(写真は徳島新聞Web特集版より)
久々の映画レビューです。
「バルトの楽園(がくえん)」を7月1日に見ました。土日は11:15からの一回だけという不遇さ。
第一次大戦時、日本軍の捕虜となったドイツ兵たちが、ドイツ降伏を受けて、終戦処理で自由になった時に、お別れにベートーヴェンの第9交響曲「合唱付」を演奏するというものである。
これが、日本での第九の初演だと言われている。
東映映画
監督:出目昌伸、脚本:古田求、音楽:池辺晋一郎
主演:松平健、ブルーノ・ガンツ
関連サイト
STORY (公式ホームページより引用)
【1914年、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。
ドイツ兵4700人は捕虜として送還され、日本各地にある収容所に収められる事となる。
厳しい待遇が当然な収容所の中で、奇跡の様な収容所が徳島にあった。
板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、捕虜達の人権を遵守し、寛容な待遇をさせた。
捕虜達は、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、さらにはビールを飲む事さえ許された。
また、言語・習慣・文化の異なる地域住民の暖かさに触れ、収容所生活の中で、生きる喜びをみいだして行く。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。
自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。】
映画は、第一次世界大戦の実写らしき戦争の映像で始まる。
青島(チンタオ)では、この地を植民地支配するドイツ軍に対し、連合軍の一員である日本軍が攻撃。激しい戦闘の後、多大な犠牲者を出しながらも日本軍が勝利。
多数のドイツ兵が捕虜として、門司から入港し、全国各地の捕虜収容所に送られる。その一つが徳島県の坂東収容所であった。
松平健扮する坂東収容所長:松江 豊寿は、会津出身で敗残兵のむなしさを明治維新で敗北した父との生活で知り尽くしている。
その苦い経験から、チンタオでの日本軍との戦闘で敗れたドイツ兵に対して、敗残兵としてではなく、国の名誉を掛けて戦った『武士』としての待遇で接する。
彼の捕虜に対する扱いに不満な軍部は、これを止めさせようと予算をカットする。 松江は、「捕虜は犯罪者ではない、収容所は監獄ではなく、捕虜の収容所である」と抗議。
収容者を人間として全うに扱う姿勢を続ける。
映画のどこまでが事実化は解らないが(というのは、収容所をあまりにも美化しているのではないかと思ってしまうから)、
なにしろ、収容所内では飲酒も自由、ドイツ語での新聞雑誌の出版も自由、パンやソーセージ工房もあり、捕虜に一人一室の個室という、至れり尽くせりの待遇。
夏には、海岸で水泳をしたり、収容者が作った品物の展示即売会なども行われる。
それこそ、ビールやウイスキーをどうやって(費用の面でも)調達したかも含め、疑問がある。
そのうえ、ブルーノ・ガンツ扮する敗軍の将(チンタオ総督)クルト・ハインリッヒが、「ドイツ敗北」を知って自殺しようとするのだが、彼の個室の机の引き出しに『短銃を所持している』というのも捕虜とは思えない。
捕虜は武装解除するのが当然で(そのような場面もあるのだが)何故元総督は短銃を所持していたのだろうか?
村の人たちとも、やがて交流が生まれ、音楽を習いに来るもの、器械体操を学校ごと習いにくる生徒たちなど、坂東村にとっては、当時のドイツの最先端の技術を習得するのが流行している様子。
そういう武士の温情ある待遇に感動した捕虜たちが、戦後の解放にあたって第九を演奏して感謝を示そうというのである。
子役の新人?大後寿々花が、ドイツ人を父に持つ『混血児』志を(しお)役で、存在感のある演技をしていた。青いコンタクトレンズらしきものをつけて。(1993年生まれ「北の零年」,「SAYURI」にも出演。ハリウッド出演済みで、新人らしからぬ新鮮さを持つ“新人”)
志をの存在が関係者の中での微妙な結びつきの伏線となっており、映画の緊張感と日独を超越した一体感を持たせている。
最後の40分あまりに演奏される、第九は全曲とはいかないものの、1楽章から2楽章・3楽章を経て4楽章に入るという念の入れよう。力がこもっている。
ただ、歌詞の意味を知っている聴衆には問題ないが、この映画で初めて第九に接する人や、歌詞の意味を良く知らない人たちのためには、字幕を入れた方が良かったのではないかと思う。
「Seid umchlungen Millionen. Diesen Kuss der ganzen Welt!
百万の民よ抱かれよ、この口付けを全世界に! 」や
「Deine Zauber binden wieder Was die Mode streng geteilt. Alle Menschen werden Bruder wo dein sanfter Flugel weilt!
歓喜の力は時流によって強く分かたれた者たちを再び結びつけ、全ての人々が歓喜の柔らかい翼の中で兄弟となる。 」
というフレーズは当時としても人々に感動を与えたであろうが、現在にも通じるメッセージだけに、是非とも字幕が欲しかった。
政治によって、国民に格差が広がり、社会的連帯があらゆる側面で破壊されている(Was die Mode streng geteilt)、現在の国民にとっても、又憲法9条を守る運動にとっても、ベートーヴェン(原詩はシラー)から与えれれた、国民の連帯を訴える(Alle Menschen werden Bruder )強いメッセージであるのだから。
映画本編終了後の、キャスト・スタッフ・協力者等紹介の、長いクレジットでは、BGMとして、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーの演奏と映像で第4楽章を流し、それに重ねてソニーの大賀典男氏を始めとする各地で演奏される、第九の写真や映像がオーバーラップするというサービスが付いていた。
久々の映画レビューです。
「バルトの楽園(がくえん)」を7月1日に見ました。土日は11:15からの一回だけという不遇さ。
第一次大戦時、日本軍の捕虜となったドイツ兵たちが、ドイツ降伏を受けて、終戦処理で自由になった時に、お別れにベートーヴェンの第9交響曲「合唱付」を演奏するというものである。
これが、日本での第九の初演だと言われている。
東映映画
監督:出目昌伸、脚本:古田求、音楽:池辺晋一郎
主演:松平健、ブルーノ・ガンツ
関連サイト
STORY (公式ホームページより引用)
【1914年、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。
ドイツ兵4700人は捕虜として送還され、日本各地にある収容所に収められる事となる。
厳しい待遇が当然な収容所の中で、奇跡の様な収容所が徳島にあった。
板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、捕虜達の人権を遵守し、寛容な待遇をさせた。
捕虜達は、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、さらにはビールを飲む事さえ許された。
また、言語・習慣・文化の異なる地域住民の暖かさに触れ、収容所生活の中で、生きる喜びをみいだして行く。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。
自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。】
映画は、第一次世界大戦の実写らしき戦争の映像で始まる。
青島(チンタオ)では、この地を植民地支配するドイツ軍に対し、連合軍の一員である日本軍が攻撃。激しい戦闘の後、多大な犠牲者を出しながらも日本軍が勝利。
多数のドイツ兵が捕虜として、門司から入港し、全国各地の捕虜収容所に送られる。その一つが徳島県の坂東収容所であった。
松平健扮する坂東収容所長:松江 豊寿は、会津出身で敗残兵のむなしさを明治維新で敗北した父との生活で知り尽くしている。
その苦い経験から、チンタオでの日本軍との戦闘で敗れたドイツ兵に対して、敗残兵としてではなく、国の名誉を掛けて戦った『武士』としての待遇で接する。
彼の捕虜に対する扱いに不満な軍部は、これを止めさせようと予算をカットする。 松江は、「捕虜は犯罪者ではない、収容所は監獄ではなく、捕虜の収容所である」と抗議。
収容者を人間として全うに扱う姿勢を続ける。
映画のどこまでが事実化は解らないが(というのは、収容所をあまりにも美化しているのではないかと思ってしまうから)、
なにしろ、収容所内では飲酒も自由、ドイツ語での新聞雑誌の出版も自由、パンやソーセージ工房もあり、捕虜に一人一室の個室という、至れり尽くせりの待遇。
夏には、海岸で水泳をしたり、収容者が作った品物の展示即売会なども行われる。
それこそ、ビールやウイスキーをどうやって(費用の面でも)調達したかも含め、疑問がある。
そのうえ、ブルーノ・ガンツ扮する敗軍の将(チンタオ総督)クルト・ハインリッヒが、「ドイツ敗北」を知って自殺しようとするのだが、彼の個室の机の引き出しに『短銃を所持している』というのも捕虜とは思えない。
捕虜は武装解除するのが当然で(そのような場面もあるのだが)何故元総督は短銃を所持していたのだろうか?
村の人たちとも、やがて交流が生まれ、音楽を習いに来るもの、器械体操を学校ごと習いにくる生徒たちなど、坂東村にとっては、当時のドイツの最先端の技術を習得するのが流行している様子。
そういう武士の温情ある待遇に感動した捕虜たちが、戦後の解放にあたって第九を演奏して感謝を示そうというのである。
子役の新人?大後寿々花が、ドイツ人を父に持つ『混血児』志を(しお)役で、存在感のある演技をしていた。青いコンタクトレンズらしきものをつけて。(1993年生まれ「北の零年」,「SAYURI」にも出演。ハリウッド出演済みで、新人らしからぬ新鮮さを持つ“新人”)
志をの存在が関係者の中での微妙な結びつきの伏線となっており、映画の緊張感と日独を超越した一体感を持たせている。
最後の40分あまりに演奏される、第九は全曲とはいかないものの、1楽章から2楽章・3楽章を経て4楽章に入るという念の入れよう。力がこもっている。
ただ、歌詞の意味を知っている聴衆には問題ないが、この映画で初めて第九に接する人や、歌詞の意味を良く知らない人たちのためには、字幕を入れた方が良かったのではないかと思う。
「Seid umchlungen Millionen. Diesen Kuss der ganzen Welt!
百万の民よ抱かれよ、この口付けを全世界に! 」や
「Deine Zauber binden wieder Was die Mode streng geteilt. Alle Menschen werden Bruder wo dein sanfter Flugel weilt!
歓喜の力は時流によって強く分かたれた者たちを再び結びつけ、全ての人々が歓喜の柔らかい翼の中で兄弟となる。 」
というフレーズは当時としても人々に感動を与えたであろうが、現在にも通じるメッセージだけに、是非とも字幕が欲しかった。
政治によって、国民に格差が広がり、社会的連帯があらゆる側面で破壊されている(Was die Mode streng geteilt)、現在の国民にとっても、又憲法9条を守る運動にとっても、ベートーヴェン(原詩はシラー)から与えれれた、国民の連帯を訴える(Alle Menschen werden Bruder )強いメッセージであるのだから。
映画本編終了後の、キャスト・スタッフ・協力者等紹介の、長いクレジットでは、BGMとして、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーの演奏と映像で第4楽章を流し、それに重ねてソニーの大賀典男氏を始めとする各地で演奏される、第九の写真や映像がオーバーラップするというサービスが付いていた。