今日は、【長崎原爆の日】 合掌!
今年も 広島 に続いて、
平和宣言(全文) を御紹介します(参考:朝日新聞Web版)。
式典会場では、純心女子高の生徒たちが平和を祈って「千羽鶴」を合唱した
=9日、午前11時48分、長崎市、朝日新聞・森下東樹撮影
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長崎平和宣言
2011年8月9日
今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然(がくぜん)としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
◇
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。
世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂(さくれつ)する恐ろしさを。
人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄(すさ)まじい爆風。廃墟(はいきょ)には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。
そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。
◇
一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器のない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立など一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを強く推進していくことを求めます。
日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えます。「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態に即した援護の充実をはかってください。
長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。
「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さな原爆展を開催してください。世界の街角で被爆の写真パネルを展示してください。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪をつなげていきましょう。
◇
1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことをここに宣言します。
2011年(平成23年)8月9日
長崎市長 田上 富久
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「原子力から転換を」 長崎市長が平和宣言
66回目の原爆の日
(西日本新聞)- 2011年8月9日(火) 11:25
再生エネルギー開発を…長崎原爆忌「平和宣言」
(読売新聞) - 2011年8月9日(火)13:58
長崎市長、脱原発訴える 原爆の日・平和宣言
(朝日新聞) - 2011年8月9日(火)11:18
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「原子力から転換を」 長崎市長が平和宣言
66回目の原爆の日
(西日本新聞)- 2011年8月9日(火) 11:25
長崎は9日、66回目の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園では長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。田上富久市長は平和宣言で、東京電力福島第1原発事故について、被爆国の国民が再び放射線の恐怖におびえることになったと指摘。原子力に代わる、安全なエネルギーを基盤とする社会への転換を求めた。
原爆を投下した米国代表としてジェームス・ズムワルト駐日首席公使が初めて出席したほか、英、仏、ロシアの核保有国を含め、過去最多の44カ国代表が集った。約5600人の出席者は、原爆投下時刻の午前11時2分に合わせて黙とうした。
菅直人首相は6日にあった広島市の式典に続き「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく」と表明した。
平和宣言は福島の事故で原発の「安全神話」が崩れたとし、「長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要」と訴えた。原発の是非に触れなかった広島市の平和宣言より踏み込んだ。
さらに原発1カ所の事故で社会不安を招いている現状に照らし「核兵器で人々を攻撃することが、いかに非人道的なことか」と言及。「核兵器のない世界」を表明後も臨界前核実験を繰り返すオバマ米大統領に対しても「被爆地を、世界の人々を失望させることなく、リーダーシップを発揮してほしい」と核兵器全廃の取り組みを要望した。日本政府には非核三原則の法制化などを求めた。
式典には瀬戸孝則福島市長や福島県いわき市の中学生43人も出席。平和宣言でも被爆から復興した都市として「福島の皆さん、希望を失わないでください」と呼び掛けた。
式典では、この1年間に死亡が確認された被爆者3288人の名簿3冊が納められ、奉安者は計15万5546人となった。長崎市内の被爆者健康手帳所持者は4万908人で、平均年齢は76・8歳(3月末現在)。
=2011/08/09 西日本新聞=
再生エネルギー開発を…長崎原爆忌「平和宣言」
(読売新聞) - 2011年8月9日(火)13:58
長崎は9日、66回目の原爆忌を迎えた。長崎市松山町の平和公園では、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われ、被爆者や遺族ら約6000人が犠牲者の冥福を祈った。
式典には原爆投下国の米国政府代表が初めて出席。田上富久市長は「長崎平和宣言」で、東京電力福島第一原子力発電所事故を受け、「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要」と原子力依存からの脱却を求めるとともに、放射線の脅威を改めて強調し、「核兵器はいらない」と訴えた。
田上市長は宣言で、「被爆国の私たちが、どうして放射線の恐怖におびえることになったのか。人間の制御力を過信していなかったか」と問いかけ、将来的な目標として「より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換」を呼びかけた。
また、東日本大震災の被災者に対し、廃虚から復興を遂げた被爆地として「希望を失わないで」と激励するメッセージを送った。
一方、菅首相はあいさつで、広島市での平和記念式典に続いて、「我が国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めている」とし、改めて「『原発に依存しない社会』を目指す」と表明した。
長崎市長、脱原発訴える 原爆の日・平和宣言
(朝日新聞) - 2011年8月9日(火)11:18
長崎は9日、戦後66年の原爆の日を迎えた。長崎市松山町の平和公園で市主催の平和祈念式典があり、田上富久市長は「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要」とする平和宣言を読み上げ、被爆地として脱原発へ踏み出す考えを表明した。
原爆投下時刻の午前11時2分、黙祷(もくとう)が捧げられ、続いて田上市長が平和宣言を読み上げた。東京電力福島第一原発事故を受け、「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのか」「人間の制御力を過信していなかったか」と指摘。「長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換」が必要として、脱原発を目指す考えを示した。核兵器廃絶、北東アジアを非核兵器地帯とする構想の実現も訴えた。
原発事故を受け、今年の平和宣言で「脱原発」を盛り込むかが最大の焦点だった。田上市長は、産業や市民生活への影響に対する議論がないとして「脱原発」に踏み込むことには慎重だったが、最終的には「原子力にかわる」という表現で脱原発を目指す宣言を読み上げた。宣言文を練り上げる学者や被爆者らの起草委員会での議論を経て、「二度とヒバクシャを生み出してはいけない」との市民の声に背中を押された。「原発ゼロへのプロセスは私もまだ分からない。でも、最終的にシンプルに、うそのない原点に立ち返ろうと思った」と田上市長。「ヒバクシャを絶対につくらない、その道の行き着く先は原発ゼロだ」と言う。
式典には、原爆を投下した米国からズムワルト駐日臨時代理大使(首席公使)が政府代表として初めて出席。このほか、核兵器保有国の英、仏、ロシアを含め、過去最多の44の国や欧州連合の代表が出席した。東日本大震災で被災した福島県いわき市の中学生43人と福島市の瀬戸孝則市長も参列した。
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