城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

夏越しの大祓 19.6.30

2019-06-30 19:28:49 | 地域のこと他
 今日は朝から雨。城台山への散歩、畑仕事もできない。昨日から「夏越大祓」の行事が三輪神社にて行われている。少し小降りになったので、家内と一緒に出かけた。半年間の無事を感謝し、残り半年の無事を祈った。
 子ども時代は、「知恵の輪」くぐりとして伝統的行事の一つであった。輪を歳の数だけ8の字に回るのだが、今の年齢では目が回ってしまうので、適当なところでやめる。子どものころ、輪は結構大きいと思っていたが、当たり前だが大人になると随分小さく感ずる(ひょっとして、サイズが小さくなったのかもしれないが)。帰りにくじ引き(この神社ではときどきこれが行われる)し、私はティッシュペーパー・ボックス、家内は石けんをいただいた。
 この輪は、正式には「茅の輪」と言い、広辞苑で調べると、茅(チガヤ)を紙で包み束ねて輪の形に作ったもの。これをくぐって身を祓い清めるとある。「知恵の輪」とは祭日などに草で作った輪をいい、これをくぐれば知恵を得るという。子どもには後者の方がわかりやすいので、知恵の輪とずっと思っていたのではないか。








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キタダケソウを求めて(2年前の記録から) 19.6.28

2019-06-28 19:45:51 | 過去の山登り記録
 
 昨年の白馬岳に続き、2回目のセンチメンタル登山としてキタダケソウが期待できる北岳に登ってきた。花の開花時期が6月下旬から7月上旬という梅雨の真っ只中ということもあって、天気予報で良さそうな7月1日揖斐出発、登山基地の芦安温泉に泊まり、2日早朝登り、3日肩ノ小屋から頂上及びキタダケソウ群生地を巡り、下山という計画をたて、実行した。

 4時宿を出発、5時芦安駐車場から乗り合いタクシーで小雨の中広河原に向かう。夜叉神峠でゲートの開くのを待ち、6時少し前に広河原到着。


 6時過ぎに出発、すぐに吊り橋を渡る。ここから北岳に至る道は大学4年の時仲間と登った道、初めてのテント山行で重荷に喘いだ記憶のみが鮮鋭。20分ほど緩やかな大樺沢に沿った道、大樺沢を登るルートと別れ、いよいよ本格的な登りとなる。白根御池小屋まで標高差600m
を一気に登る。登りが終わると小屋までトラバース道が続く。8時半小屋着、気持ちの良さそうな小屋。

最初の計画では岐阜を早朝に出て、ここに宿泊し、翌日北岳をピストンし、下山する計画を立てたが、キタダケソウを見る時間最低でも1時間以上必要なため、帰りのバス等に間に合わなくなる可能性もあることから、2泊3日の計画に変更。

8時50分小屋発。

いよいよ草すべりの急登。花は種類は少ない。

 シラネアオイ               
二股分岐(約2750m)に10時50分到着。

富士山が見えた

 鳳凰三山
分岐から少し進むと雪渓上の道となる。事前情報では軽アイゼン必携とのことだが、ここでは必要ない。いよいよ北岳から続く主稜線となり、風が強くなる。キバナシャクナゲが咲いている。またシナノキンバイの群落を見つけた。

ハクサンイチゲも一杯咲いている。少し岩場を登ると小屋は近い。小屋着、12時10分。

北岳肩ノ小屋、頂上はガスの中
 
 小屋で小休止し、明日天気が保証されないので、北岳往復とキタダケソウ群生地までピストンすることに決定。生憎とガスはより濃くなってきている。ガスの中、頂上で記念写真。さてお目当てのキタダケソウは肩ノ小屋とは反対側の北岳山荘側にある。
頂上の南側は注意を要する岩場がある。登ってくる女性に花について聞く。この先分岐付近に少しとトラバース道に群生しているとの由。
分岐まで結構遠い。分岐から八本歯へと急に下る。途中で一緒に登ってきたテント持参の単独行者に聞くと、この付近でも咲いているが、最盛期を過ぎている。トラバース道を北岳山荘が見えるところまで行かないと完全なものは見られないとのこと。相方がキタダケソウを発見、ハクサンイチゲに似ている(この付近はほとんどこの花)ので、決め手は葉の形。見つけたが、花の一部が欠けていたり、花期は終わりのようだ。

 この後もトラバース道まで下っていったが、現在2時半を過ぎているし、天気も良くなる気配はない。さらに北岳への登り返しを考えるここで打ち切りとするのがベスト。戻る道筋で少し形の良いものを見つけた。

戻る道で色々な花と出会う。

 ハハコヨモギ(北岳に多い)            
 
 小屋に帰ったのが4時、お疲れ様でした。ビールで乾杯。夕食は5時から、突然フランス語が聞こえてくる。見ると女性3に男1、男性とは北岳に同じ頃登った。小屋料金は8千円、北アルプスと比べると安いが、設備、食事内容が比較的簡素、でも十分。
歯を磨いたり、体を拭いたりするための水がない(天水はあるが)。大学時代は水場が随分下った所にしかなく、苦労した思い出がよみがえる。

 翌朝は強い風に雨で再度のキタダケソウは中止。6時に下山開始、10時広河原着。芦安温泉で汗を流し、帰宅。5時過ぎに自宅に到着。
やっと焼酎の炭酸割りを堪能した。
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三つ子の魂百まで 19.6.23

2019-06-23 20:58:53 | 面白い本はないか
 今日は、老人会の行事があった。地区の35名のお年寄り(私も含めてだが)が参加し、おしゃべり、昔の歌を歌う、じゃんけん、昼食と盛りだくさんの行事が続いた。元保育園の園長さんがリーダーとなって懐かしい歌を歌うのだが、歌の合間の元園長さんのおしゃべりが面白い。しかも、今日は電子ピアノの伴奏付き。ボランティアしていただいたOさんに深く感謝。その後、いつもの城台山を飛び越えて、城ヶ峰まで歩いてきた。意外とさわやかな風が吹いており、大汗はかくが快調に登ることができた。


 先週日曜日の朝のレインボー

 少し私の子ども時代の話をしよう。食べることに不自由はしなかった(しかし、肉と言えばかしわばかりだった。「とんかつ」なるものを食べたのはずっと後のこと)。家には絵本やおもちゃもなかった。自然を相手に遊んでいたので必要なかった。まわりを見回しても、ほとんど同じような家ばかりであったので、我が家が貧乏と思ったことはない。ただ、友達の家に行った時などに、見たこともないようなお菓子を出されたときは少し羨ましいと思った。私の従兄弟達は、ゴム靴だったと思う。時には青ばなの子どももよく見かけた。

 再び今に戻る。先日、地区の小学生、中学生が一同に会する小中合同分団会が開かれた。議題は夏休み中の活動で、特にラジオ体操。全部で34人の子どもたちを見ていても、特別変わった子どもはいないように見える。しかし、日本の子どもの6人に1人は相対的貧困(知らない人は検索してください)にあると言われているので、単純計算で5~6人が貧困にあることになる。なぜ、こんな話を私はしなければならないのだろうか。少子化に悩む日本において、先進国最悪の子どもの貧困率である。この国の未来を背負って立つ子ども達が、貧困故に未来について希望を持つことができない。地方自治体あるいはNPO等が、無料の学習塾やフードバンクを支援する動きが広がっているし、政府では法律を作ったし、幼児教育の無料化も実現される。しかし、貧困の状況は、各家庭によりあまりにも様々でこれをすれば解決できるような問題ではない。貧困を「自己責任」だという大人の方も、まさか子どもまで自己責任だと言わないと思うが。

 志賀信夫他「地方都市から子どもの貧困をなくす」、日本財団「子どもの貧困が日本を滅ぼす」、朝日新聞取材班「子どもと貧困」。共通しているのは、子どもの貧困について、それを認めない大人が多いことである。確かに、食べることにもことかくような事例は少ないが、バランスのとれた食事をしていない子どもは多い。学校の給食が唯一のきちんとした食事で夏休みになると困ってしまう。生活をするのに精一杯な家庭では、親子のふれあいもできない状況におかれている。経済的理由により、学力不足になり、進学もできなくなれば、その子どもだけでなく、国としても大きな損失となる。

 ジェームズ・ヘックマン「幼児の教育の経済学」は、タイトルのとおり、幼児の時期における様々な支援が十分経済的なプラスになることを主張する。特に強調しているのが、非認知能力(意欲、長期的計画を実行する能力、他人との協働に必要な社会的・感情的制御)。これが、就労、大学進学、十代の妊娠、犯罪などに大きく影響する。安部政権が無料化に踏み出したのもこの本あるいは過去の実験に寄るところが多い。

 また、ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」も面白い。著者は、英国のいわゆる最底辺の無料託児所の保母を務める。英国は、ミドルクラスとその下のクラスの間には、話す言葉も違うような格差がある。しかも、移民も多く、その移民達がアンダークラスを差別する。託児所に来る子どものワイルドさは私の想像を超える。また、この国では子どもは社会が育てるという考えが支配的。親に問題があれば、子どもを行政が取り上げる。日本では親の権利を重視しすぎて、子どもを死なしてしまう事件が頻発する。ブレアの労働党政権から保守党政権に変わり、児童福祉などが大幅に削減された。著者の託児所も閉鎖され、フードバンクに変わった。またこの国では、生活支援を受けながら働かずに暮らす人たちが多いことに驚く。随分と問題が多い英国だが、子どもの貧困率は日本より随分低い。
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揖斐厚生病院の移転 19.6.20

2019-06-20 19:47:30 | 地域のこと他
 揖斐厚生病院の移転の記事がついに中日新聞西濃班に掲載された。

 6月13日中日新聞 西濃班

 私がこの話を最初に聞いたのは、今年の初めだった。いつも通っている揖斐厚生病院の近くの整体治療院で先生から聞いた。おそらく、ここに通う病院の職員から聞いた話だと思う。その次に聞いたのは、毎月開かれる区長会でのことであった。その後、町議会に対して、厚生連の方から説明があり、その概要が区長会で説明された。

 開設されたのは、昭和27年とあるから、わが人生とほとんど重なっていることになる。すなわち、ものごころついた時には、すでに存在していた。揖斐川町民にとって当たり前だったものがなくなる。最近では、耳鼻科や眼科あるいは皮膚科などたまにお世話になってきた。また、母親の整形外科への通院に何回か立ち会ってきた。現在は、2年前からここで人間ドックを受けている。地域に中核となる総合病院があることの恩恵は計り知れない。我が家から病院まで歩いてもわずか10分、ここで叔父たちを見舞い、そして亡くなった。

 移転の理由は、外来等の耐震性の問題、医師が確保できない、患者の現象などである。かつて、揖斐川町は揖斐郡の中心であったが、人口減によりその地位を失っている。良く聞く話だが、お客さんを連れて行けるような飲食店がない。さらに、このブログでも紹介したが、ショッピングセンターが一つなくなった。こうなると、悪いことは重なってくる。

 揖斐厚生病院外来棟 ここの耐震性が問題となっている


 大野町に移転した後、この病院を受診することはあるだろうか。西濃地方には大垣市民病院という高度医療も担う病院がある。難しい手術はこの病院でないとできない。しかし、この病院患者が多すぎて、患者のQOLという点からすると問題が多いように思う。急性期を過ぎるとすぐに退院となるとも聞いている(診療点数が高いときだけ入院させる。経済的には最高のパーフォアマンス!!)。大野町に移った新病院がその機能を充実させ、一次から二次までの医療を責任を持って担当できるようになることを切に希望する。
 
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釈迦嶺(1175m)に登る 19.6.17

2019-06-17 20:29:42 | 山登り
 前から登りたいと思っていた釈迦嶺に山友を誘い挑戦した。冠峠に向かう道と分かれ、道谷沿いの林道を進む。舗装されているが、雨のためか細かい石が落ちてきている。また、沢から流れ出す水の量は多い。ウソ越え(峠)の手前で道路が大きくえぐられた工事現場があった。

この手前に車を停めたが、この現場を通過できなければ先へは進めない。何とか通ることができほっとした。

ウソ越え、ここの手前からは沢の水は東に流れ、徳山ダム湖に注ぐ。一方、ウソ越えの先からは水は釈迦嶺を反時計回りに流れ、赤谷から徳山ダムに注ぐ。

 今回初歩的な道間違いのミスを2回もおかした。最初は高倉峠(通れないが)方面に進み、再びウソ越えまで戻ったのだが、沢沿いの廃林道を間違って進んだ。

 沢沿いに進む廃林道 入口に立つ鉄の柱にだまされる この左に釈迦嶺の山腹を巻いている廃林道の入口がある

 いずれも地形図を見ていれば犯すはずのないミスで深く反省した。ここで約1時間をロス、9時半に再出発となった。さて、廃林道のどの地点で尾根に取り付くか。協議の末、少し先の方から取り付くことにした。

 尾根取り付き地点

それほど急な道ではないし、藪もひどくはない。しかし、この先の笹が出てきたところから藪が酷くなった。ときたま踏み跡に助けられるが、すぐに見失う。尾根の最も高いところを進むとまた道が現れる。

 先が見えたのはここだけ 山頂方面
近いのだが藪のため進まない。山頂付近の平坦なところの藪漕ぎは苛烈を極める。廃林道の出発点から約2時間半で待望の山頂に到着。
 山頂には三等三角点「釈迦嶺」があるが、三畳ばかりが刈り払われているのみ。金草岳の稜線の一部が見えるほかは、何の展望もない。


 山の標識らしきものがぶら下がっている

 金草岳の稜線の一部が見える

12時45分下山開始したが、藪はむしろ下りが難しい。少し油断すると激藪に突入してしまう。相方の付けた赤テープとGPSがたより、何度も確認しながら約1時間半で取付点に到着。実質4時間+間違いの1時間=5時間であったが、ハードな山登りであった。帰り道、工事現場には3人の関係者が来ていた。来るときにあれほどあった石もきれいになくなっていたのには驚いた。


廃林道入口で思わず万歳

 形が違って見える冠山 右の方はイソクラ、能郷白山


 廃林道入口付近が「ウソ越え」となる
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