きのう、「事業仕分け」 の 『仕分け人』 選任の法的根拠について
疑問を書いたが、結局「政府の予算」を勝手気ままに切り刻む資格は全くない
単なる 『私的集団』 に過ぎない 事がハッキリした。
きのう資料として引用した毎日新聞のニュース問答「なるほドリ」によると
政府の諮問機関である行政刷新会議が『恣意的に』選んだメンバーであり、
国会による承認もされていない と言う。
まるまる権能をもたない「私的機関」が、国家予算を1時間ほどの短時間で
一方的に質問攻めにし、その仕分け人の意向に沿わないと『素人判断で』廃止
や削減を決めてしまったのである。 その上、彼らは、仕分けの結果起こる
国民生活の「不都合な真実」に対して何ら責任を負わないのである。
従って、『ゾンビ予算』とか言う表現手法もマスコミ受けし、廃止圧力を加える
ためのパフォーマンスの一種に過ぎない。
マスコミもマスコミで、この法的根拠を説明しないまま『国民の視線』的に
事業仕分けを取り上げ、官僚の策定した予算を全て悪のように描いた。
このため、文化予算や医療福祉予算や農業関係や大学の研究費なども軒並み
廃止・削減されてしまった。
政府として国家予算の総合的設計図も持たず、極めて一面的な判断で、
国民受けしそうなところを捉えてバッサバッサと切り刻んだのである。
一方で、きのうも書いた米軍に対する「思いやり予算」やグアム移転経費、
北朝鮮ミサイル危機を煽った時、実際には使えないことが暴露された戦車や
輸送機や哨戒機や、漁船も見つけられなかったイージス鑑などの自衛隊の装備
(三菱重工・川崎重工など軍需産業のみを潤す)等は、仕分けの対象にさへ
なっていないのである。
結局、最も無駄な部分には手をつけないで、目立つところだけ各個撃破する
「国民向けパフォーマンス」に過ぎなかった!
なお、この事業仕分けについて、今日の讀賣新聞が社説を書いているが、
何故か私も納得するところが多かった。(あまり嬉しくもないのだが・・・)
これを以下に紹介する。
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事業仕分け 功罪を検証し手法を見直せ
読売新聞 2010年11月20日01時15分
民主党が看板に掲げる「政治主導」の矛盾がまたも露呈した。
行政刷新会議が、4日間の事業仕分け第3弾の後半日程を終えた。過去に仕分けの対象となった約110事業を「再仕分け」したもので、45事業を廃止または予算計上見送りなどと判定した。
目立ったのは、仕分け人と各府省の副大臣らとの対立だ。
各府省は、過去に廃止とされた事業の看板を掛け替え、新たに予算要求するなど、様々な抵抗を試みた。官僚だけでなく、政務三役も予算確保の側に回った。
仕分けの結果、例えば、特定地域で規制緩和を進める内閣府の総合特区制度の推進調整費820億円は、政府の新成長戦略の目玉事業という位置づけなのに、予算計上見送りと判定された。
各府省側は、仕分け作業について「法的根拠がなく、閣議決定や政務三役の判断が優先されるべきだ」と主張する。 これに対し、仕分け人は、あくまで費用対効果や無駄の削減を追求する。
これでは、アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの ではないか。 各府省と仕分け人の間に 共通認識や明確なルールがなく、司令塔もないまま、こうした作業を行えば、混乱する のは当然だ。
仕分けの判定結果をどう扱うのか。閣議決定した案件との整合性をどう取るのか。そうしたルールを事前に、菅首相らが中心となって定めておくべきだった。
もはや事業仕分けにも、“仕分け”が必要だ。 過去の効果と問題点を冷静に検証し、今後の作業のあり方を決めねばなるまい。
各府省に公開の場で納得できる説明を求める。なれ合いを排し、第三者の視点で無駄を徹底して省く。その狙いは理解できる。
しかし、本来、多角的な検討が必要な政策の存廃を、わずか1時間程度で判断する現在の手法に無理がある のも明白だ。
この際、大衆迎合的な政治パフォーマンスを排し、より大所高所から政治家が事業の是非を判断する仕組みに見直すことを真剣に検討すべきだろう。
一方、仕分け作業による無駄の削減と財源の捻出に限界があることも改めて浮き彫りになった。
過去1年間の仕分けによる予算削減は最大1・5兆円で、見つかった国庫返納可能な埋蔵金は3兆円だ。民主党が政権公約で示した16・8兆円とは乖離がある。
民主党は、政権公約の誤りを率直に認め、大胆な見直しに取り組まなければならない。
(2010年11月20日01時15分 読売新聞)