城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

クリスマスローズ 21.2.28

2021-02-28 19:59:34 | バラ、クレマチス等
 明日から3月、春である。時間が過ぎるのは、本当に速い。1日/71(年齢)×365日と考えれば、年齢を重ねるだけ速くなるのは道理だ。さて、おじさんには毎月のこだわりというのがあって、本20冊以上、城台山20回が最低目標なのだが、この永年の目標の一つ城台山が19回となり、目標未達となった。正直どうでもいいいことなのだが(かみさんには「自己中」極まりなしと言われた。その訳は、この目標がすべてのことに優先するからである。)、B型のおじさん(かつて所属した会には多くのB型がいた!!)にはどうでもいいことではないのである。

 では、なぜ達成できなかったというと午前中池田山に登り、午後は読みかけの本に集中したかったからである。読みかけの本は、新書にもかかわらず590ページあり、昨日今日でやっと430ページ読んだ。そして、山はできれば一週間に一回くらいは登っておきたいと思っているので、今月三回目となる山すなわち池田山に出かけた。大津谷登山口から登るのはいつものことだが、何回登ってもきつい。もちろんきついので登っているということなので、当たり前なのだが。登山口には2台の車があった。このコース、特に前半の30分がきつい。休もうかどうしようかと思いながら、立ち休憩もしながらではあるが、1時間25分結局アンテナのところまで歩いてしまった。アンテナで途中で買い求めた肉まんを食べた後下り始めた。途中、女性単独と男性のトレラン単独とすれ違う。

 林道からパラボラアンテナ

 池田山山頂方面

 大津谷コースと揖斐川

 登山口に案内板からコース地図

 ここからが今日のクリスマスローズの紹介となる。未だ咲いていないのも数多くあるが、随分咲きそろってきた。

 白、黄色、紫の品種が混ざりあっている 過去に種をばらまいたからだと思う





 パステルカラー

 花芽はあがって来ているが、つぼみの状態 黒の品種

 鉢の八重 八重の品種は他にあるのだが、咲いているのはこれだけ

 おまけ キクザキリュウキンカ

 庭のバラ、芽が随分大きくなってきた。

 一つの茎に芽二つとするので、それ以上の芽は手で摘む
 特にクライミングは芽が沢山出てくるので、適当に整理する(そうしないと風通しが悪くなり、病気になりやすい) 


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三度天狗山へ 21.2.23

2021-02-23 19:59:02 | 山登り
 天狗山(1149.1m)は奥揖斐を代表する山である。三町大橋付近から見ると飯盛山と小津権現山に挟まれて端正な山容をしている。今日はここへ三度目に登ってきた。ここへの主要なルートは坂内道の駅から登る西側ルート(写真はその西側の尾根)と東側すなわち親谷(藤橋城手前)の少し手前にある鉄塔の巡視路を利用して登るルートが一般的である。おじさんの好みとしては断然東側ルートが良いと思う。道の駅から登ると前半は急登であるし、展望も悪い。一方親谷側は常に花房山、小津権現山、眼下には槿山ダム湖を望みながらのルートであり、後者が優れている。

 三町大橋と天狗山(中央白い山) 登山終了後撮りに来た 幸いくっきりとはいかないが撮れている
 今日は一日中強い風が吹いていた

 今日のメンバーは総勢5人、現地でダブルOさんが加わることが判明した。このうちM(ブログ「ブン太ココから」参照)さんは、雪山初心者で池田山、貝月山とご一緒し、是非天狗山にと誘ったのだった。登山を始めて5年か6年、城台山を通じて知り合い、是非雪山の楽しさを体験して欲しいと強力に誘った。我が親愛なる奥揖斐山荘のオーナーであるEさんも、登山の様々な魅力をできるだけ多くの人に伝えたいと願っているので、やる気を持っている人は大歓迎ということになる。さて、今日の天狗山、朝方まで雨が降っていたようである。先週降った雪が結構残っていると考えていたのだが、ここのところの気温の高い日が続いたこともあって、路側にはほとんど雪が残っていなかった。

 車を親谷の入口付近に停めて歩き出した。すぐに鉄塔の巡視路の階段が見えてきた。

 国道からこの階段を登る 標高225m
階段の先は少しぬかるんだところもある。鉄塔付近から雪がやっと出てきたが、まだワカンをつける段階ではない。

 鉄塔 7:44 標高351m
進行方向の右側、北からはずっと強い風が吹いている。そのまま壺足で登って行く。すると後発のダブルOさんが追いついてきた。さらには池田町の二人組も登ってきた。出発してから2時間、標高737m付近でワカンを装着。雪も比較的固く、沈まないが、ワカンの爪は少し急傾斜になると利かない。しかし、登るにつれ、雪も尾根の頭付近は固くなってきて、しっかり爪が食い込んでくれる。こうなるともう緩斜面では皆が急にしゃべり出す。

 900mを過ぎると右に大きく曲がり、山頂はまだ遠いが見えてくる。

 真ん中が山頂 10:12 
1075m付近になると、山頂がすぐそこに見えてくる。

 山頂は間近 10:48

山頂手前で池田町の二人組が降りてきた。風が強く、寒いので少し下ったところで昼食を取るとのことであった。いよいよ広い山頂が見えてきた。見覚えのある山頂の標識が木につけられてるのが目に入ってきた。駐車地から約4時間、待望の山頂に到着。

 木につけられた標識 随分高いところにあることから、雪はさほど多くないとわかる

 小津権現山

 花房山

ダブルOさんは風の当たらない雪庇が作る場所で昼食中だった。興奮さめやらぬMさんを中心に記念写真を撮った。

 本日のメンバー おじさんは撮影者

 雪庇下で風をよけて昼食 Mさん提供

昼食後、下りにかかった。雪の下りは本当に楽で、膝痛に悩んでいたおじさんもあまり痛みを感じることもなかったが、雪がなくなったところではいつもの様には下れない。道路に降りたって、今回無事に登れたことに感謝した次第である。

コースタイム 駐車地7:20→山頂11:15~12:00→駐車地13:55

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光の教会・安藤忠雄の現場 21.2.21

2021-02-21 17:15:57 | 面白い本はないか
 貴方はこの中で誰を知っていますか。フランク・ロイド・ライト、ル・コルビジェ、辰野金吾、丹下健三、磯崎新、黒川紀章そして今回の安藤忠雄。いずれも著名な建築家で、ライトは帝国ホテル(今は明治村にある)、コルビジェは西洋美樹館、辰野金吾は東京駅、丹下健三は東京都庁がその作品として有名である。それ以下の建築家の作品なら岐阜県にもある。磯崎新は多治見市にある現代陶芸美樹館、黒川紀章は大垣市のソフトピアジャパン、そして安藤忠雄は岐阜市にある国際会議場がその作品である(この時期こうした有名建築家の作品がぼこぼこ建った)。

 今回紹介する平松剛「光の教会・安藤忠雄の現場」は大学で建築、特に構造設計を学んだ著者が書いたノンフィクションである。おじさんとこの本との出会いは、武田徹「現代日本を読むノンフィクション」で紹介された沢山の中の一冊である。同じ著者が書いた「磯崎新の「都庁」」も面白そうであったが、今回は「光の教会」の方を選んだ。県図書館で本を借りるのは、まずは新刊本の中から面白そうな本をピックアップするのとこうした他の本で紹介された本を芋づる式に選んだ本、さらには新刊本のおいてあるまわりの書架を眺めて選ぶ。

 光の教会とその設計に取り組む安藤忠雄のイラストが魅力的

 安藤忠雄といえばテレビでも何回も取り上げられているので、ご承知の方も多いと思う。コンクリート打ちっ放しの外観、壁は特に有名である。プロのボクサーの経歴を持ち、高卒ながら東大の教授にまでなってしまった。岐阜市の職員で国際会議場建設の担当になった人によれば、彼との交渉は極めて大変だったと聞いた。自分の理想、アイデアにこだわる一方で事務所の職員の意見も良く聞く。無類の議論好きで、設計の途中で新たなアイデアが湧いてくる。これにつきあう工務店、赤字になることがわかっているのだが、建築家の夢を実現するために伴走してしまう。下手な解説はこれくらいにして、以下に同書から興味を惹いた箇所を引用する。

 有名な「住吉の長屋」 長方形が3等分され2階の両端の部屋は寝室、真ん中は中庭でトイレは1階にしかないので、一旦中庭に出てから階段を降りる必要がある

 「120人は収容可能な教会堂という要求である。坪50万円(50坪総額2500万円)の予算ではいかんともしがたい。原価で引き受けてくれる工務店を見つけなければ、とてもできあがらないだろう。しかし現実問題としてそんな都合のいい話に乗ってくれる工務店など果たして存在するのであろうか。施主(教会側)と建築家にいくら熱意や理想があろうとも、第三者である工務店を動かすのは基本的に金である。そんなことは十分分かっていた。しかし仮に偽善的な物言いであっても、人の想いが経済を超えることはできないものか?そんな瞬間を是非見てみたい」(もちろん建築家はこの話を受け、懇意にしている工務店に依頼することになる)
「芸術家であると同時に設計事務所の経営者でもある安藤にとって、茨木春日丘教会の仕事は他のものと意味合いが異なっていた。これを手がけることは事務所の金銭面の利益にはまったく寄与しない。明らかにマイナスである。(略)この教会は大げさに言えば、彼の社会に対する挑戦であり、批評でもあった。(この頃列島はリゾート法などにより乱開発が起きていた)」


 「水谷(建築事務所職員で今回「光の教会」の現場監督、これとは別に実際の工事を差配する工務店の現場監督がいる。彼は京大卒で学生時代から安藤事務所にアルバイトしていた)がアルバイトを通して見続けた建築家は、とにかくスタッフを叱り、いろいろな細かいことを絶えず気にしながら設計を行う人物だった。その真剣さ。」「安藤事務所はまさに弟子が建築の仕事を修行する場なのである。」

 (光の十字架というアイデアが出るのに半年以上を費やした)「茨木春日丘教会(光の教会)ではその印象から「光に人間の気持ちが全部集まるような教会ができないかものか」と彼は考えた。開口部を十字架の部分だけにすると「光の十字架」ができるでだろう。そしてその光の十字架に、そこに集まる人たちすべての気持ちが集まっていくというようにならないだろうか。」

 光の教会の最奥部に光が差し込むスリットが設けられている この光の十字架を強調するために室内は暗い
 

 「建築の現場は、監督を中心に、多業種にわたる下請け会社を組織して進められる。それら下請け会社はもちろん工務店の専属会社ではないから、それぞれ他にさまざまな物件の仕事の予定がある。(略)そこへ一箇所でも変更とか中断がでてくると、折角苦心して立てた予定が、がたがたに崩れてしまう。そうなると現場監督はつらい。あちこちに頭を下げて回らねばならない。」(工務店の社長の言葉)「私たちの仕事は、いろいろな業者や職人のかたがたの協力のうえに成り立っています。ですから私はこれから、そのいろいろな方々にご理解を求めていくわけです」(とにかく予算がないので、安い金で仕事をしてくれということになる。ますます現場監督は苦しくなる。)

 (各建築設計は安藤+スタッフ1名で行われる)安藤の言葉「スタッフと僕との間は、すごい緊張関係があって。どっちがどっちを押さえ込むか、という関係やから。施主と僕よりは、僕とスタッフの関係の方が緊張しているな。」
(安藤の言葉)「建築というのは生きモノだ、と僕は思っていまから、やっぱり自分が作ったモノは、自分が元気な間は気持ちをかけていく、気持ちと常にかけて、ちょっとずつでも良くなることを、自分でできる範囲でやりたいと思います。」「基本的に自分たちがその地域にこういう教会を持っている、こういう教会にいるという誇りを持てるようなモノを作りたいというのがわれわれの気持ちなんですね。」

 最後に著者は、一建築の誕生を建築の内側にいる人間がその知識を駆使してノンフィクションとした描き出したもので本格的なものは本書が初めてではないかと言っている。安藤忠雄という稀代の建築家の考え、生き方などがよくわかると同時に、一建築ができあがるまでの過程を余すことなく描き出していて、未知の世界へといざなう読書の醍醐味を味わうことができる一冊である。


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情けは人のためならず 21.2.19

2021-02-19 13:51:55 | 面白い本はないか
 膝痛と大雪のため、巣ごもり状態にある。膝痛の方は少し良くなってきたので、4日振り(水曜日)に城台山に登ってみた。登りはまあまあなのだが、下りは膝に負担がかかりすぎて、階段は特につらい。水曜日の夜から降り出した雪は昨日まで降り続き、積雪量が30cmくらいに達した。これで春山のようになっていた奥揖斐の山々も再び新雪に覆われた。雪が止んだ今日、獣の足跡以外何もない新雪の道を長靴で登ってきた。公衆トイレの屋根からは小さいが久しぶりに見るつららが下がっていた。

 小さなつらら 冷え込みがきつかったのだろう

 三輪神社から見る城台山

 城台山山頂

 巣ごもりを利用して、確定申告書を作成した。ほとんど年金なのだが、少しだけ所得税を払っている。計算すると所得控除額が所得額を上回り、マイナスの数字となる。負の所得税という(低所得者用の補助)のがあればいいのだけれども、ないので源泉徴収された税金だけが戻ってくることになる。確定申告自体は、慈善団体に寄付をし始めてからするようになった。この寄付については、このブログの19.4.22「日本の寄付文化」で触れているので良かったら見て欲しい。なぜ寄付をするのだろうか。おじさんの場合、身体的サービスの提供ということにはあまり積極的になれない(団体に加わりたくない)ので、せめて気持ちだけはと思い、それを寄付の形でしていることになる。

 ここからは桜井政成「コミュニティ幸福論」の紹介をする。「世界幸福度報告書」(2019.3.20)によると156カ国中日本は58位、1位はフィンランド、2位はデンマーク、3位はノルウェーと北欧諸国が上位を占めている。日本の幸福度が低いことについて、ヨーロッパ出身の日本研究者は、皆「とても幸せ」という選択肢を選ばずに「まあまあ幸せ」というぐらいの答えを日本人は選ぶことが多いからではないかと言っている。さらに幸福のとらえ方の違いが北米と日本を含む東アジアで違うことを指摘する研究を紹介している。北米では個人達成志向で個人目標達成とか自尊心、誇りとかいったものに価値を置く。一方、東アジアでは関係志向で協調的幸福、人並み感が重視される。人と関わることによって、幸福だと日本人は考える。ボランティア活動と幸福度の間には相関関係がある(ボランティア活動をするから幸福度が高くなるのか、幸福度の高い人がボランティア活動に積極的なのか、どっちかは分からない)

 世界寄付指標(イギリスのチャリティエイド財団、2008~2017年128カ国の130万人にインタビュー)、この指標では3つの質問、①助けを必要としている他人あるいは見知らぬ人を助けたか、②慈善団体に寄付、③何らかの組織でボランティア活動に時間を費やしたかをしている。日本は107位、その中味を見るとボランティア46位、寄付64位に対し、見知らぬ人への助け125位となっており、これは世界ワーストである。

 横軸 ボランティアをした人の割合 縦軸 見知らぬ他者を助けた人の割合 日本だけ外れた位置にある

なぜ見知らぬ人を助けないのかというは、日本のボランティア活動の謎とされる。このわけは、日本のボランティア活動が町内会等地域社会とのつながりの強い組織で行われることが多いからであり、ウチでは気をつかいすぎるくらいつかうのにソトでは気を使えない日本人の気質、性格と関係があると言われる。さらに、コミュニティでは「返礼のない贈与はまずあり得ない=互酬性」がある。(コミュニティだと互酬性は成立しやすいが、見知らぬ人とは互酬性が成立しがたい。しかし、互助はAに助けられたBがAに対し必ずしも行うものではない。Cに対してだって良い。これを広げれば見知らぬ人であっても構わないのでないかと思ったりする)

 助けを必要とするのに助けを求められない人が多くいる。これは家族の中ですら起こりうる。認知症の初期症状が現れた香川さんの事例では、家族に頼れない、頼りたくない香川さんは、意を決して参加するコミュニティサロンのメンバーにその症状を打ち明けた。こんなケースは、香川さんが強かったからできたことで、助けられる覚悟ができないと、その助けてさえ言うことができない。人は助けてもらうことで幸福感を感じるのだが、ありがたみとともに申し訳なさ(心理的負債)を感じてしまう。この本で紹介されている岡壇「生き心地の良い町」(おじさんも昔読んだ!)では、自殺率の低い町の徳島県の海部町と対照的な自殺率の高い町(同じ県にある)を比較している。前者は風通しの良いコミュニティ=権力関係がうすい、後者は地域コミュニティが濃密で、住民が「困った時はまわりの人が助けてくれる」という認識を持っている。ところが、これは逆に言うと「本当に困った時しか、助けを求めるのは申し訳ない」ということにつながる。困っても他人に助けを求めないこと、あるいは逆に困っている人に「気づかない」ことが、日本の人々の間では文化的な習慣としてデフォルトになっているのではないか。

 最後に揖斐川図書館で見つけた「こんな夜更けにバナナかよ」を紹介する。様々な本で引用されることが多い本である。また、映画にもなりその主人公役の大泉洋の演技が絶賛された。おじさんは見ていないが、それをテレビで見た家内がその主人公について「とても好きになれない」と本を読んでいたら横からコメントした。確かに、おじさんも読んでいて、とても好きになれなかった。しかし、その気持ちは読み進めるうちにだんだんと変わっていくのを感じた。主人公の行動によって、障害者というある意味「ステレオタイプ」な考えはどんどん破られていく。少し、本題から離れるが、日本の障害者施設や高齢者施設はほとんどが市街地と離れた場所にひっそりと作られている。ある意味健常者からは隔離されていると言える。そして施設の中では入所者の行動は細かい規則により制限される(施設職員の少なさと大いに関係する)。ここでは我々が普通だと感じることができないのである。このことが鹿野が自立生活をスタートさせた根本的な理由である。好き嫌いは別としてこの本は、やはり必読の本だと思う。当事者主権すなわち健常者立場に立って考えるのではなく、障害者の立場に立って考える、障害者自身に発言させること、また街のバリアフリー化も随分進んだとも思うが、やはり心のバリアは容易にはなくならない。

 原案渡辺一史、脚本橋本裕志 もとはノンフィクションとして書かれているが、脚本によりどこが変わったのか調べていない

 家内がある団体にマンスリー寄付をし出した。とても良いことだと思う。寿命の有る限り、「生き心地の良い町」づくりに微力でも務めていきたいと思う。


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ドイツの過去と今 21.2.13

2021-02-13 11:56:11 | 面白い本はないか
 今日は、予定通りであれば、石徹白の小白山(おじろやま)に行くはずだった。ところが、昨日昼頃から急に膝痛となり、断念せざるをえなかった。小白山は野伏ヶ岳の南にあり、おじさんにはもう生涯登ることはないと思っていたが、先週の土蔵岳のメンバーを中心に行くことになっていた。山の話は未練がましいから止めて、その膝痛なるものについて脱線するが少し話す。40代を過ぎる頃から、その症状はまず眼から始まった。何回も炎症を繰り返すうち、片方の視力は失われた。50代では残りの眼にも炎症が出るようになり、失明を覚悟した。幸い、失明には至ることもなく、今では車にも乗っている。眼以外の症状では、足の関節付近にときたま炎症が起こる。炎症を抑える薬を飲むほかは、症状が治まるのを待つほかはない。この症状が出ると一週間程度は山に行けなくなる。無病息災は理想だが、かえって健康のありがたみが分からなくなる。一病息災か二病息災でいるのが丁度良いのかもしれない。

 さて、今日はタイトルにもあるとおりドイツの話を3冊の本を紹介しながらすることにしたい。高野弦「愛国とナチの間」のあとがきにもあるとおり、「日本人とドイツ人は似ている。几帳面で勤勉。そして秩序や社会の一体性を好む傾向。(中略)歩んできた道のりも似ている。ともに近代国家の建設が遅れ、世界に台頭する過程で先行する国々とぶつかった。第二次大戦で敗れたあとは、経済大国として再び存在感を高めながらも、敗戦国故に国際政治の舞台では常に遠慮がちに振る舞い、国内にあっては愛国的なものは長らく忌避されてきた。」。この本ではキリスト教民主同盟(CDU)のかつての党首で22年に首相を退任するアンゲラ・メルケルを襲う数々の難題を彼女が苦悩しながらも対応していく様を描いている。現在、ドイツを襲う最大の問題は、ドイツのための選択肢(AFD)の急進、CDUに代表される保守及びドイツ社会民主党(SPD)の低調にある。(この国は比例選挙制をひいており、単独で過半数を超える政党が存在しないため、必ず他党と連立を組まなければならない。)AFDの急進は、難民の急増によってもたらされたほか、置き去りにされた旧東ドイツ出身の国民の不満、タブーとされた「愛国」精神(うらを返すとイスラム教徒などの排斥に容易につながりかねない。そしてそれはナチの時代を想起させる。)難民の受け入れをめぐっては、メルケルは苦悩しながらも大幅な難民受け入れ政策をとった。これに対しては自党の中からも反対論が続出していた。ギリシャ問題では国内的には多くの反対論がある中で大きな支援策に乗り出した。メルケル自身は、プラグマティストである一方で、キリスト教に基づく信念から時に保守から外れる判断もする(難民受け入れ=人道的措置)。ナチ時代への反省という点において、ドイツは徹底しているが故に、民族主義や移民排斥を訴えるような政策には同意するわけにはいかないのがドイツの主流なのである。こうして、日本と比較すると「過去の反省」という点において、両国には相当な違いがあると思う。


 次に、「荒れ野の40年ーヴァイツゼッカー大統領演説」を紹介する。とても有名な演説で、「言葉の力」ということを教えてくれる。1985年5月8日にヴァイツゼッカー大統領が行った演説で、5月8日はドイツ敗戦の日から40年後にあたる。演説中最も有名なところは「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」。印象的なところを引用する。「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。」「われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は誠実さであります。心に刻み続けるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人々が理解出来るように手助けせねばならないのです。」「若い人にお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティブを唱える人々や保守主義者、黒人や白人」。

 ※この演説でも、悪いのは国民全部ではなくナチという少数のしたことであり、大部分の国民は知らなかったという箇所が出てくる。しかし、ナチの時代のことが明らかになればなるほど、そうではないことが明らかになってきている。

 最後に紹介するのは、田野大輔「ファシズムの教室ーなぜ集団は暴走するのか」。この授業の様は最後に紹介する。いかに人間は集団の中にいることに魅力を感じ、容易に集団外の個人、考えなどを異分子扱いして排斥するのかということを深く納得させてくれる。歴史的現象としてのファシズムを第一次大戦や世界恐慌による混乱を背景に、ドイツやイタリアなどで台頭した独裁的、全体主義的な政治運動、体制を指し、議会制民主主義の否定、偏狭な民族主義や排外主義、暴力による市民的自由の抑圧といった特徴をもつものと定義することが、ファシズムの根本的な本質をぼやけさせていると説く。究明する鍵は、集団行動がもたらす独特の快楽、参加者がそこに見いだす「魅力』にある(小学校の運動会やサッカーの試合の応援の中にいると「一体感」という魅力を感じるのではないか)。大勢の人々が強力な指導者に従って行動するとき、彼らは否応なく集団的熱狂の渦に飲み込まれ、敵や異端者への攻撃に駆り立てられる。ここで重要なのは、その熱狂が思想やイデオロギーにかかわりなく、集団的動物としての人間の本能に直接訴える力を持っている。複雑化した現代社会の中で生きる人々の精神的飢餓感に訴えるという本質的な特徴がある。アメリカのトランプ現象、ドイツの排外主義、日本のヘイトデモなど世界中でファシズムが再来していると言ってよい。ナチス時代のイメージとして、ヒトラーが絶対的な権力を握り、国民を無理やり従わせていたというイメージが強いが実態は違う。戦後の聞き取り調査では戦争が始まるまでは、「良い時代」だっとと回想した人が多かった。ナチズムは大衆運動であり、この運動に関わった人たちは多かれ少なかれ積極的にヒトラーを支持した。戦中と戦後で態度を豹変させた人は、日本と同様ドイツにも多くいた。見方を変えれば、かれの言動は戦中と戦後で矛盾していない。時代ごとの正義、誰もが逆らえない権威を笠に着て、これに従わない人々を抑圧しようとしている点では彼の姿勢は一致している。

 最後にファシズムの体験学習の内容を同書により紹介する。 これは2010年から2020年まで甲南大学で行われた。授業の趣旨は、権威に服従することで、人々は他人の意思を代行する「道具的状態」に陥る。彼らは自分の行動に対する責任から解放され、敵や異分子を思うままに攻撃する。このことを学ぶ。
 ◯授業の概要 90分×2回の特別授業 受講者250名
  <1時限目>
  ・教師が指導者=「田野総統」になることを宣言 拍手喝采で受講者が賛同
  ・指導者への忠誠を誓わせる敬礼「ハイル、タノ!」をあらゆる機会に言わせる
  ・教室内で敬礼と行進の練習を何回も行い、集団の力の大きさを感じさせる球団
  ・「田野帝国」の象徴として、制服(白シャツ、ジーパン)とワッペンを着用
  <2時限目>
  ・大学構内でリア充のカップルを3組見つける(実はサクラ)
  ・屋外の実習でその3組のカップルを取り囲み、拡声器の号令に合わせて「リア充爆発しろ」と叫んで糾弾する
  ・カップルを退散させ、拍手で目標達成を宣言
  ・教室に戻ってレポート提出
  ※この授業がネット、新聞等で評判になり、一方で批判も多く出て、受講者には好評であったが、継続できなくなった。批判のなかには「寝た子を起すな」とか「臭い物のはふたをする」というようなものがあった。しかし、こうした   考えでは、容易に「いつか来た道」に来てしまう可能性を著者は訴えている。

 この「ファシズムの教室」は揖斐川図書館の新刊で見つけた。「愛国とナチの間」は県図書館の新刊で見つけた。この2冊に「荒れ野の40年」を加えてみた。3冊も紹介したので、前の2冊の本が少ししか紹介できなかった(いつものことかもしれないが)。そして今、田野大輔「愛と欲望のナチズム」という本を読んでいる。ドイツ版「産めよ殖やせよ」で優秀なドイツ国民を育てるため、軍の中ではびこる同性愛者を排除し、優秀な子どもを体制維持そして軍隊維持のために産んでもらう。このためポルノと見間違うばかりのヌードの写真をヒムラー等ナチの幹部が音頭をとって使った。ナチの言う健全なヌードとわいせつで卑猥なヌードの区別(日本の軍隊とは随分違う)などとても面白い。一読の価値ありと思います。
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