今日、朝8時から三輪財産区が所有する墓地の草刈りを行った。4月に就任した初仕事。三輪地区の各地区からの役員で行ったのだが、皆さん草刈り機持参であったため、簡単に終わると思ったが意外と時間がかかった。おじさんの草刈り機は自動でビニール紐が出てくるタイプあるいはたたくと出てくるタイプでもなく、ビニール紐2本をセットするタイプ。いつもしている畑まわりではこのタイプで問題がなかったが、墓石や砂利など障害物が多いところでは、すぐにビニール紐が短くなってしまい、用を足さない。結局1時間半程度作業を行って、休憩。既に知っているMさんを中心とした会話が弾むが、このあと自分の畑の草刈りをしたいので、途中で抜け出した。委員長から来週の土曜日、城台山(ここも財産区の所有地が多い)一心寺下の竹林の今年大きくなった竹を切る作業を行うことが告げられた。
10時過ぎから今年3回目となる畑の草刈り開始。この作業を9月一杯まで行い、例年だと9回程度草刈りを行うことになる。雨が多いと草は急速に成長する。ビニール紐だとあまり期間を空けすぎると草の丈が長くなり、刈りにくくなる。草刈りするところは畦畔や水路の斜面、これらは自分の所有地ではない。土地改良が済んでいるので、ほとんどが土地改良区の持ち物だ。では自分の土地でもないところをなぜ草刈りするのだろうか。土地改良区はもちろん草刈りしないし、まして町もしない。
草刈り前 この畦畔と水路の斜面はおじさんの持ち物ではない
草刈り後 左に少しだけ見えるのは別の耕作者が行っている その耕作者の土地は道路を隔てたところにある
おそらく道路が出来る前は、水路のそばには耕作地があったということで慣例に従い草刈りをしているのだろう
これが宅地となった場合、新たに所有者となった方は自分の土地でもないところを草刈りしてくれるのだろうか
(おじさんが売却した土地の所有者は有難いことにこうした慣例を守っていてくれる)
草刈りしたあとのおじさんの畑 気持ちが実にいい!!
水路の管理は、まず第一に土地耕作者がすることになっている。ところが、耕作者が高齢となり、農協等に耕作を委託するのが普通になってきた。農協も年に2回程度は草刈りをしてくれるが、これでは十分でないので、容易に雑草が繁茂する。この管理が最近の地区の悩みとなっている。水路は耕作者(地元では実行組合というのがある)が3月の美化デー(要するに水路の掃除、今年はコロナの影響で行っていない)にあわせて、水路にたまった土砂を除去する。ただし、実際は耕作していない者ばかりとなっているので、自治会に丸投げされるケースが増えてきている。もちろん問題は水路だけでは無い。空家となった庭はいまや野良猫のすみかとなり、また出火の原因ともなりかねないので、悩みの種となる。だからといって、人の所有地に勝手に入り、草刈り、徒長する庭木の剪定を行うことはできない。役場にこうした事情を話しても、どうすることもできない。
かつて、畦畔等の草は耕作者が奪い合うようなものであった。我が家でもそうだったが、かなりの家が牛を飼っていた。最初は耕作の動力、そして次には生まれた子牛を売り、収入にしていた。今の牛は配合飼料で育てられるが、かつては草がメインであるから、畦畔等の草は貴重な餌となる。しかし、機械化が進み、さらに農業離れが進むと、こうした草は厄介なものになってしまった。70代、80代となっても健康であれば草刈りはできると思うが、それにしてもいつかはできなくなる。かつて農村はこうした無償の労働奉仕により維持されてきた。GDPには反映されない労働が失われるとき、地域の運営も不可能となるのかもしれない。
10時過ぎから今年3回目となる畑の草刈り開始。この作業を9月一杯まで行い、例年だと9回程度草刈りを行うことになる。雨が多いと草は急速に成長する。ビニール紐だとあまり期間を空けすぎると草の丈が長くなり、刈りにくくなる。草刈りするところは畦畔や水路の斜面、これらは自分の所有地ではない。土地改良が済んでいるので、ほとんどが土地改良区の持ち物だ。では自分の土地でもないところをなぜ草刈りするのだろうか。土地改良区はもちろん草刈りしないし、まして町もしない。
草刈り前 この畦畔と水路の斜面はおじさんの持ち物ではない
草刈り後 左に少しだけ見えるのは別の耕作者が行っている その耕作者の土地は道路を隔てたところにある
おそらく道路が出来る前は、水路のそばには耕作地があったということで慣例に従い草刈りをしているのだろう
これが宅地となった場合、新たに所有者となった方は自分の土地でもないところを草刈りしてくれるのだろうか
(おじさんが売却した土地の所有者は有難いことにこうした慣例を守っていてくれる)
草刈りしたあとのおじさんの畑 気持ちが実にいい!!
水路の管理は、まず第一に土地耕作者がすることになっている。ところが、耕作者が高齢となり、農協等に耕作を委託するのが普通になってきた。農協も年に2回程度は草刈りをしてくれるが、これでは十分でないので、容易に雑草が繁茂する。この管理が最近の地区の悩みとなっている。水路は耕作者(地元では実行組合というのがある)が3月の美化デー(要するに水路の掃除、今年はコロナの影響で行っていない)にあわせて、水路にたまった土砂を除去する。ただし、実際は耕作していない者ばかりとなっているので、自治会に丸投げされるケースが増えてきている。もちろん問題は水路だけでは無い。空家となった庭はいまや野良猫のすみかとなり、また出火の原因ともなりかねないので、悩みの種となる。だからといって、人の所有地に勝手に入り、草刈り、徒長する庭木の剪定を行うことはできない。役場にこうした事情を話しても、どうすることもできない。
かつて、畦畔等の草は耕作者が奪い合うようなものであった。我が家でもそうだったが、かなりの家が牛を飼っていた。最初は耕作の動力、そして次には生まれた子牛を売り、収入にしていた。今の牛は配合飼料で育てられるが、かつては草がメインであるから、畦畔等の草は貴重な餌となる。しかし、機械化が進み、さらに農業離れが進むと、こうした草は厄介なものになってしまった。70代、80代となっても健康であれば草刈りはできると思うが、それにしてもいつかはできなくなる。かつて農村はこうした無償の労働奉仕により維持されてきた。GDPには反映されない労働が失われるとき、地域の運営も不可能となるのかもしれない。