おじさんには是非訪ねてみたいまちづくりで成功している観光地がたくさんある。その一つは、かつて和蝋の原料となるハゼの流通で財をなした商家が立ち並ぶ愛媛県の内子町、「白壁と木蝋のまちづくり」、内子座という芝居小屋の再建で知られている。二つ目は江戸時代の宿場町として保存された福島県会津郡下郷町の大内宿、近年整備が進み魅力的な観光地になっている。この二つは、いずれも伝統的建造物群保存地区(略して「伝建地区」。岐阜県には高山、白川村、郡上八幡、美濃市、岩村にそれぞれ伝建地区がある。)となっている。伝建地区ではないが、まちづくりを着実に進め、多くの観光客を呼んでいるのが、今回訪れた長野県小布施町である。この町は、千曲川沿いにあり、北信濃の経済・文化の中心としてかつて栄えた。現在人口11,000人、面積は19.07k㎡と長野で一番小さな町であるが、毎年120万人の観光客がこの町を訪れる。その魅力は、地元の豪商、豪農が江戸などから招いた多数の文人・墨客が残した文化であり、その中でも特に晩年の葛飾北斎の3年に及ぶ滞在が大きな遺産を残す。
もちろん行こうと思ったのは政府による旅行支援が大きい。一回目(ゴーツー)と二回目(県民割)はいずれも近場で車で出かけた。今回はじゃらんの予約サイトを利用し、宿泊は湯田中の旅館とした。JRを利用して行ったので、電車賃は高くなってしまったが、宿泊費は通常13千円のところが8千円で泊まれた。
昼過ぎ 長野電鉄小布施駅に到着 駅に併設された観光案内所で回るべき観光地を教えてもらった
まずは誰もが訪れる北斎館に向け歩き出した。食事前であったので有名なそば屋に入ったが、30分待ちということであきらめ、すぐ近くのそば屋にした
北斎館の前には大きなメタセコイアがあった
北斎館 企画展では水滸伝の話にそって北斎が描いた細密画(版画でこれらが綴られ本として流通していた)が展示してあった
北斎館を出ると目の前に栗菓子専門の小布施堂(まちづくりに多大な貢献をしているお店である)がある。商品を見るといずれも相当な値段、土産にするには高すぎる(この時点では旅館まで行っていないので、一人3千円のクーポンはない)。また、古い建物を利用した和食のレストランもある。
北斎館の次に訪れたのが高井鴻山(1806~1883)記念館、彼こそ北斎を小布施に招いた豪商であり、文人でもあった。そのあと小布施ミュージアム・中島千波館(北斎館、高井鴻山記念館、小布施ミュージアムは共通券があり1300円)で主に中島千波(小布施町出身)の明るい色調の絵画を鑑賞した。
小布施ミュージアム
このあと湯田中まで行かなければならなかったので、小布施駅に向かった。
駅から 右が妙高山 左が黒姫山
湯田中駅に着くと頼んでおいた迎えの車で宿へ向かう。旅館に着いてみるとその小規模(7室)なことにびっくり(実は何室あるか見ていなかった。単に評判が良いことに注目して頼んでいた。)。おかみさんにワクチン接種三回の証明書を見せ、クーポンをいただいた。
長野県は紙ベースだそうだ(岐阜、三重ともにスマホ取り込み) この他に長野県独自の電車、バス、タクシーなど交通機関に使える一人クーポン1000円をゲット(長野電鉄の電車代に使用)
温泉は二室あるが、男女の区別はなく、室の前にあるのれんが掛かっているならば入浴OKでその際のれんをはずしておくのだそうだ。部屋で少しくつろいだ後、のれんがかかっていることを確かめて入浴。もちろん誰もいない。匂いもない、透明の湯、いい湯だ。このあと夕食、料亭のような手の込んだ料理はないが、品数も多いし、味も良い。お酒は塩尻のワインのハーフボトル、値段1100円、とにかく安い。最後に脂ののった信州和牛の陶板焼。
私たちの他にスペインからのカップルがいた。実はこの宿、泊まり客は実に国際的なのだ。話好きなおかみさんから聞いた話は実に面白い(ネットでも評判だった)。エアービー&ビーなどを通じて海外から予約が入る。成田に着いてから予約してくる客もいるそうだ。なぜ外国人はこの町を訪れるのだろうか。温泉以外に観光ポイントはない。もちろんここは志賀高原などの玄関口とはなっている。欧米からの客を引きつける魅力の一つが、「スノーモンキー」だそうだ。そのまま訳せば「雪猿」となる。皆さん、野生の猿が温泉に浸かっている写真を見たことはないだろうか。長野オリンピックがあったときにこれが選手や外国人観光客の間で話題になり、広まった。欧米には猿はいない。まして猿が温泉に浸かるのは!!
湯田中駅にあったポスター 猿が温泉に浸かるのは寒くなってからだそうで11月くらいから 夏の時期とか餌が豊富な時期はほとんどいないそうだ
バス乗り場案内
おかみさんの話は続く。スペインからの客の他にイタリアからの客も泊っているそうだが、夕食の膳はない。彼らは連泊し、一回くらいは夕食を頼むそうだ。これには宿側の事情もある。連泊し、毎晩夕食を食べるとなれば献立を変えなければならない。これが難しいのだそうだ。だから素泊まり歓迎ということになる。さらに彼らは日本人のように短時間に観光スポットをめぐるようなことはしない。ゆっくり宿を出て行って、早めに戻ってきてまた宿でゆっくりしているのだそうだ。もちろん日本での滞在日数が2週間とかとても長い。しかし、コロナはこうした状況の宿に深刻な影響を与えた。泊まり客がぜんぜんいない中でご主人は寝ていることしかできなかったという。幸い、海外からの受け入れが再開されてからは、回復は予想よりも早かったそうだ。
おかみさんは福島県出身、県外に住む3人の息子。聞いてみたわけではないが、おそらく後継者はいないだろう。かつて、この宿は会社などの宴会の需要で栄えた。たくさんあった個人経営の宿はすくなくなり、大手の資本のホテルが増えてきた。リーズナブルな値段で大きな宿では定型的なサービスは受けれるが、暖かみのある個性あるサービスは受けられない。
翌日、私たちは再び小布施に行き、岩松院を訪れた。駅から約2kmの道のり、ときどきレンタサイクルの観光客が私たちを追い抜いていく。道にそって、ブドウ畑やらリンゴ畑もある。
リンゴ畑はほとんど収穫されているが、たまに残っている
ブドウ畑 二人で剪定していた
岩松院 ここには北斎が描いた有名な鳳凰図(天井図)がある
パンフレットから どこから見ても見つめられていると感じる
小林一茶が「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」と詠んだ池
このあと中心部まで戻り、クーポンで栗菓子を買い求める。現金を使うとなるとためらうような菓子でもあぶく銭のような感覚で使ってしまう。旅行支援は規模を縮小しながら来年もあるようだから、次訪れる場所を検討しよう。最後に小布施の感想を述べておく。数年前に本でまちづくりの様子を読んでいたけれど、やはり現地を見ないと分らない。小布施のまちづくりは最初の北斎館周辺から確実に周辺に広がっている。普通の住宅もまちづくりの意匠に添った建築になっているし、歩道もきれいに整備されている。また、そこには伝統ある菓子屋(これに反して安い品を置いた土産物屋は少ない。)に加えて、レストラン、モンブラン等スイーツを提供する店(ここにも時間の関係で行けなかったのが残念。あらかじめ予約してから北斎館等へ行くのが良い。)、酒蔵(日本酒はほとんど飲まないので今回訪問しなかった)などが狭い範囲に集まっている。ここが最大の強みである。
もちろん行こうと思ったのは政府による旅行支援が大きい。一回目(ゴーツー)と二回目(県民割)はいずれも近場で車で出かけた。今回はじゃらんの予約サイトを利用し、宿泊は湯田中の旅館とした。JRを利用して行ったので、電車賃は高くなってしまったが、宿泊費は通常13千円のところが8千円で泊まれた。
昼過ぎ 長野電鉄小布施駅に到着 駅に併設された観光案内所で回るべき観光地を教えてもらった
まずは誰もが訪れる北斎館に向け歩き出した。食事前であったので有名なそば屋に入ったが、30分待ちということであきらめ、すぐ近くのそば屋にした
北斎館の前には大きなメタセコイアがあった
北斎館 企画展では水滸伝の話にそって北斎が描いた細密画(版画でこれらが綴られ本として流通していた)が展示してあった
北斎館を出ると目の前に栗菓子専門の小布施堂(まちづくりに多大な貢献をしているお店である)がある。商品を見るといずれも相当な値段、土産にするには高すぎる(この時点では旅館まで行っていないので、一人3千円のクーポンはない)。また、古い建物を利用した和食のレストランもある。
北斎館の次に訪れたのが高井鴻山(1806~1883)記念館、彼こそ北斎を小布施に招いた豪商であり、文人でもあった。そのあと小布施ミュージアム・中島千波館(北斎館、高井鴻山記念館、小布施ミュージアムは共通券があり1300円)で主に中島千波(小布施町出身)の明るい色調の絵画を鑑賞した。
小布施ミュージアム
このあと湯田中まで行かなければならなかったので、小布施駅に向かった。
駅から 右が妙高山 左が黒姫山
湯田中駅に着くと頼んでおいた迎えの車で宿へ向かう。旅館に着いてみるとその小規模(7室)なことにびっくり(実は何室あるか見ていなかった。単に評判が良いことに注目して頼んでいた。)。おかみさんにワクチン接種三回の証明書を見せ、クーポンをいただいた。
長野県は紙ベースだそうだ(岐阜、三重ともにスマホ取り込み) この他に長野県独自の電車、バス、タクシーなど交通機関に使える一人クーポン1000円をゲット(長野電鉄の電車代に使用)
温泉は二室あるが、男女の区別はなく、室の前にあるのれんが掛かっているならば入浴OKでその際のれんをはずしておくのだそうだ。部屋で少しくつろいだ後、のれんがかかっていることを確かめて入浴。もちろん誰もいない。匂いもない、透明の湯、いい湯だ。このあと夕食、料亭のような手の込んだ料理はないが、品数も多いし、味も良い。お酒は塩尻のワインのハーフボトル、値段1100円、とにかく安い。最後に脂ののった信州和牛の陶板焼。
私たちの他にスペインからのカップルがいた。実はこの宿、泊まり客は実に国際的なのだ。話好きなおかみさんから聞いた話は実に面白い(ネットでも評判だった)。エアービー&ビーなどを通じて海外から予約が入る。成田に着いてから予約してくる客もいるそうだ。なぜ外国人はこの町を訪れるのだろうか。温泉以外に観光ポイントはない。もちろんここは志賀高原などの玄関口とはなっている。欧米からの客を引きつける魅力の一つが、「スノーモンキー」だそうだ。そのまま訳せば「雪猿」となる。皆さん、野生の猿が温泉に浸かっている写真を見たことはないだろうか。長野オリンピックがあったときにこれが選手や外国人観光客の間で話題になり、広まった。欧米には猿はいない。まして猿が温泉に浸かるのは!!
湯田中駅にあったポスター 猿が温泉に浸かるのは寒くなってからだそうで11月くらいから 夏の時期とか餌が豊富な時期はほとんどいないそうだ
バス乗り場案内
おかみさんの話は続く。スペインからの客の他にイタリアからの客も泊っているそうだが、夕食の膳はない。彼らは連泊し、一回くらいは夕食を頼むそうだ。これには宿側の事情もある。連泊し、毎晩夕食を食べるとなれば献立を変えなければならない。これが難しいのだそうだ。だから素泊まり歓迎ということになる。さらに彼らは日本人のように短時間に観光スポットをめぐるようなことはしない。ゆっくり宿を出て行って、早めに戻ってきてまた宿でゆっくりしているのだそうだ。もちろん日本での滞在日数が2週間とかとても長い。しかし、コロナはこうした状況の宿に深刻な影響を与えた。泊まり客がぜんぜんいない中でご主人は寝ていることしかできなかったという。幸い、海外からの受け入れが再開されてからは、回復は予想よりも早かったそうだ。
おかみさんは福島県出身、県外に住む3人の息子。聞いてみたわけではないが、おそらく後継者はいないだろう。かつて、この宿は会社などの宴会の需要で栄えた。たくさんあった個人経営の宿はすくなくなり、大手の資本のホテルが増えてきた。リーズナブルな値段で大きな宿では定型的なサービスは受けれるが、暖かみのある個性あるサービスは受けられない。
翌日、私たちは再び小布施に行き、岩松院を訪れた。駅から約2kmの道のり、ときどきレンタサイクルの観光客が私たちを追い抜いていく。道にそって、ブドウ畑やらリンゴ畑もある。
リンゴ畑はほとんど収穫されているが、たまに残っている
ブドウ畑 二人で剪定していた
岩松院 ここには北斎が描いた有名な鳳凰図(天井図)がある
パンフレットから どこから見ても見つめられていると感じる
小林一茶が「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」と詠んだ池
このあと中心部まで戻り、クーポンで栗菓子を買い求める。現金を使うとなるとためらうような菓子でもあぶく銭のような感覚で使ってしまう。旅行支援は規模を縮小しながら来年もあるようだから、次訪れる場所を検討しよう。最後に小布施の感想を述べておく。数年前に本でまちづくりの様子を読んでいたけれど、やはり現地を見ないと分らない。小布施のまちづくりは最初の北斎館周辺から確実に周辺に広がっている。普通の住宅もまちづくりの意匠に添った建築になっているし、歩道もきれいに整備されている。また、そこには伝統ある菓子屋(これに反して安い品を置いた土産物屋は少ない。)に加えて、レストラン、モンブラン等スイーツを提供する店(ここにも時間の関係で行けなかったのが残念。あらかじめ予約してから北斎館等へ行くのが良い。)、酒蔵(日本酒はほとんど飲まないので今回訪問しなかった)などが狭い範囲に集まっている。ここが最大の強みである。