規模での救援に欲も得も越えた人間としての美徳を感じます。
   


津波・地震による死亡者・不明者ついに2万人を越える

2011-03-20 19:27:58 | Weblog

   毎日報道される震災による死者・不明者のが2万人を越える数に達したと
 のことです。被災者も10日ともなれば疲れもあり、高齢者は亡くなる方もあり
 寒さと飢え、慣れない生活に、弱い人は耐えられないのでしょう。

  その中で10日目にして壊れた家の中で9日間生きていた祖母と孫の二人
 が助けられたことは、1人でも助かることを願う国民にとってもうれしい知らせ
 でした。

     スーパーから品物が消える

  災害という非常事態で、品物が手に入りにくくなり、今日も神奈川に住む姪
から、ガソリンが買えないので、今日はスタンドの開いているところで、並んで
いるとメールが来ました。近くには無く、しかも順番のカードをもらっての並び
だそうです。「長蛇だよー。」とのことでした。
    

   またスーパーには乾電池・ラーメン、トイレットペーパーまでも品薄で、
みんな買い溜めるのかなあ。と・・・・

  わたしの方でもややいつもより乾電池などは品薄のようです。メーカーは
品物はどんどん出しますからと言っても、群集心理でさせるのでしょう。
ある時
期が済んだら治まるでしょうが、しばらくは続くのでしょう。

   灯油」も買えないようですが、少々の寒さは我慢していると・・・・(被災者の
ことを思えば)