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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

池田山・大津谷コースに登る 19.3.31

2019-03-31 21:40:50 | 山登り
 前夜泊で3月31日に登るはずであった石徹白の願教寺山の計画が天候不順のため中止になった。そこでトレーニングを兼ねておきまりの池田山・大津谷コースに出かけることにした。前日の天気予報だと日曜日は雨の予報であったため、無理かなと思っていた。しかし、日曜日の朝は雲が多いものの日も差している。予報では午後雨だから、ちょうど池田山がおあつらえ向き。
 大津谷は桜が三分咲きくらい、人も出ている。キャンプ場には多くのテントが張ってあった。



大津谷の登山口の駐車場には3台ほど停まっていた。いつものように、8時半鹿柵のゲートを開け、いよいよ登山開始。

このコースの特徴は、霞ヶ渓コースと比べると急な登りが多いこと。登山口の140mから林道の749mまでやく600mを一気に登る。距離も2.3kmと短いが、ペース配分が難しい。最初早くすると後で遅くなる。

 最初の急な登り

 休憩ポイント 374m付近

 この付近 落葉樹が多い 671m

 最後の急な登り 717m

 やっと林道に出た ここまで出発から1時間

このあと未舗装の大津谷林道、そしてハンググライダー場から延びてくる林道と合流。この時小雪がちらつきだした。時に強風にも見舞われる。やがて垂井に続く舗装道路となる。いつもだと峠の茶屋付近から尾根どおしで登るが、昨年から入山料200円が必要となっているので、右の林道から山頂に登った。実はこのコース初めてだった。単調な少し緩んだ道を1kmほど進むと立派な登り口があった。石柱には平成8年8月8日、野原某と刻んであった。この道は個人が作ったのか、よくわからない。階段状の道を登るとおなじみの展望台が見えてきた。10時20分山頂着。横殴りの雪が降る山頂には誰もいない。写真を撮り、すぐに下山した。帰りに今や有料となっている峠の登り口に寄ったところ、「管理人」という腕章をしたおじさんと遭遇した。おじさんの説明によると昨年の収入は20万円、そのお金は年末助け合いに全額寄付したとのこと。その旨案内板に書こうかと迷っている。土地の所有者が懐にするより寄付するというのは望ましいのだが、入山料と寄付が私の頭の中ではリンクしない。ますます謎は深まるばかり。


 林道合流点

 雪がちらつき出す

 入山料を避けて右の林道を歩く

 林道からの登り口

 三角点と展望台

 パラボラアンテナと揖斐川の街

 入山料が必要な登山道 管理人席というベンチもあった

大津谷林道にさしかかると若い男の二人組と若い女性の二人組に会った。

 アセビの花が満開
登山口11時50分着、自宅で暖かいラーメンとチャーハンを食べた。


 
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街づくり 19.3.30

2019-03-30 20:51:50 | 面白い本はないか
 久しぶりに司馬遼太郎の本を読んだ。「「明治」という国家」、本棚に旧版があるが、新装版で昨年1月に出版されている。ここのところ明治あたりについて書かれた本を読むことが多いが、司馬節とでもいうような語り口がやっぱり面白い。特に、歴史の主役ではない脇役の人物評が興味を引いた。1858年の日米修好条約の批准のため。アメリカ入りした日本の使節に咸臨丸で随行した木村摂津守嘉毅(艦長は勝海舟で、その上司で軍艦奉行)。明治後、「芥舟(かいしゅう)」という号を付けて隠遁.勝より自分が劣っていることを自覚したうえで、武士らしく隠棲する。立身出世に奔走する人が多い中で、何という潔さ、これが江戸時代に育まれてきた文化なのか。
 しかし、今日の主題は歴史ではない。けれども、この本の最後の方に出てくる結構有名な下りがある。板垣退助を隊長とする新政府軍が会津藩を攻めたときに、そこの領民(農民、商人)が武士と一緒に戦おうとしなかったことに板垣はショックを覚えた。これをもう少し維新前の日本に敷衍して考えると、外国から攻められた時、まだ国民でなかった農民、商人はどうしただろうか(無関心だったろうという推測は容易にできる)。明治国家がまず国民というものを作ろうとした理由がわかる。(日本は外国から攻められた時、戦うという人が少ない国だそうだ)
 話は変わる。県会議員の選挙が公示されたが、揖斐郡は2人の定数に対して立候補が2人ということで無投票となった。最近、小さな町村では議会議員に立候補するする人が減っている。トクヴィルは、「地方自治はデモクラシーの最良の学校である」と言った。しかし、この現状である。
 竹井隆人著「デモクラシーをまちづくりから始める」を読んだ。最初、まちづくりの本だと思って借りたが、内容はデモクラシーをどう作っていくのかという本だった。代議制は、国政は言うに及ばず、地方自治でも機能していない。コミュニティにおいても、仲良くなることばかり強調されて、同調圧力のみ高まる。ここには、お互いの違いを認めて、その中で合意を得るという「政治」はないという。その通りだと思うが、今自治会の役員をやっている立場から考えるとそのような機能は求められていないし、たった120世帯あまりでも合意をとることは容易ではない。著者はマンション管理組合がいわば直接民主主義実践の場となりうるとしている(しかし、実態は参加する住民は少ない)。これを例えば小学校区あたりまで拡大することはさらに困難である。
 まちづくりについて数多くの本を読んできた。結論として言えることは、そこに住む住民がその気にならなければ何もできないということである。行政がよく行う「タウンミーティング」、実際は行政の説明会と化している。今まで、お百姓や自治会が行ってきた草刈り、川掃除など住民の高齢化に伴い実施するのが難しくなってきている。さらに空き家、一人暮らし高齢者の増加である。加えて、税収の減による行政の縮小である。トクヴィルが見たアメリカ、そこで行われていたタウンミーティング(地域の様々な問題、課題について多数の住民が参加し、政策を決め、実施する)を再現しなけばならない時代が訪れるかもしれない。お上を頼ってきた日本(一方でお上への信頼はない、公務員バッシングを思えばよい)、自立は可能であろうか。
 竹井隆人緒「社会をつくる自由」(ちくま新書)の方が読みやすい。


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三角点踏査 点名「小山」

2019-03-25 20:40:07 | 山登り
 私が所属する大垣山岳協会は今年創立60周年を迎える。これを記念する事業として、美濃地方各地にある三等三角点以上の三角点約700地点を踏査することになった。2年前から全ての会員によりその踏査は行われている。三角点はその名の通り三角測量に使われたもので、山頂にその標柱があるほか、平地の草むら、変わったところではゴルフ場の中、校舎の屋上にあるものもある。私の家の近くだと、タンポ(1065.75m 点名「月夜谷山」)が一等三角点、標柱は18cm角。二等は城ヶ峰(351.58m、点名「深坂」)で、15cm角となっている。
 今年私が担当するのは、五蛇池山、大井(ツルベ山)、間戸山の3点で既に間戸山は済ませた。自分の担当する三角点以外にも誘われれば一緒に登ることも多い。一人で行くのはしんどいので、お互いに誘い合って、自分の担当の踏査をする。今日の小山は、後藤さんの担当であるが、参加することにした。

 今週は何も予定がなかったので、池田山の大津谷ルートにトレーニングで行くつもりであった。前日金曜日畑にいたら後藤さんからラインが入った。土曜日三角点踏査で小山か、日曜日藤原岳に行かないかの誘い。家に帰ってから、小山(852.4m)の位置を確認した。雷倉の南、小津のから北東に延びる尾根の先にその三角点はあった。しかも、地形図上には点線が山頂付近まで延びている。早朝家の用事があったので、ここなら参加できそうということでOKの連絡をした。
 清水さん、後藤さんと揖斐川町立図書館前で合流し、現地に向かった。今日は少し雲が大目の天気で冷たい風が吹いている。蒲鉾型の体育館前に車を停め、歩き始めた。小津は小規模はだが、意外に活気があるように感じた。月尾谷の方に少し進み、すぐに民家の間の階段を登る。

 正面の山を登る

 月尾谷方面
薄暗い植林の急な道を登ると掘り割りのような道に出会う。植林帯の中には竹林が侵入してきている。
 急な植林帯を登り切ると少し傾斜は緩くなるとともに広葉樹が主体となり、明るくなってくる。500m付近からは小津権現と花房が見えてくるが、雪はほとんど見えない。掘り割りの道は落ち葉がたまっていたり、倒木があったりで必ずしも歩きやすくはない。また平坦な道になると消える。

 掘り割り状の道

 山頂を望む
このため要所要所には赤布を付けておく。出発から2時間で林道に達した。通称「広場」というらしい。展望も素晴らしいので、ここを昼食場所ということにし、山頂に急ぐ。

 林道に出る 通称「広場」 正面の山が山頂

 小津権現山

 今週の雪で白くなった伊吹山

 林道を右に約500m進むとちょうど林道の交差点のような所がある。山頂から東に延びる尾根がここで林道と交わる点だ。ここから西に緩やかな尾根を登っていく。ヤブと思っていたルートはきれいに刈り払われていた。すぐに三角点の標柱を見つけることができた。三角点の写真を撮り、広場まで戻った。

少し遅れていた清水さんはここで昼寝をしていた。お昼を食べながら、清水さんや後藤さんから聞く奥美濃の山の話は尽きない。ここから林道を利用してタンポに登ったときは、雪が多くてラッセルに苦労した。このためにスノーシューを買ったが、役立たず、ワカンと交換した女性の話などなど。
 昼食を済ませ、下りにかかる。清水さんが唯一の注意すべき地点と言っていた650m付近、小さな派生尾根がある。間違えないためには、ここを右寄りに下らなければいけない所だが、やはり間違えた。すぐに気がつき、戻った。この後、私の担当は、五蛇池山と大井(ツルベ)となっている。

コースタイム 蒲鉾型体育館8:55→林道出合「広場」10:53→小山山頂11:27→広場11:45~12:45→体育館14:10


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花壇の花たち(1) 19.3.20

2019-03-20 19:21:27 | バラ、クレマチス等
 寒の戻りが終わり、急に暖かくなった。クリスマスローズに加えて、水仙も咲きそろってきた。バラは少しずつ赤みを帯びた芽が大きくなってきた。

 クリスマスローズがますます勢力範囲を広げている
 間に見えるバラは、芽欠きを行った。病害虫の心配をこれからしなければならない。


 この水仙少しくさい

 
 かわいい水仙


 終わりが近いリュウキンカ 1月から咲き始める



ボタンの芽も膨らんできた。また、クレマチスが地表からどんどん伸びてくる。
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高齢者の住みやすい街とは 19.3.18

2019-03-18 19:44:07 | 地域のこと他
 3月16日(土)当地区の老人クラブ総会が開かれた。既に立派な?高齢者だが、総会に出るのは初めて。この会第一城台会と名乗っており、会員65名、うち31名が80歳以上となっている。行っている事業は、芸能発表会、先祖供養、レクレーション(パターゴルフ、ペタンク、グランドゴルフ等)、幼稚園での活動など多い。既に老人クラブがなくなっているとかほとんど活動していないとかの地区に比べれば、なかなか盛んであると思う。

 老人クラブ総会 我が地区は男性の割合がなぜか高い
 さらに、老人クラブでは今年度から新地域支援事業とか、名前ばかりが難しい事業を役場から少しの助成金をもらって始めた。この事業は地域の高齢者に集まっていただいて、お茶を飲みながら、お話をするものである。若い人から見れば、なんでそんな事業を行う必要があるかと思うかもしれない。しかし、これが高齢者の孤立化、孤独化が進んでいる日本の現状であり、今後こうした傾向はますます強くなるであろう。

 懇談会 男性と女性が別れて座ってるのは残念!!

 少し外国の事情(もちろんあくまで感じである)を見てみよう。トルコを旅行した時のことであるが、カフェらしき場所に高齢者が集まり、談笑している場面を見た。これはテレビでだが、アメリカ大統領選挙が始まるとよく出てくるのが、住民がレストランで楽しそうに話している場面。もちろん、日本あるいは我が町でも、喫茶店が提供するモーニングサービスを求めて、高齢者が集まることは知っている。
 少し話は異なるが、イタリア、フランスなどヨーロッパの国では小規模の街でも高齢者夫婦が楽しく街中を散歩している(NHKBSの番組)。広場を中心に街が形成され、小さなお店が残っている。一方、日本ではこうした中心街はほとんど失われ、全国似たような郊外風景が広がっている。これでは、高齢者が歩きたくなるような環境はほとんどないといってよい(もちろん足腰が弱らないように散歩している人々は多い)。
 男性は、仕事上の縁が薄くなってくると、孤立化しやすい。地域の行事に無関心であった人は特にそうである。女性はサークルとかいろいろなつながりを作るのが上手なので、比較的なりにくい。それでも、つれ合いがいなくなり、足腰も弱ってくるとやはり孤立化しやすくなる。各地域には民生委員、福祉推進委員などが任命されているし、地域独自でサロン(懇談、食事等の会)が作られている。それでも、こうした会にもなかなか出席しない高齢者がかなり存在する。こうした高齢者を誘い出すうまい手はないものだろうか。
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