JUNSKY blog 2015

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 【広島原爆の日】 平和宣言 と 関連番組

2011-08-06 23:44:34 | 戦争と平和
2011年8月6日(土)

 今日は、 【広島原爆の日】  合掌

 今年も 平和宣言(全文) を御紹介します(参考:毎日新聞Web版)。


     (画像は時事通信より )

     ***************

 広島平和宣言

2011年8月6日(土)

 66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。――「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経(た)つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです」

 ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。――「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた」

 原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。――「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。……『ごめんなさい』……」

 それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。

 被爆者は、様々(さまざま)な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇(よみがえ)らせました。

 その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。

 私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取り組みを強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。

 今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿(ほうふつ)させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

 また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

 日本政府は、このような現状を真摯(しんし)に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

 平成23年(2011年)8月6日

 広島市長 松井一実 



     *****************


 「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」に出席した【菅直人首相は犠牲者の冥福を祈るとともに、あいさつで原発事故にふれ、「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指す」との持論を改めて示した。】(産経新聞) という。
66回目原爆の日、広島に異例の夏 首相、改めて「脱原発」
 (産経新聞) - 2011年8月6日(土)15:11
 

 NHKでは、原爆忌特別番組として、

【NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報】 
  を今夜放映した。

 簡単に番組の趣旨を書くと、

日本軍諜報部隊は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒し、8月6日朝、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。
 そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、誰もが「第2の原爆」と確信した。
 情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎への2度目の悲劇も防ぐことはできなかった。 

   というものである。

 迫り来る危機を察知しながら国民を守る手立てを取らなかったことに
当時この信号を傍受して上層部に報告した兵士(生存者)は、悔しさを
隠さず、「今も同じようなことではないでしょうか」と問うていた。

 具体的には語らなかったが、私が類推するのは、原発事故の差し迫った
国民の危機に対して、避難措置を今も取っていない政府の対応であり、
これが、重ね合わせとなって見える。

 その上、この政府は、危険を見越して“自主的に”避難した人々には
費用などの補填をしないのだという。

     *************

 話は関連するが少し変わって原発に関して・・・

有能な女優・鈴木杏さんが、ツイッターで脱原発宣言! を
公言したという話。

下記をクリック
        @Anne_Suzuki


     *************

 また、原爆詩集の朗読をライフワークとしている吉永小百合さんは、
東京電力福島第一原子力発電所の事故に触れ、
「日本から原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。
  とのこと。

吉永小百合さん、「原発なくなって」と訴える
 (読売新聞) - 2011年8月1日(月)14:01



  吉永小百合さん、原爆詩を朗読 「原発なくしてほしい」
          (共同通信) 2011年7月31日(日)23:01




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66回目原爆の日、広島に異例の夏 首相、改めて「脱原発」
 (産経新聞) - 2011年8月6日(土)15:11
 

 広島は6日、66回目の「原爆の日」を迎えた。爆心地近くの平和記念公園(広島市中区)では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、被爆者や遺族ら約5万人が犠牲者の冥福を祈った。東京電力福島第1原発事故による放射線被害が収束していない中での式典。菅直人首相は犠牲者の冥福を祈るとともに、あいさつで原発事故にふれ、「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指す」との持論を改めて示した。

 犠牲者の追悼が目的の式典でエネルギー政策に触れるのは異例。原発事故を受け、首相の強い意向で盛り込んだ。

 首相はあいさつで、原発事故について「世界各国に大きな不安を与えた」と陳謝。国のエネルギー政策に関して「白紙からの見直しを進める」と強調し、「事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来の世代に伝えていくことが責務」と訴えた。

 式典終了後、菅首相は広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)など被爆者7団体と意見交換。続いて行った記者会見では、被爆者団体が求めている「黒い雨」による被爆救済範囲の拡大について「できるだけ早い時期に方向性を出したい」と明言した。また、原子力規制の組織再編案については「たたき台として両論を併記した。時間をかけずに方向性を定めたい」と述べた。

 広島市の松井一実市長は平和宣言で、初めて被爆者2人の手記を引用。今も続く被爆者の苦しみを訴え、核保有国に対し、核兵器の廃絶に向けた取り組みを進めるよう求めた。東日本大震災にも言及し、「広島は一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援している」と述べた。

 また原発事故が「原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘し、国に「国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきだ」と求めた。

 式典では、この1年間に死亡が判明した被爆者5785人を書き加えた計27万5230人の原爆死没者名簿を慰霊碑に奉納し、被爆者や遺族代表らが献花。原爆投下時刻の午前8時15分に「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者が黙祷(もくとう)した。

 国内外の被爆者は今年3月末で21万9410人。前年より8100人余り減少し、平均年齢も77・44歳と0・71歳上がった。 



【NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報】 の解説ページから

「8・6」にプロ野球=広島で53年ぶり
 (時事通信) - 2011年8月6日(土)21:03



     プロ野球・「被爆ピアノ」で演奏する
      (時事通信) 2011年8月6日(土)20:43
  広島―巨人の試合前に「被爆ピアノ」で演奏に臨む萩原麻未さん。
  広島原爆の日の8月6日に、広島市でプロ野球公式戦が開催
   されるのは53年ぶり=マツダスタジアム【時事通信社】


鈴木杏、ツイッターで脱原発宣言!
廃棄処分のCM出演に「生まれて初めて後悔というものをしています」

 2011年8月5日(金) 18:50 シネマトゥデイ 



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【NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報】 の解説ページから 

 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。
 日本軍諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するあるB29部隊。その部隊こそ、後に広島と長崎に原爆を投下する『第509混成部隊』だった。日本軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日朝、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、誰もが「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎への2度目の悲劇も防ぐことはできなかった。
 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報をつかみながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか……。原爆投下から66年が経った今、初めてその問いに迫る調査報道である。
 



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