城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

日本は右傾化しているのか? 21.5.30

2021-05-30 14:15:38 | 面白い本はないか
 今日は5月最後の日曜日、快晴だ。こんな日こそ山登りに最高だが、生憎と何の計画もない。そこで、近くの大野アルプスに出かけた。8時13分にいつもの大野町総合グランドの獣害柵に入場?。健脚コースから「こならコース」を経て登った。花立峠経由よりも少し距離が短い。途中でかつて同職のG氏が下ってくるのに出会う。彼は毎日雁又山(430m)まで登っているらしく、おじさんが出かけるたびにどこかで出会うことが多い。花立峠からのコースとの合流点からは、トレランらしき3人組が先行した。滝谷山で水分補給していると何も持たない男性(おじさんより少し若いか)が追い抜いていった。雁又山には9時33分に到着。帰り滝谷山の下りで顔見知りの月一のメンバー3人とも遭遇し、少し長話をする。山にはさわやかな風が吹いていた。駐車場で女性一人の登山者に「風は吹いていますか」と聞かれ、「ええ、さわやかな風が吹いてますよ」と答えた。女性は予報で風が今日は風が強いとなっていたため、山では吹き飛ばされるような風が吹いているのではないかと心配し、尋ねてきたことを知る。ちぐはぐな会話であった。

 ハカタユリ まずはミラーレス(フルサイズ)の写真 絞り5.6

 さて、本題に入る。日本は右傾化しているのかについて書かれた本は結構出ている。かなり右傾化しているという説やいやそうでないという説やら必ずしも定まっていない。おじさんには新聞紙の広告欄にある右傾向の雑誌の勢いが増しているとの感触を持っている。また、右翼の論者が出演する討論番組も意外と多い。このような雑誌あるいはテレビの状況からおじさんには「右傾化」していると思うことが多い。いや、それより気になるのは左翼(リベラルも含む)系の言説が弱くなっているのを感じる。それでは実態はどうなのか。これ以降は、小熊英二・樋口直人編集「日本は「右傾化」したのか」によりながら書いていく。

 APSサイズ マクロレンズ100mm 絞り2.8

 この本は360ページと長く、最後まで読み切るのは結構しんどいが、幸い編者の小熊氏が最初に手際よくまとめてくれているので、ここだけ読んでも大体のことはわかる。先に結論を言うと、社会全体の有識者意識調査などからは顕著な「右傾化」は見られない。一方で、政党、数強団体、報道のレベルでは右傾化が指摘されることが多い。さらに政治家は右派的な言動が目立つ。

 まずは、国民の意識はどうなっているか。ジェンダー規範などでは寛容化の傾向にある。例えば同性愛についての許容は進んでいる。また、愛国心や民族的優越感などナショナリズムについては、一部に増加が見られるという程度に留まっている。外国人の受け入れに寛容となっている一方で、そうした人には近所に住んで欲しくないと考える人が増えている。また、中国人や韓国人への排外意識は増加している。かつて高学歴層は排外意識は高くなかったが、今では学歴による差はなくなっている。そして日本人は排外主義に対し、寛容である。

 マクロレンズ 拡大

 次にメディアの状況。他の先進国同様に新聞は分極化し、テレビは陳腐化している。日本では自民党の長期政権が続いている。政権から情報を取ろうとすると、メディアは体制に近づかざるを得ない。この中で左の言説を維持することはかなり難しい。また、メディアから情報を受ける、国民に政治ニュースを議論したり、話題にしたりすることが極めて少ない。マスメディアと社会の距離があまりに遠く、良くも悪くも社会の側は マスメディアの政治傾向に無関心である。しかし、右に分極化した新聞、出版などがあっても、これを読まない若年層には影響は及ばない。

 新聞は2018年には3990万部となり、最高だった97年から約1400万部減少した。新聞を読まない国民が今後も増え続ける。新聞もテレビもネットによる影響を大きく受けている。こうした危機感の中、言論が分極化し、過激な右翼言論(市場=購読者や視聴者を四職した)が目立ってきている。テレビは、放送法による「政治的公平性」規制に縛られながら、情報デジタル化の波でのテレビ離れによる広告収入の減少のなか、放送内容はリスクを回避した平準化、陳腐化へと向かっている。

 ネットに依存することの危うさも顕在する。ネットでは、われわれは意図せず好ましいと感じる情報に引き寄せられ、その結果タコツボ化した情報環境に身をゆだねることになってしまう。いわゆる「フィルターバブル」という現象が起こる。「まとめサイト」(よく見る記事と同様の記事が沢山並ぶようになる。これはおじさんのよく見るヤフーニュースでも起こっているようだ?)などのプラットフォーム業者はアクセスを増やすために刺激的な投稿を際立たせることが行われる。

 最後に政治レベル。夫婦別姓や外国人参政権が自民党の右派の反対によって実現できない。またLGBT法案も見送りとなった。これらは支持基盤という下からの右傾化ではない。民主党への対抗と差別化という動きの中で2009年以降強まった。特に地方選挙では低投票率と万年与党や万年首長が各所で見られる。現在は、「保守」と「革新」という軸が半ば以上失われたあと、次の軸が見いだせていない状況である。

 編者の樋口氏が書いている。右傾化により失われたものとして、国民国家、家族、性別役割の機能が弱体化しているのに、旧態依然たる法律や社会保障制度を変えられないがゆえに、世界最速で進む高齢化と少子化に対応できていない。一方で台湾や韓国は,家族やジェンダー、移民、人権関係の法律を次々に整備しているのと対照的であると。例えば、夫婦別姓に反対する理由として「家族が崩壊する」とかである。すでに単身家庭の増加で家族制度は半ば崩壊しているのに。

 クレマチス ミラーレス(フルサイズ)

 長々と引用してきた。右傾化ということよりも、国民の政治への無関心の方が一層心配である。これではいつのまにか、国民の誰もが望まないような国になってもおかしくない。日本は中国同様、世界標準からすると異様な国になるかもしれない。
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夏野菜・作業 21.5.25

2021-05-25 19:03:38 | 野菜作り
 夏野菜の苗を植えてから、26日経過した。トマトが随分大きくなってきた。ミニトマトの実が少しづつ大きくなってきている。脇芽も勢いよく伸びてきているが、全て切除する。雨除けを設ける前に梅雨に入ってしまったが、やっと今日その雨除けを設置することができた。

 雨除け設置 先週の土曜日に苗を覆っていた袋(寒さ除け)をはずし、支柱を設置した

 そして、植付け後最初の追肥を行った。これからほぼ2、3週間間隔で追肥を行うことになる。追肥をこまめにやることが、収穫増につながる。
 枝豆は5月8日に植え付けした。

 枝豆 7月上旬には食べることができるであろう 雑草だらけだが、なかなかとる時間がない

 現在のタマネギの状況である。かなり倒れてきているので、収穫の時期を迎えている。


 3月1日に植付けたジャガイモだが、なぜか花が全く咲いていない。この後咲くのか?咲かなくても収穫(6月中旬頃)には影響ないと思う。
 昨年ネキリムシにやられたニンジンだが、今のところ順調。土曜日に間引きを行い、その葉は天ぷらやおひたしにして食べている。ニンジンの実は漬け物(市販のぬか漬けの素)にして食べているが、なかなか美味しい。

 左側がニンジン もう一回間引きする必要がある 右側はブロッコリー
 5月4日に植付けたスイカ、親つるの5節目くらいで切り、それぞれの節から出てくる小つるを伸している。

 スイカの植え付け状況 右上にカボチャも見える

 子つるを伸し中 各小つるは針金で固定する 

   
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花房山・晴れるはずだったのに 21.5.23

2021-05-23 19:42:10 | 山登り
 今日は、前回のクマガイソウと鍋倉山に続き、名古屋の山ともと花房山(1189.5m)に登ってきた。天気予報では晴れだったのに、朝はこぬか雨。今回、特に注意したのはヒル対策、山ともはまだ見たことがないという。花房山は確かに尾根をずっと登っていくので、沢沿いに歩くことはない。しかし、尾根であっても、あまり陽が当たらず、おまけに杉の葉などが厚く積もっているところはヒルが出没する。そして、もう一つ気がかりなところとして、900m付近にあるキレットである。下りになる登りのときの方が注意を要する。長雨と今日の小雨で木根っこと岩は大変滑りやすくなっている。若いときであれば全く問題にならないと思うが、バランスが悪くなっている年寄りにはやはり要注意である。滑落の危険に備えて、ヘルメットをかぶった。

 7時50分登山口を出発。早速、Oさんがヒルを発見した。当方はスパッツを着け、忌避剤を靴とスパッツにかけているが、少し心配である。

 登山口 7:50

 目当てのブルーシートで囲まれたトイレ(藤橋民俗資料館に林間学級に来て、この山を途中まで登る子どもたちのためのものだと聞いている)が見えてきた。さらに2個目のトイレが見えてくると標高は600mを超える。後から若い登山者が追いついてきた。彼は、名古屋から来たと言い、今回がまだ3回目か4回目の登山だそうだ。元自衛隊員で体力はいかにもありそう、大股で登って行った。

 少しガスが晴れ、揖斐川が見えた 8:55

さらに4人ばかりのいかにもベテランらしきグループが下ってきた。まだ10時前だから、早く出発したのは間違いないが、ペースはかなり速そうだ。いよいよ先に触れたキレットが近づいてきたので、ヘルメットを着用した。以前山岳会で2月に来た時は初心者もいたため、ロープが張られた場所である。乾いていればさほど問題は無いと思うが、長雨と今日の小雨で木の根と岩は滑りやすくなっている。少し時間をかけてここを通過。


 キレットを通過しても、まだ約300mの登りが残っている。シロヤシオの花が長雨ですっかり落ちているのが残念である。 

 シロヤシオ 10:39

急な登りを1時間登ると、低い灌木帯が現れる。ガスは濃く、展望は全く利かない。おまけにたっぷり水分を含んだ木々の葉は登山者の服を濡らす。山頂に11時12分到着。誰もいない山頂で急いで昼を済ました。

 三角点(三等、点名「水飲」)

 山名標示板

 下りはとにかくスリップに注意した。山頂近くで単独の登山者、その下で3名の登山グループに出会った。

 ギンリョウソウ 登りでも発見したが、下りに写真を撮った

コースタイム 登山口7:50→キレット10:00→山頂11:12~11:40→登山口14:00

 帰りにハプニングが待っていた。藤橋城や資料館は直前に熊が付近をうろついていたのが発見されたことにより、急遽閉鎖された。係員がまだ入場しようとやってくる車に対して、熊が出ましたというカードを掲げて、すぐに退避するよう呼びかけていた。
 
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庭の花21春(最終号) 21.5.20

2021-05-20 13:56:38 | バラ、クレマチス等
 雨ばかりで今盛りのバラも台無しである。今日は幸い午前中雨が降っていなかったので、花柄を整理した。カップ咲き、ロゼット咲きは水分をたっぷり含み、茎が倒れてくるので、まだ十分奇麗でも切っていく。厄介なのは、つるバラで上の方は脚立に乗らないと届かない。

 今日は、最終回なので今までに紹介したバラも再登場することになる。


 5種類のバラが写っている 手前がナエマ、その奥がセプタードアイル、その右に少し顔をだしているのがジーンバーナー
 そして最奥〔上)がつるバラ2種
 
 ナエマ デルバール社のフレンチローズ

 セプタードアイル  イングリッシュローズ 好きなバラだ ロゼット咲き


 クロードモネ デルバール 

 フィシャーマン・フレンド イングリッシュローズ

 グラハムトーマス イングリッシュローズ

 クロッカスローズ イングリッシュローズ

 チャールストン フロリパンダ

 つるバラ ピェール・ドゥ・ロンサール



 クレマチス

 鉢のバラは5月中にほぼ咲き終わる。それを待って追肥をする。地植えのバラはつぼみも多くなかなか咲き終わらないが、6月中旬くらいまでにやはり追肥する。6月にもなると黒点病の原因となる長雨が続く(今年は既に梅雨入りしているので、その影響は早く出るかもしれない。)。消毒を定期的に行っていても、この病気は避けられない。雨が地面に落ち、その跳ね返りがバラの葉につく。土の中に病原菌がいるためである。この病気にかかると葉には黒い点が出てきて、やがて枯れて落ちてしまう。その後には新しい葉も出てくるので、枯れはしないが、秋の花に影響する。頻繁に消毒すれば防げると思うが、できるだけ消毒はしたくないので、病気になっても仕方ないと半ばあきらめている。梅雨が明けると今度は夏の高温が待っている。この夏をうまく越せないと枯れてしまう。特に鉢はその表面に強い光が当たると、鉢内は高い温度となり、これで根が傷んでしまうので注意が必要である。
コメント (1)
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10年後の福島 21.5.16

2021-05-16 19:10:18 | 面白い本はないか
 ずっとバラの話ばかりを報告してきたが、梅雨入りを思わせるような天候が始まったので、バラの話は一休みして、少し前に読んだ小松理虔(りけん)著「新復興論」を紹介したい。

 400ページと長いが抽象的な議論ではなく、ほとんどが実践の記録なので読みやすい

その前にまずは、5月9日(日)に放送されたNHKスペシャル「被爆の森 見えてきた初期被爆の実態」の話から始める。事故後、人間がいなくなった原発周辺の町々はイノシシ、アライグマ、アカネズミなどが住宅の中で繁殖している。10年間に駆除されたイノシシの数がなんと6万頭だそうだ。(余談だが、今年のタケノコでは昨年全く見なかったイノシシによる食害を多く見かけた。豚コレラにより激減したイノシシだが、復活しているのかもしれない。)
阿武隈山地では見かけることの無かったツキノワグマの繁殖が確認されたりしている。猿は初期被爆しているうえに、放射線値の高い葉っぱなどを食べ続け、外部被曝よりも内部の被爆が高い。猿への影響を調べ続けることによって、人間がどれくらいの被爆に耐えれるかの知見が得られると学者が述べていた。要するに、フクシマは世界の科学者が注目する壮大な実験圃場となっているという。今や、農業できなくなった農地にはメガソーラーが林立している。そして、ここで発電した電力は首都圏に送られる。番組では、森林の再生のきざしが見えていることを伝えていた。そういえば、広島でも原爆投下後は草木も生えないとか言われていたのに、自然はたくましく再生してきた。

 もちろん、おじさんは原発には絶対反対である。唯一の原爆の被爆国であるのにかかわらず、原発を推進し、そして二度目の放射能の被害を受けた。今から50年前の大学生の時に敦賀原発を見せてもらったことがあるが、当時は原発について深く考えることはなかった。先週中日新聞で浜岡原発のことを特集していた。防潮堤とか災害対策に10年間で1兆円を投資してきている(もちろん東京電力はそれとは桁外れの費用を費やしていることは言うまでも無い。)。最も危険な場所に立地しているという浜岡原発、将来の東海沖地震や南海沖地震でも起これば、再びの原発事故になりかねない。こんな地震が頻発する狭い国に原発が立地してしまったという事実を重く受け止める必要がある。「夢のエネルギー」ではなく「悪魔のエネルギー」だったのだと気づくことがあまりに遅すぎた。

 長い前置きで申し訳ない。「新復興論」の紹介をしたい。まず、この本をなんで知ったかだが、東浩紀著「ゲンロン戦記」〔中公新書ラクレ)に紹介されていた(東浩紀のこの本、結構面白かった。この著者は一般向けには「動物化するポストモダン」という本を書いている(今回初めて読んだが、なんだかあまりわからなかった。)。福島関係では2013年に「福島第一原発観光地計画」という本を書いており(もちろん読んでいない)、各領域で様々な議論を巻き起こし、本は売れなかった。この東の本では原発事故を後世に伝えるため、原発と周辺地域を観光地化しようという大胆な提案であった。そして、この本に反応したのが、小松であった。

 小松は「浜通り」いわき市(映画にもなった「スパリゾートハワイアンズ」がある)の出身で現在もそこに住み、地域の問題を発信し、つねに地域の振興について考えてきている。「復興」によって変わっていく地域、果たしてこの復興は将来の世代に評価されるのだろか。課題解決や復興の名のもとに、文化事業が行政と急接近していくと、アートが持つ批評性は去勢され、短期的な評価、定量的な評価ばかり下されるようになってしまう。300年後に地域の誇りとなるようなものを何一つ残せない、そこに暮らす人はほとんどいない。あれだけの予算をかけながら、防潮堤だけだったということにならないか。小松がこの浜通りで見てきたものは、現場における思想の不在というものであった。100年先の未来を創造することなく、現実のリアリティに縛り付けられ、小さな議論に終始し、当事者以外の声に耳を傾けようとしない。ふるさとの人たちは「二度目の喪失」に対峙している。

 いわき市

 当事者にとっては「観光化」なんて不謹慎きわまりないように感じるかもしれないが、観光は常に外部へと扉を開く、外部を切り捨てない。福島を観光することで福島の良さを知った人、不安が解消された(例えば福島産品への風評)人、友人が出来た人、学びを得た人がどれほどいるのだろうか。著者も旅行社まかせではないミニツアーを現地で何回も企画している。さらに、著者は2013年の冬から福島第一原発沖1.5km~10kmで海洋調査プロジェクト「いわき海洋調べ隊うみラボ」を行い、海底の土や魚を採取し、その放射線量を測定、公表している(魚などからは放射線は検出されていない。しかし、安全だと科学的に証明されても、それだけでは人間は動かないことも書かれている。人間とは一面非科学的で情緒的なのである。)。

 著者は福島は(東京にとっての)バックヤードだと言っている。東京向けの食料生産、下請けの工業、そしてかつての石炭(常磐炭鉱)、原発である。原発が止まっている現在、広野火力発電所、さらに国家備蓄用の原油、電力会社向けの重油もある。著者は、この浜通りを原子力災害の被災地、マイノリティの立場から、自ら方法的差別の道を選び、震災や原子力災害の悲惨さを後世に伝え、文化的なアプローチによって対話や創造力をはぐくむ土地にしていきたいと述べている。楽しくなければ理念も伝わらない。面白くなければ興味も持ってもらえない。おいしくなければ口にしてもらえない。そして人は簡単に何かを忘れてしまう。福島に、そして原発事故に関心をもってもらいたいと思えばこそ、私たちは、不真面目に徹し、遠くの誰かに、その面白さや楽しさを伝えていかなければならないはずだと最後の方で述べている。
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