城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

早春の花たち① 22.2.26

2022-02-26 20:04:28 | バラ、クレマチス等
 昨日は昼から畑で作業。まずは、ジャガイモの植付け準備を行う。既に石灰は散布し、畝は作ってあるので、畝の中央の土を両側に寄せ、そこに堆肥と肥料を投入する。昨年の植え付けは3月1日だったが、今年は昨年より寒いので一週間程度遅らす予定だ。種芋は2kg、すべて男爵、これを二等分または三等分し、日光に2,3日当てて消毒する。次に3月下旬頃種を蒔く予定のニンジンの畝を作った。そして、今日3月下旬~4月上旬頃植付ける予定の里芋の場をつくろうと管理機を使って作業し始めたが、しばらくしてエンジンの調子が悪くて、途中で中止した。管理機を使うことが少ないので、かえって故障が多くなる。農機具店に電話して、修理してもらったが、今日の作業は断念した。

 寒さが緩んできて、いよいよ早春とでも呼べる季節になってきた。池田山や小島山は例年になく雪が多く残っているが、庭の花、リュウキンカやクリスマスローズが咲き出した。まずは鉢のクリスマスローズからで、地植えのそれはつぼみが一杯出始めているが、まだ花は見せていない。

 小リュウキンカ 、もともと高山性の植物なので暑くなると上部が枯れてしまう

 ダブルのクリスマスローズ この花が一番早く一週間ほど前から咲き出した

 ウィンタームーンビーム(冬の月の光)購入してから14年たつ 葉がきれい

 ブラック咲き始め

 去年、鉢植えのクリスマスローズの植え替え(9月頃)を全くしなかった このせいか成長が悪いのが見受けられる

地植えのクリスマスローズは旺盛に成長する。随分前に鉢植えの花後の種を庭のあちこちに蒔いたのと種が自然に落ちたのが成長している。

 一方で室内ではミニ温室の胡蝶蘭の花茎が随分伸びてきた。



 次回は地植えのクリスマスローズを紹介する。
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高洞・伊自良湖周辺のマイナーな山 22.2.24 

2022-02-24 17:50:11 | 山登り
 22日に三回目のワクチン接種(モデルナ)を受けた。私の山仲間のEさんとYさんは酷い高熱という副反応があったので、そのEさん企画の今日24日の計画に参加できるかどうか返事できなかったが、幸い前回同様腕が痛い程度で副反応もなく、前日参加すると返事し、今日無事に登ってきた。さて、Eさんはなぜこのマイナーな山・高洞(494m)を計画したのかだが、それはこの山が「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース(上下)」の上56(148p)にのっていて、まだ登ったことがないということだった。おじさんはというと、2011年7月9日に月一で登っていた(月一の代表だったHさんもおそらくこの本を見て計画したのだと思う)。


 ではマイナーな山、高洞には何があるのか。本には「ルートファインディングの練習向け」とある。伊自良湖の駐車場に車を停めた。意外に車が多い。

 8:29 駐車場
その訳はワカサギ釣り客だった。多くのボートは湖の長滝寄り、堰堤近くに多かった。駐車場から送電線管理道まで20分で堰堤近くにある管理道入口に到着。

 8:49 管理道入口
送電線60番から、登るにつれて若い数字となってくる。途中、振り返ると伊吹山が見えてくる。57番鉄塔のそばに愛宕権現という小さな社があった。

 57番鉄塔と愛宕権現

 形の良いが左の方に見えている この山は湖の随分手前から見えていた 地図で確認すると531mの名もないピークだと分る

回りは松も生えているが、大きな松はあまりない。かつて高富や伊自良は松茸が沢山とれた。一度上役が松茸の時期に地元に呼ばれて、そ運転手を務めたことがあった。その上役は松茸の入ったすき焼き、おじさんはというとただの弁当(もちろん松茸はない)だった(食いものの恨みはいつまでも残る(^0^))。すっかり脱線した。55番鉄塔まで登ってきた。いよいよ左の方に巻き道があるはずだ。11年前に見たときもその巻き道はわかりにくかった。まして、今日は少し雪が残っており、はっきり道だとわからない。探したが、わからないので、このままピークまで登ることにした。尾根通しで行けるはずだったからである。管理道を右に見て、急な尾根を登っていった。ピークからは目指すピーク(高洞)が見えている。旧伊自良村と美山町の境界の尾根は明瞭な道があった。両ピークの鞍部まで達すると巻き道の入口を見つけた。

 巻き道 
そのまま境界の道を進み、左方向の巻き道に出て、最後に右に曲がるとそこは高洞の山頂だった。

 高洞山頂
本では駐車場から2時間となっているが、私たちは2時間30分を要した。山頂のすぐ下で昼食。帰りは巻き道を通ったが、道幅も狭く、雪が残っていて滑りやすい。管理道に出たかという尾根があり、そのまま下りそうだった。だが、そこは管理道ではなく、もう少し巻き道を進むと管理道に出た。入口付近をチェックしてみると、そこまで比較的多くあった赤布がなぜか見当たらないが、実は中電の表示板鉄塔55番・54番というのがあった。これを目印にすれば間違えることはないと思われた。

 登りここから巻き道が左方向に伸びている
かつては「ルートファインディングの練習」の山だったことから、GPSがなければ、多少迷う箇所があっただろう。しかし、今や皆さんヤマップ、おじさんはフィールドアクセスを使っているので、迷うことは少なくなった。13時前に伊自良湖まで降りてきた。湖面は朝は無風だったが、風が少し出てきて、小さな波が立っている。ボートの数も少なくなった。

 13:00 少なくなったボート
見ていても釣り上げる場面はない。どれくらい釣れるのだろうかと伊自良湖ワカサギ釣りでネット検索したら、50匹から100匹くらいという記事が出てきた。 

コースタイム 駐車場8:30→管理道入口8:49→高洞10:57~11:30→入口13:00→駐車場13:20




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悩ましい天気の判断 22.2.20

2022-02-20 17:27:59 | 山登り
 今日は天気が良ければ、旧坂内村の涌谷山(1079.6m)へ川上側から登る計画であった。企画者であるおじさんを悩ませたのは、当日の天気予報だった。気象協会、ウェザーニューズともときどき雨か雪が降るという予報だった。テンクラの金曜日の貝月山(涌谷山に最も近い)の時間ごとの予報は次のとおりだった。

 気にかかるのは風の強さだった。10m以上もあると体感温度はマイナス10度となる。
以上の予報をもとに、二人の参加予定者と相談し、中止することを決めた。

 では実際の今日の天気はどうだったのか。朝厚い雲が覆っていたが、次第に青空さえ見えてきた。

 2月20日6時の天気図 低気圧が太平洋にあり、東に移動中 夜半に雨が降った
天気が予想よりも良かったので、いつもの散歩を城ヶ峰まで伸すことにした。8時半に家を出て、城ヶ峰に近づく頃、急激に風が強くなってきた。

 先週降った雪もほとんど融けた 9時25分着

 木立の間から飯盛山、西津汲はしっかり見えた
風は強くなったり、弱くなったり、一面が青空になった時もあった。

 登ってきたKさんと話しをしているうちにまた曇ってきた 10時25分 
そして昼からは冬型の気候、風は強く、時雨れたり、雪が降ってきたりとなった。

 ここで2月10日の貝月山の天気を思い出してみる。

 2月10日9時の天気図 20日と同じように太平洋に低気圧が二つある
この時現地では曇っていたが、風は極めて弱く、まあまあの気象条件であった(ブログ「再び貝月山へ」参照)。しかし、この天気図になることを予想し、地域ごとの天気を予報するのは結構難しい。気象庁はスパコンを使っているそうだが、今日のような天気を予報することは難しい。

 前に所属していた会は、前前日の予報で降雨確率が50%以上は中止と後になって決められた。それでも当日晴れ間が広がったという事例は数多くあった。安全第一とする年寄り登山グループだから、当日の天気は本当に悩ましいのである。


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他者の靴を履く 22.2.18 

2022-02-18 16:47:30 | 面白い本はないか
 最近ケア労働という言葉をよく見かける。特にコロナ禍でケア労働に携わる人たちは大変な重圧のもとで働いている。コロナ病床で働く医師や看護師、特養やデイサービスで働く介護士等は典型的なケア労働者ということになる。こうしたケア労働者にとって必要な素質は、医学的な知識や介護技術ばかりでなく、相手の身になって考えることであると思う。患者の顔をほとんど見ることもなく、ただただパソコンの画面を見ている、患者の話をほとんど聞かない医師や病棟を回ってきても忙しそうにしているだけの看護師はこうした素質をあまり持っていないように思われる。日本語だと「共感力」、英語なら「empathy(エンパシー)」、「put yourself in someones shoes(他者の靴を履く)」ということになる。

 このエンパシーについて様々な事例や文献を探りながら書いた本が今日紹介するブレイディみかこ著「他者の靴を履くーアナーキック・エンパシー」である。

県図書館にもあるのだが、貸し出し中ばかりで容易に読むことができなかった。水曜日に揖斐川図書館に行ったら、偶然にもこの本に出会うことができ、早速読むことができた(ここの選書を誰がやっているかしらないけれど、少ない予算の中でなかなか良い選書している)。この著者は英国在住で元保母さん、典型的なケア労働者ということになる。彼女の書く本は、日本と英国の良い点、悪い点を肌で感じながら書いているので、大変参考になる。

 さて、この本によりながら「エンパシー」とは何かを書いてみよう。まず、「エモーショナル・エンパシー」と「コグニティブ・エンパシー」とに大別される。前者は幸福そうな人を見ると自分も幸福に感じることだが、本当にその人が幸福なのかは考えていない。後者はたとえ賛成できない、好感を持てない相手でも、心の中で相手が何を考えているのかを想像することである。瞬時に他者の感情が伝染するような類い(前者)のものではなく、相手が感情を抱くようになった理由を深く論理的に探求するための学習と訓練の果実である。後者こそ「他者の靴を履く」ということになる。ただし、エンパシーが全面的に望ましいかとばかり言えないとも言う。すなわち相手に全面的に感情移入してしまえば、自分、あるいは自己がなくなってしまう。聞いた話だが、患者のことを親身になって世話することに疲れ、辞めることになった看護師の例である。

 ここからは著者があげる事例について紹介する。まずは、刑務所の例で、坂上香監督のドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」の舞台となった「島根あさひ社会復帰促進センター」でのTC(回復共同体)というプログラムの実践の模様から。このTCはアメリカなどで既に実践されているのだが、監督自身日本では実施が難しいだろうと思っていたプログラムだ。既にアルコール依存症とか薬物依存症の患者の会ではおなじみのものではある。受刑者は円(サークル)になって、順番に自分の個人的体験を語っていく。他の受刑者もその語りに反応、参加していく。そうすると家族や友人などにも語らなかった事柄を次第に受刑者が語るようになる。そして被害者がどんな思いにあるのかも推し量る訓練を受ける(この自分の考えや感情を言葉にして語り合いという訓練を日本の家庭や学校ではあまり行っていない。これでは相手の感情など読み取ることは難しくなるばかりである。)なぜ監督は日本にはなじまないかと考えたかだが、日本は自分の感情を赤裸々に語ることをしない文化、沈黙の文化であると考えたからだった。しかし、受刑者はたちは次第にではあるが、語ったのである。そもそも相手のことを推し量れるような人間であれば、犯罪を犯すことは少なくなる。オレオレ詐欺を例にとっても、騙す相手を単なる「金持ちの高齢者」と考えているからである。その高齢者が爪に火をともすような苦労をして貯めた虎の子の貯金であったかもしれないとか貯金を盗まれた高齢者は苦労するだろうかとか想像することはない。

 さすが英国と思うような事例もある。著者の中学生の息子が通う学校での授業から。有名なロミオとジュリエットを取り上げて、一回目は全員がロミオになってジュリエットに恋文を慣用表現あるいはオリジナルな表現で書く。二回目は全員がジュリエットになりきって、ロミオに恋文を書く。日本では読書感想文という形で読んだ本の感想を書く授業が多い。また、英国では演劇が授業に取り入れられている。これなどは他者を演じる、すなわち他者の靴を履くということになる。マーガレット・サッチャーの事例も面白い。身近にいた人の彼女に対する評価で、「彼女はシンパシーのある人ではあったが、エンパシーのある人ではなかった。」「「鉄の女」と呼ばれたが、実は官邸のお抱え運転手や自分に身の回りで働く人々にはとても優しく、思いやりのある人であった」。ところが教育大臣だった頃、それまで学校で無償とされていた牛乳を7歳以上の児童には提供停止とした。「英国で最も嫌われた女性」とタブロイド紙で批判されたが、彼女は、「幸運なことに、多くの人々、きわめてふつうの多くの親たちが、給食費を払うことができますし、牛乳代も払うことができます。」と述べた。彼女は街の雑貨・食料店の娘として、公立校にも通った。庶民の暮らしが豊かでないこと、子どもの貧困を知っていたはずなのに。

 エンパシーが出現しやすい例として、災害時がある。これはレベッカ・ソルニットが「災害ユートピア」で書いている(読んでいないので孫引きということになる。今回県図書館から借りてきたので、読むつもりだが、分厚いので時間がかかりそう)。政府や官僚たちは大規模災害の時、これまでの秩序が機能しなくなって、パニックを起すと考えていた。しかし、実際には人々が互いに救助して気に掛け合い、食料は無料で与えられ、生活のほとんどは戸外のしかも公共の場で営まれ、人々の間にあった格差や分列は消え去りといった「ユートピア」とでも呼べる共感の場が広がる。これはもともと人間には他者を慮るということが備わっているかもしれないという考えが沸いてくる。ところが、平常時となると難しい。災害時には目の前にいる人を助けるということが何よりも優先するからである。著者は、政府が緊縮財政のなか福祉や医療、教育などのサービスを削る口実として、「この国はこのままで破産します」「未来の世代のためにみんなで我慢して借金を減らしましょう」という。なぜか当の苦しんでいる庶民の方が「じゃあみんなで我慢しよう」と政府を支持してしまう。しかし、支配者たちは庶民の苦しさなどは考えていなくて、財政規律を守ったという数字の実績を残して出世したいだけなのだと述べている。

 日本では自助、共助、公助と言われ、最近特に自助、共助を強調しだした。よく考えれば公助のお金を増やしたくない政府の事情を垣間見ることができる。私たちはこうした政府の発言にやすやすとエンパシーする必要はないのである。そして日本人は「人に迷惑をかけたくない」と口癖のように言う。それは他者を慮っているようでそうでもなくて、人にも煩わされたくないという心の裏返しでもある。そうした考えを私たちは少し修正しても良いのではないか。すなわち、お互い様で、お互いに迷惑をかけたり、かけられたりしてもそれが普通であると考えられるの社会になるように各自が努力してはいかがか。

☆今日は久しぶりの青空と降ったばかりの雪 何回目かの雪の城台山散歩 
 この時期の雪としては珍しい軽い雪だ。

 揖斐小から城台山

 思い出語るムクノキの奥に城ヶ峰

 お地蔵様と城台山

 伊吹北尾根の山(中央)

今年は雪が降りすぎて、思うように登れない。日曜日登るつもりであった湧谷山も強風と雪のため中止とした。

 
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再び貝月山へ 22.2.10

2022-02-10 19:15:13 | 山登り
 私は月に2回か3回山行を計画する。自分が行きたい山を選べるのと自分の都合の良い日を選ぶことができるからである。都合の良い日とは母親がショートステイに入っていて、家内の助けをする必要がない日で、今のところ月の半分程度である。そして、呼びかけるのはここのところかなり限定されている。最低の条件は、雪山にあっては、ワカンやスノーシューで登り3~4時間歩き通すことができる人ということになる。山ともは必ずしも多くないので、常連のEさん、Yさん、Mさん時にダブルOさんということになる。この中にはEさん、Oさんのように素晴らしい能力を持った人もいるし、私程度の人もいる。いずれにしてもその能力を私がきちんと把握できている人である。

 いきなり、面倒くさい理屈を言ってしまった。今日はもともと伊吹山ということでメンバーを募った。ご承知のように伊吹山のある関ヶ原や米原市には5日と6日でどか雪が降ったので、急遽登る山を1月13日に登って悪天等のため敗退した貝月山(1234m)に変更した。水曜日の日に参加予定であったEさんがワクチン接種後の副反応で熱を出し、不参加となった。加えるに10日の天気はあまり良くないとの予報だったが、テンクラではBであり、雪は降るものの風は弱いとのことで、予定どおり実行することにした。メンバーも常連はYさんのみで、そこに私の昔からの山ともIさんとここのところよく登っている名古屋のOさん、そこにEさんが紹介する初対面のKさんが加わった。

 やっと本論にたどり着いた。貝月ゲレンデまでの道は完全に除雪されていたことにまずは感謝を申し上げたい。もちろん、その経費は、納税者である私が一部を負担している(今回揖斐川町の住人は私だけ)。ゲレンデに着き、準備を整え、ゲレンデに出た。雪は結構固くて、意外と沈まない。さらにトレースはゲレンデの上方まで伸びている。今日メンバーで確認したのは、11時までに小貝月に到達していない場合、そこで引き返すということだった。ゲレンデを登り切り、林道から登山口に取り付いた。先行者のトレースは最初夏道から後半は尾根を忠実に登っていた。その分傾斜がきついので汗が噴き出る。第二リフト終点からの道と合流するところまで約1時間と少し、ほぼ前回と同じくらい。もちろん前回と比べると雪の量は格段に多くなっていた。Yさん、Kさんと先頭を変わりながら登って行った。

 貝月ゲレンデ 7:53

 10:08

 夏道だと右側が大きく崩れ、確か「まむし注意」という看板があるはずのトラバース道を歩いていると斜面に雪洞が掘ってあった。前に登ったグループが作ったものだと思われた。しかし、その雪洞の場所はおそらく西風が強く吹くので、場所としては望ましい場所ではないと思った。そして、そのすぐ先でトレースは消えた。いよいよ私たちが一番乗りすることになった。基本は尾根道をできるだけ忠実に登ったが、雪庇も出ていて、少し木の生えている側に寄りながら登って行った。なかなか小貝月山が近づいてこない。制限時間の11時も迫って来ている。その前から少し小雪がちらつきだし、ガスも少し出てきて、廻りの山々も見えなくなっていた。

 10:45 休憩

 11:06 予定の11時を過ぎた 少し先には小貝月があった

 小貝月への登りの先頭をKさんがもっぱら務めた。彼女の履いているのはプラスチックでできた軽量のワカンだが、極めて快調に登っていく。彼女が「11時を過ぎました。どうしますか?」と尋ねてきた。風は弱く、少し気にはなるがガスも急速に広がる気配はないので、小貝月まで行くことに決めた。そして11時半に小貝月山(1226m)に着くことができた。

 小貝月を目指す 

 小貝月から貝月山山頂を望む 展望台が見える 2m程度足の部分が雪に埋まっている

この小貝月遠くから見ると結構かっこ良い。左側は結構な段差があるし、回りに木もない。ここで昼食としたいところだが、ガスが気になるので30分ほど引き返したところで昼食とした。Oさんの生チョコ、Kさんの甘酒の提供もあった。下りはできるだけトレースがないところを快調に降りて行った。登りは苦しいが、下りは自分の好きなところを下ることができるので、雪山の楽しさは倍増する。

コースタイム ゲレンデ7:55→小貝月山11:30(ここで引き返す)→12:00~12:30昼食→ゲレンデ13:48

地形図は略

※iPhoneの宣伝ではないが、iPhoneで撮った写真とオリンパスのタフ5で撮った写真を見比べると断然iPhoneの写真が明るいのが分かるだろう。ただし、実態としては、タフの方が現実とマッチしている気がする。
大ダワでも両者の違いがわかるであろう。タフ5を用いるのは、iPhoneだと手袋(反応する手袋があるが、インナーは反応する手袋、外はテムレスを使っている)を脱ぐ必要があるからである。

 
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