城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

いも談義 19.10.31

2019-10-31 19:44:35 | 野菜作り
 今日はハロウィンでカボチャが重要な役回りをするが、おじさんの話はサツマイモの話である。いつもだと安納芋だけだが、ベニアズマの挿し穂をもらったのでこちらも作った。9月に十分大きくなったベニアズマを収穫し、天ぷらや大学芋で食べた。10月中旬には安納も収穫した。

 随分沢山とれた

 収穫から2週間ほど(より甘くなる)たったので、まず干し芋で食べてみた。干し芋は、天日で作るのがおいしいと思うのだが、天気に左右されるし、場合によるとカビがはえてしまう。そこで我が家では「カラリンコ」という電気野菜乾燥機を使う。

 大根を収穫すると今度は切り干し大根を沢山作る これも冷凍保存する

それを使って作った干し芋

 沢山作り、すぐに冷蔵庫や冷凍庫にかみさんが入れる。もちろん作るそばで味見と称してつまみ食いする。

もちろん定番のふかし芋は最も簡単。そして、焼き芋。これが結構面倒で、従来の陶器製の鍋だと焦げないようにあるいは熱が万遍なくあたるようにとしばらく芋をころがずので、鍋から離れられない。ということで購入したのが、下の写真のホーロー鍋で、底に小石を敷き詰める。公称30分と書いてあるが、1時間くらいかかるので、あまり手間は変わらなかった。

 これもひっくり返す必要はある。

 それと最低気温が10度以下になるとサツマイモは傷んでくる。サツマイモを新聞紙で包み、冷蔵庫の上で保管するという方法もあるが、サツマイモは初めのうち息をしており、水分を出している。このままにしておくと、濡れて腐ってしまう。ネットで保存方法を調べて昨年試みて、良い結果を得た方法があるので紹介したい。

 胡蝶蘭等のための温室(ヒーターがあればビニールハウスでも良い)とヒーター(温度調整装置付き)を使う。温室の中の温度を30度、湿度を90%程度にし、その中にサツマイモを入れ、約4日その状態を維持する。そうすると芋を消毒したことになり、冬の間中、おいしく味わえることになる。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の金糞岳 19.10.29

2019-10-29 20:00:40 | 山登り
 金糞岳(1317m)、もう少しましな名前を付けて欲しかったと山が叫んでいるような感じがする。ブンゲンなど南の方から雪を抱いた金糞岳を見ると良い形をしているのがわかる。ここに最初に登ったのは、昭和54年11月25日、随分前だ。滋賀県側の登山口から3時間以上かけて登った記憶がある。しかし、岐阜県旧坂内村から鳥越峠を経て、滋賀県に通ずる林道(林道らしからぬ良い道)が出来たことにより、簡単に登れるようになった。数年前にこの短縮された道を登った。

 さて、今日は雨だったが、初めて登る二人の期待に応えて、リーダーのE氏は登る決断(大げさ)をした。行程も45分くらいということと雨の量もたいしたことはないという判断のうえである。10月15日に峠付近までE氏とともに偵察し、登山口を確かめておいた(E氏は直後登った)。前回も林道の雄鹿を目撃したが、今日も見た。今年の紅葉はダメだと話しながら林道を登っていくが、それなりにはきれいだと思った。

 岐阜県の登山口から登り出す。


 岐阜県側登山口 鳥越峠から滋賀県側登山口までは通行できる。その先で通行止めとなっているので、滋賀県側からアクセスはできない。

すぐに尾根に達する。尾根付近にはブナが多い。短時間でブナの森が楽しめるのは本当に贅沢。

ここの登山道も随分掘り割りのように沈み込んでいる。登山者が歩き、雨により土壌が流出し、掘り割り状となる。これは全国至る所で見られるが、これも自然破壊の一部だと思う。山頂に近づくと、緩い傾斜となり明治百年を記念する石柱が見えてくる。

天気が良ければこの先の白倉岳(1270.7m)に行くはずだったが、ここで引き返す。昼食は坂内の道の駅で食べた。汗冷えで寒くなってくる。季節は着実に進んでいる。

コースタイム 登山口9:22→山頂10:15


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揖斐すめらぎの森感謝祭 19.10.27

2019-10-28 19:18:10 | 地域のこと他
 令和元年記念「揖斐すめらぎの森感謝祭」が昨日、谷汲緑地公園で開催された。私は動員でその感謝際に出席したのだが、その華やかさと裏腹に日本の国土の約7割を占めるその森林の現状について少し語ってみたい。まずは、感謝祭の模様についてレポートする。


 式典のオープニングは宗次郎氏によるオカリナの演奏

 舞台はたにぐみ幼児園5歳児による谷汲踊

 会場の外は谷汲小6年生と保存会による谷汲踊

 左の写真:昭和天皇が昭和32年4月に開催された第8回植樹祭においてスギをお手植えされた
      この時、私は揖斐高校付近において当時谷汲村に向かわれる天皇を乗せた車を日の丸の小旗を振りながらお迎えした記憶がある
 中央の写真:昭和51年7月上皇、上皇后両陛下が当地を訪問
 右の写真:平成27年10月全国植樹祭において今上陛下が間伐を行う

皇室三代にわたる関係があることから、従来通称「天皇林」を正式に「すめらぎの森」と命名した。


 揖斐川町長が森づくり宣言を行った

 記念碑の除幕 金属製なのが気に掛かる

 会場風景

 式典等を見ながら、区長仲間のM氏がつぶやいた。森づくりの意義について、行政側と一般町民との間で大きな認識の差があるのではないか。ますます、人は森に入らなくなり、その実態を十分知らない。住宅地と接する里山でさえ、人は立ち入らなくなり、かつて食糧難時代に開墾した畑は急速に荒廃し、今や猪や鹿や猿が跋扈する所となった。山に入れば、管理されていない森林、林道は延々と伸びているもの大半はズタズタ。一体何のためか疑わざるをえないようなものばかり。

 田中淳夫著「絶望の林業」からその現状を見てみる。
〇戦中に行われた大皆伐の後、戦後造林が大々的に行われた。この時植林された木が伐採できるまでに育ってきた。
〇戦後高度成長期は材木不足となった。これを補ったのが外材の輸入だった。
〇現在、木材の供給量に占める国産材の割合は約30%に達し、増加中である。
〇人工林から産出される原木は、住宅建材になるA材、合板材料になるB材、製紙原料になるC材、さらにバイオマス発電の原料となるD材。当然後者に行けば行くほど価格は安くなる。
〇少子化などもあって最も価格の高いA材の需要がない。需要があるのは、B、C、D。伐採、搬出に国の補助金が出るので、その量が増えれば増えるほど関係業者は儲かる。
〇ところが、山主はA材の需要低迷もあって、山主に還元される利益がきわめて少ない。植林費用、育林費用がまかなえない。
〇住宅建材においても、その質(例えば乾燥具合)という点で外材に見劣りする。
〇中国に輸出されるようになった丸太、安いために人気だそうだが、安くしているのは国の補助金が入っているから
〇補助金を得て、間伐した木がその場に放置された結果、大水害の際に流出し、甚大な被害をもたらしている。

 ここで森づくり宣言において何度も出てくる「持続可能な」という言葉は、この現状からすると戯れ言にしかならない。農政の現状も酷いが、林政の現状はそれをはるかに上回る。もう少し国土の大半を占める森林のことについて、考えるべきだと思うが。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大垣市民登山・猪臥山 19.10.20

2019-10-21 20:46:43 | 山登り
大垣市民登山・猪臥山(1519m)報告 2019.10.20
 

 当会主催の大垣市民登山大会が高山市と飛騨市の境界にある猪臥山(いぶせやま又はいぶしやま)で行われました。何度も襲来する台風を心配しながら、当日を待ちました。幸い前日の大雨からは回復しましたが、回復は遅く、曇りの中、鮮やかなはずの紅葉もどこかしらくすんで見えました。40名(一般参加者16名)は3班に分かれ、登山口から登ったり、下ったりを繰り返しながら、登山道周辺の笹の緑とカラ松の黄色、カエデの赤、ブナの黄色を楽しみながら、少し滑りやすい道を山頂まで登りました。
 山頂は生憎ガスの中で山頂直下のお社でお昼を食べ、その後基本的な登山の講習等を行いました。下山の時間になって、眼下の旧古川町の市街が見え始めました。また、少し陽も当たってきて、鮮やかな紅葉の一端を楽しむことができました。小学校2年生の男の子と一緒に参加した母親は、「今回初めて市民登山に参加した。岐阜の山はまだほとんど知らないので、できるだけ多くの山に登ってみたい。今回はとても楽しかった。」と言っていました。


 今回の登山コース
 
 大垣をマイクロバス2台で7時に出発。清見インターで下り、通称「飛騨卯の花街道」に入り、長い猪臥山トンネルの手前にある登山口で下車。小倉総リーダーと堀会長からの挨拶の後、9時半登山開始。この登山路は標高差500mですが、長い尾根の登り下りが連続し、意外としんどいと思います。

 登山口

 歩き出しは急登、しかも登山道は前日の雨で滑りやすくなっているので、ゆっくりと登っていきました

 最初の休憩、甘いもののお裾分けの輪が広がります

 少し紅葉も見られます

 ここも急登です

 12時15分ガスの中に山頂が見えてきました

 12時26分、登り始めから約3時間で山頂に着きました

 山頂で集合写真、この後万歳もしました

 昼食の後、講習会が始まりました。登山に大事なのは地図とコンパス、さらには雨具とヘッドランプ
 我が会の看護師から骨折した場合の対処法も教わりました

 下山時に少し陽もあたり、古川の町を眺めることができました

 同上

 下山開始

 登ってきた尾根が見えてきました

 3時20分登山口着。参加者全員約10kmの行程を遅れることもなく歩き通しました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三国岳敗退の記 19.10.15 

2019-10-15 21:07:06 | 山登り
 さて、昨夜は門入関連のテレビ番組を見ていただけただろうか(本ブログ 「旧徳山村門入がテレビで紹介 19.10.12」)。やはり、テレビはテレビ編集(要するに一般の視聴者にとって面白いかどうか)だった。この番組を見て、門入あるいは旧徳山村の実態についてがっかりした方がいたとしたら、それは違うよと言っておきたい。NHKが嫌いな人には申し訳ないが、やっぱり民放とNHKはその真面目さにおいて違うと年寄りは思う。例えドキュメンタリーでも編集者の考えがにじみ、ウソっぽいところも出てくる。ましてや、娯楽番組であったとしたら、もう本当の事実は後景に沈んでしまっている。
 今日、その番組に影武者のように2回も出ていたのが、我が山とものE氏。1回目は私も気づいたが、2回目は気づかなかった。そのE氏と車の中でお互い番組の感想をしゃべりあいながら向かったのが、夜叉ヶ池。今日の目的は、池の西南にある三国岳。E氏はひざ、小生は脊柱管狭窄症が疑われる足に故障を抱えながら挑んだ。快調に夜叉壁を登り、県境に立ったが、稜線は寒い風が吹き、ガスが立ちこめている。

 幽玄の滝

しばらく様子を見た後、とにかく夜叉ヶ池山(1206m)まで行くことにした。池に下りる地点を過ぎると、痩せ尾根、岐阜県側は断崖絶壁。なんでもここで亡くなった方もいるとか。急登の後、緩やかな場所に出る。ここは池や三周ヶ岳の展望が素晴らしい。
 そこを過ぎると、登山道が藪の中に隠れてしまっている。踏み外さないように慎重に進む。最後に登り、夜叉ヶ池山に到着したが、展望は全くない。

 夜叉ヶ池山山頂
かつて、夜叉ヶ池へは尾根を登っていた。その尾根の終点がこの近くにあった。このピークを過ぎるといよいよ三国岳へ向かうことになる。地形図では一旦100m程下り、再び100m登る。距離は1kmあまり。踏み跡さえあれば短時間で到達できるはずだった。ところが、途中で踏み跡を見失った。残置赤布も途中で見えなくなる。しばらく進むが、踏み跡は見つからない。だんだんと登る意欲がくじかれるのが自覚できる。1時間ほど迷走し、結局あきらめた。近いが、三国岳は手強いことがわかった。仕切り直しをすることにし、いさぎよく撤退した。
 池の直ぐ上でお昼を食べていたところ、金沢から来たという女性が登ってきた。池から夜叉ヶ池山まで20分とガイドブックに書いてあったので、来たのだそうだ。しかし、登山道に覆い被さるような藪があるので、その時間では無理だと言っておいた。私たちでも40分以上費やした。福井県側からはその女性も含めて3組くらいが池に来ていた。こちらの方がむしろメインルートのようだ。

 三周ヶ岳の山頂は雲の中




帰る途中、リンドウとダイモンジソウを見つけた。

 リンドウ

 ダイモンジソウ

タイム 駐車場8:20→稜線9:40~9:50→夜叉ヶ池山10:36→藪と格闘~11:20(ギブアップ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする