今日は5月最後の日曜日、快晴だ。こんな日こそ山登りに最高だが、生憎と何の計画もない。そこで、近くの大野アルプスに出かけた。8時13分にいつもの大野町総合グランドの獣害柵に入場?。健脚コースから「こならコース」を経て登った。花立峠経由よりも少し距離が短い。途中でかつて同職のG氏が下ってくるのに出会う。彼は毎日雁又山(430m)まで登っているらしく、おじさんが出かけるたびにどこかで出会うことが多い。花立峠からのコースとの合流点からは、トレランらしき3人組が先行した。滝谷山で水分補給していると何も持たない男性(おじさんより少し若いか)が追い抜いていった。雁又山には9時33分に到着。帰り滝谷山の下りで顔見知りの月一のメンバー3人とも遭遇し、少し長話をする。山にはさわやかな風が吹いていた。駐車場で女性一人の登山者に「風は吹いていますか」と聞かれ、「ええ、さわやかな風が吹いてますよ」と答えた。女性は予報で風が今日は風が強いとなっていたため、山では吹き飛ばされるような風が吹いているのではないかと心配し、尋ねてきたことを知る。ちぐはぐな会話であった。
ハカタユリ まずはミラーレス(フルサイズ)の写真 絞り5.6
さて、本題に入る。日本は右傾化しているのかについて書かれた本は結構出ている。かなり右傾化しているという説やいやそうでないという説やら必ずしも定まっていない。おじさんには新聞紙の広告欄にある右傾向の雑誌の勢いが増しているとの感触を持っている。また、右翼の論者が出演する討論番組も意外と多い。このような雑誌あるいはテレビの状況からおじさんには「右傾化」していると思うことが多い。いや、それより気になるのは左翼(リベラルも含む)系の言説が弱くなっているのを感じる。それでは実態はどうなのか。これ以降は、小熊英二・樋口直人編集「日本は「右傾化」したのか」によりながら書いていく。
APSサイズ マクロレンズ100mm 絞り2.8
この本は360ページと長く、最後まで読み切るのは結構しんどいが、幸い編者の小熊氏が最初に手際よくまとめてくれているので、ここだけ読んでも大体のことはわかる。先に結論を言うと、社会全体の有識者意識調査などからは顕著な「右傾化」は見られない。一方で、政党、数強団体、報道のレベルでは右傾化が指摘されることが多い。さらに政治家は右派的な言動が目立つ。
まずは、国民の意識はどうなっているか。ジェンダー規範などでは寛容化の傾向にある。例えば同性愛についての許容は進んでいる。また、愛国心や民族的優越感などナショナリズムについては、一部に増加が見られるという程度に留まっている。外国人の受け入れに寛容となっている一方で、そうした人には近所に住んで欲しくないと考える人が増えている。また、中国人や韓国人への排外意識は増加している。かつて高学歴層は排外意識は高くなかったが、今では学歴による差はなくなっている。そして日本人は排外主義に対し、寛容である。
マクロレンズ 拡大
次にメディアの状況。他の先進国同様に新聞は分極化し、テレビは陳腐化している。日本では自民党の長期政権が続いている。政権から情報を取ろうとすると、メディアは体制に近づかざるを得ない。この中で左の言説を維持することはかなり難しい。また、メディアから情報を受ける、国民に政治ニュースを議論したり、話題にしたりすることが極めて少ない。マスメディアと社会の距離があまりに遠く、良くも悪くも社会の側は マスメディアの政治傾向に無関心である。しかし、右に分極化した新聞、出版などがあっても、これを読まない若年層には影響は及ばない。
新聞は2018年には3990万部となり、最高だった97年から約1400万部減少した。新聞を読まない国民が今後も増え続ける。新聞もテレビもネットによる影響を大きく受けている。こうした危機感の中、言論が分極化し、過激な右翼言論(市場=購読者や視聴者を四職した)が目立ってきている。テレビは、放送法による「政治的公平性」規制に縛られながら、情報デジタル化の波でのテレビ離れによる広告収入の減少のなか、放送内容はリスクを回避した平準化、陳腐化へと向かっている。
ネットに依存することの危うさも顕在する。ネットでは、われわれは意図せず好ましいと感じる情報に引き寄せられ、その結果タコツボ化した情報環境に身をゆだねることになってしまう。いわゆる「フィルターバブル」という現象が起こる。「まとめサイト」(よく見る記事と同様の記事が沢山並ぶようになる。これはおじさんのよく見るヤフーニュースでも起こっているようだ?)などのプラットフォーム業者はアクセスを増やすために刺激的な投稿を際立たせることが行われる。
最後に政治レベル。夫婦別姓や外国人参政権が自民党の右派の反対によって実現できない。またLGBT法案も見送りとなった。これらは支持基盤という下からの右傾化ではない。民主党への対抗と差別化という動きの中で2009年以降強まった。特に地方選挙では低投票率と万年与党や万年首長が各所で見られる。現在は、「保守」と「革新」という軸が半ば以上失われたあと、次の軸が見いだせていない状況である。
編者の樋口氏が書いている。右傾化により失われたものとして、国民国家、家族、性別役割の機能が弱体化しているのに、旧態依然たる法律や社会保障制度を変えられないがゆえに、世界最速で進む高齢化と少子化に対応できていない。一方で台湾や韓国は,家族やジェンダー、移民、人権関係の法律を次々に整備しているのと対照的であると。例えば、夫婦別姓に反対する理由として「家族が崩壊する」とかである。すでに単身家庭の増加で家族制度は半ば崩壊しているのに。
クレマチス ミラーレス(フルサイズ)
長々と引用してきた。右傾化ということよりも、国民の政治への無関心の方が一層心配である。これではいつのまにか、国民の誰もが望まないような国になってもおかしくない。日本は中国同様、世界標準からすると異様な国になるかもしれない。
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さて、本題に入る。日本は右傾化しているのかについて書かれた本は結構出ている。かなり右傾化しているという説やいやそうでないという説やら必ずしも定まっていない。おじさんには新聞紙の広告欄にある右傾向の雑誌の勢いが増しているとの感触を持っている。また、右翼の論者が出演する討論番組も意外と多い。このような雑誌あるいはテレビの状況からおじさんには「右傾化」していると思うことが多い。いや、それより気になるのは左翼(リベラルも含む)系の言説が弱くなっているのを感じる。それでは実態はどうなのか。これ以降は、小熊英二・樋口直人編集「日本は「右傾化」したのか」によりながら書いていく。
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この本は360ページと長く、最後まで読み切るのは結構しんどいが、幸い編者の小熊氏が最初に手際よくまとめてくれているので、ここだけ読んでも大体のことはわかる。先に結論を言うと、社会全体の有識者意識調査などからは顕著な「右傾化」は見られない。一方で、政党、数強団体、報道のレベルでは右傾化が指摘されることが多い。さらに政治家は右派的な言動が目立つ。
まずは、国民の意識はどうなっているか。ジェンダー規範などでは寛容化の傾向にある。例えば同性愛についての許容は進んでいる。また、愛国心や民族的優越感などナショナリズムについては、一部に増加が見られるという程度に留まっている。外国人の受け入れに寛容となっている一方で、そうした人には近所に住んで欲しくないと考える人が増えている。また、中国人や韓国人への排外意識は増加している。かつて高学歴層は排外意識は高くなかったが、今では学歴による差はなくなっている。そして日本人は排外主義に対し、寛容である。
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ネットに依存することの危うさも顕在する。ネットでは、われわれは意図せず好ましいと感じる情報に引き寄せられ、その結果タコツボ化した情報環境に身をゆだねることになってしまう。いわゆる「フィルターバブル」という現象が起こる。「まとめサイト」(よく見る記事と同様の記事が沢山並ぶようになる。これはおじさんのよく見るヤフーニュースでも起こっているようだ?)などのプラットフォーム業者はアクセスを増やすために刺激的な投稿を際立たせることが行われる。
最後に政治レベル。夫婦別姓や外国人参政権が自民党の右派の反対によって実現できない。またLGBT法案も見送りとなった。これらは支持基盤という下からの右傾化ではない。民主党への対抗と差別化という動きの中で2009年以降強まった。特に地方選挙では低投票率と万年与党や万年首長が各所で見られる。現在は、「保守」と「革新」という軸が半ば以上失われたあと、次の軸が見いだせていない状況である。
編者の樋口氏が書いている。右傾化により失われたものとして、国民国家、家族、性別役割の機能が弱体化しているのに、旧態依然たる法律や社会保障制度を変えられないがゆえに、世界最速で進む高齢化と少子化に対応できていない。一方で台湾や韓国は,家族やジェンダー、移民、人権関係の法律を次々に整備しているのと対照的であると。例えば、夫婦別姓に反対する理由として「家族が崩壊する」とかである。すでに単身家庭の増加で家族制度は半ば崩壊しているのに。
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