城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

歴史小説をより楽しむために 24.8.26

2024-08-25 19:15:27 | 面白い本はないか
 水曜日頃に台風10号がやってきそうである

 この台風に備えて、昨日ナス、ピーマン、甘トウガラシを支柱にしっかりと結わえ、トマトの雨除けビニールを撤去した。さらに、その夕方ここのところの雨でにわかにのびた草を草刈り機で刈った。
 
 今朝は夏剪定前で枝が伸びたバラに支柱を立ててむすんだ。


 今日は、浅田次郎の「流人道中記」と戸森麻衣子「仕事と江戸時代」を取り上げる。

 歴史小説あるいは時代小説では江戸時代が舞台となることが多い。だから、小説家は当然のことながら江戸時代のことを相当勉強する必要がある。史実を学んだうえで、想像力を最大限働かせて、小説を書くことになる。

 読み手である我々は、史実について勉強しなくても(知らなくても)楽しめるようにはなっているが、少し史実も学んでおくと、今以上に楽しむことができると思うが、いかがか。


 まずは、「流人道中記」のあらすじから。中心人物は、不義密通(普通なら死罪となる)で切腹を迫られたが、それを拒んだ結果、蝦夷の地の領主松前伊豆守に永年お預けとなった旗本の青山玄蕃。そしてかれを蝦夷の地まで送り届ける役に任命された見習い与力の石川乙次郎。かれは青山が流人とされた訳を詳しくは知らない。奥州街道をたどる旅の途中様々なこと起こり、世間に通じた青山はこれらの事件をこれ以上の解決方法はないのではないかと思われるような見事な方法で解決していく。仙台藩では伊達のお殿様が玄蕃が来ることを知って大歓待する。石川は青山の流人らしからぬ言葉や行動に反抗したりするのだが、次第に認めることになっていく。

 終盤になって、青山玄蕃の身分とその不義密通とされた事件のあらましが青山自らの口から明らかになってくる。青山の上司(石数では下)が出世さらには邪魔となる青山を陥れたが、青山は上役にその詳細を語ろうとしないし、また弁明もしない。評定の結果、下った裁決、自裁すなわち切腹を「痛いからやだ」と言って拒んだ。青山が世間を良く知っているのは、その出自からであった。青山家に仕える女中を母とし、母共々捨てられた。残飯をもらって、日々の糧とするような暮らしの中で武士という世界以外のことを知ることになる。ところが青山家の跡継ぎがいなくなって、急遽旗本という殿様になったのである。彼が切腹を拒むのは、言われなき罪と「武士が命を懸くるは戦場ばかりぞ」という信念があるからである。青山の言われなき罪に対し、最もするどく反応し、仇討ちの準備をさせたのが奥方であった。まさに忠臣蔵のような光景だ(このシーンがこの小説の中で最も感激する箇所である)。奥方をぎゅっと抱きしめ、感謝するとともに裁決を受け入れることを彼女にささやく。こうして青山家3250石は闕所となった。

 一方、押送人の石川さん、そのうちに流人から乙さんと呼ばれた見習い与力。彼の実家は御家人で、彼の兄が父親から家督を譲られて同心を務める。彼は次男坊であり、同心という職には就けない。何らかの職に就くには、他家の婿になるか養子縁組しかない。彼は、武芸と学問に励み、兄が急になくなった石川家の婿に選ばれる。妻は15歳、半年経つがあまりに幼く、抱くことさえできないという事情がある。義父は与力について、何も教えてくれない。
 
 以上があらすじ。

 ここからは、「仕事と江戸時代」を紹介するが、この本では江戸時代の武士、町民、百姓、女性の働き方について書かれているが、ここでは上の小説との関連から武士のみについて書くことにしたい。

 まずは江戸時代について。戦乱の時代から平和な時代となり、耕地面積の増加(新田開発)から人口が増加した。必要な基本的食料である米、麦ばかりでなく生活を豊かにするための作物、農産物を加工した商品が作られた。水陸の遠距離輸送が発達し、米や各地の産物が流通した。また、問屋、仲買、小売りといった商人の分業体制が発達した。こうした経済のベースとなった貨幣の普及があった。

 江戸時代の人口の大多数8~9割が百姓として村方で生活した。彼らは自給自足ではなく、生活に必要な商品を買うために、何らかの手段で銭を得ていた。幕府や藩は定期的に戸籍調査(人別改)を実施し、一戸ごとに戸主ならびに家族全員の名前と年齢を名主、組頭といった村役人が調査した。人別帳には百姓が所持する田畑の面積、石高、漁師、猟師、大工などの稼業も書かれることがあった。江戸時代後期になると、年貢の金銭による支払いが増えるとともに、大工、鍛冶屋、染め物屋、質屋、酒屋、宿屋、湯屋、居酒屋など副業が主たる生業となる百姓が増えていった。半年、一年、長期の出稼ぎが増え、金銭による雇用契約が行われた。関東地方やその周辺では武家屋敷や商家の下働きとして雇われた。しかし、出稼ぎの彼らは村方の戸籍であり、町方の戸籍をとるにはハードルがあった。町方との婚姻や養子縁組により町方の戸籍を得ることができた。

 武士家臣団の階層
 ①真性の「士分」②「徒士(かち}と呼ばれる準士分③「足軽層」④「中間・小者層」に分かれ、①と②が一般的に武士となる。①については何らの査定もなく、その地位が子どもに継承されるが、自らその立場を放棄できない(家督を子に譲って隠退することは可能)。武士上層ほど古典教養やマニュアル通りに職務にあたっていたが、これでは問題が解決しない分野が多くなってきた。そこでこうした分野(能楽、数学、経済学、土木工学)に精通した人物の登用、例えば二宮尊徳を行った。有能な人材を登用した分、家臣を減らすことはできないので、仕事のない武士を「小普請」と称した(この名称を持つ武士が時代小説の中で多く登場する)。彼らは俸禄を受けているが仕事はしない。

 最後に上記の小説で登場する「旗本」と「御家人」。旗本はおよそ5000家。半数は知行と呼ばれる領地を与えられた。残り半分は蔵米取。青山玄蕃は3250石の知行取だが、そのうち約4割が彼の収入となる(これが四公六民)。御家人は人数が1万5000人~1万8000人で、9割5分が蔵米取。江戸居住の旗本・御家人は浅草御蔵と呼ばれる幕府の米蔵でその俸禄米を受け取ることになる。実際には、受け取りや現金化は札差が行う。米は約5年ほど蓄えられるので、相当の古米を大部分の武士達は食べることになる。現金支出で最も額が大きいのは、使用人の給金。禄高30俵2人扶持の同心でも奥方だけで家事は回らないので下働きの少女一人か下人が必要となる。旗本となると、武家奉公人や奥女中などが加わり、収入の2割が取られる。彼らにとって、お付き合いが最大の関心事となあり、冠婚葬祭、季節のイベント、親戚とのやりとり、職場の上司や同僚への贈答にお金が必要となる。

 浅草御蔵

[剣客商売」道場というHPがあった ここに武士の俸禄についてわかりやすい説明がある
 単位が多く、これを見るまでは頭がくらくらするような状態だった


 家計の苦しい御家人は、傘張り、提灯張り、版木彫り、屋外で植木作り、鈴虫、こおろぎ、金魚の養殖を行った。同心については、様々な勤務形態があるが、おおむね3~5日に一日出勤すればよいので、暇は一杯あった。御家人株は100両以上、現在の価値で言えば2000万円で買うことができた(勝海舟の先祖の例が有名である)。
 
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失われた30年(日本の衰退) 24.8.16

2024-08-16 05:48:30 | 面白い本はないか
 

昨晩、梅雨明け以来の本格的な雨が降った。植物にとっては恵みの雨であり、おじさんには少しの休息となった。

 明日の母親の一周忌に合わせて帰省する予定だった息子夫婦は、昨晩の東海道線の落雷事故による不通のため、急遽名古屋で宿をとった。 


 伊丹敬之著「漂流する日本企業」を読んだ。

 この著者が過去に書いたいくつかの本を読んでいる。かつて(1990年以前)の日本的経営、すなわち人を大切にする経営を称賛していた経営学者である(「人本主義」という著書がある。)

 伊丹氏の本を読み終わった時、BSフジでディビット・アトキンソンと経済ジャーナリストの渋谷和宏が「日本の会社員の「やる気」の低さ」をテーマに議論していた。

 なぜ日本の企業が低迷しているのかという疑問にある程度答えてくれていると思うので、紹介する。
 ※以下の図は、最初の図を除くと全て伊丹氏の本からの引用である

 ①やる気が低いこと


 日本は「仕事に意欲的、積極的に取り組む人の」の割合が6%で最低、フランス7%、イタリア8%、韓国13%
 また、日本では24%が仕事に意欲を持てないと回答している
 ネットではこの数値への反論が載っている
 2012年から数値だが、それ以前はもう少し高かったのだろうかという疑問が当然出てくる

 以下でこの理由について、伊丹氏の本も合わせて参考にしながら述べてみたい。

 ②賃金がバブル以後ほとんど増加していない(賃上げは政府の政策課題となっている)
 ※20.11.3付けの当ブログ「日本はなぜ貧しくなってしまったのか」も参考となる

 日本企業はバブル崩壊後、三つの過剰、人、設備、債務の整理を図った。人は労働組合との合意もあり、人減らしは行わない代わりに、賃金を抑制した。合わせて、非正規雇用を増やした。また、設備投資を極力抑え、人的投資も減らした。さらに銀行からの債務を返済した。

 中小企業よりも大企業は労働分配率を低く抑えた(ただし、大企業と中小企業の賃金格差は大きい)

 人的投資額が増えるどころか減っている

 日本の労働生産性が低いのは、賃金が伸びない、人的投資が行われないからでないか

 ③設備投資を抑制した
  この傾向はいまだに続いている
  かつてOJT(職場での仕事を通じた研修)を積極的に行うことで日本の企業は有名だった
  しかし、今やその影もない
  なぜだろうか。渋谷氏は設備投資を行わないからだと述べている。すなわち、新しい技術や方法が導入されれば、それを使いこなすために研修をしなければならない。しなければ今までのスキルでこなせてしまう。

  
  積極的な投資ができなかった理由の一つとして、為替レートの変動が他国と比べて激しいということがある


 ③3つの過剰を抑制したことで売上はほとんど伸びていないのに利益率は高くなった
  結果日本企業は多額の内部留保を持つまでになった

 バブル崩壊後日本企業の売上は現在までにわずか100兆円しか増加しなかった

 
 一方で利益率は大幅に上昇した

 ④日本の企業(特に大企業)の配当額は今や設備投資額を上回った

 2000年以降のコーポレートガバナンス採用の中で必要以上に株主利益を重視した
 この時期に外国人株主の比率が大幅に上昇した

 人を大切にする経営から株主を大事にする経営へと変わってしまった

 ⑤人に投資してこなかったつけ
  デジタル人材の不足、海外派遣人材の不足、競争力の喪失
 
 バブルの崩壊後の緊急策が今や日本企業のデファクトスタンダードともなってしまった
 経営陣の高齢化(新しいことにチャレンジできない)も要因となっている
 
 このまま日本経済は沈没していくのであろうか
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ノリさんの畑ノート・夏野菜終盤⑧ 24.8.13

2024-08-13 18:46:14 | 野菜作り
 梅雨明け後、ほとんど毎日夕方畑の水やりをしている

 昼間の高温のせいか、スイカやカボチャが途中で割れてしまう

<カボチャ>

 8月6日に二つの横にひびの入ったカボチャを見つけ収穫した
 二つとも収穫時期が近かったので、家に持ち帰り、傷んでいるところを切りだし、冷蔵庫に入れた
 その後、煮物やスープ、つぶしてサラダ(ジャガイモと同様に)にして食べた
 栗カボチャなので美味しい

<スイカ>
 大玉のスイカは全滅、残ったミニスイカ3株で7月上旬から中旬に10個収穫
 その後、2株は元気だったので、追肥を行った
 そして、孫つるにたくさんの実を付けた
 一番果の時と違い、授粉の日がほとんどわからないので、適当に授粉日をつけたりしたが、面倒くさくなってやめてしまった
 収穫にはまだ早いと思われたが、二つのスイカが連続して割れた
 一個は処分したが、もう一つは傷んだところは切り、残りを食べた
 割れてしまったことは、収穫を急がせることになり、,今日までに二個収穫した

 割れたスイカが出たので、日よけ(遮光ネット)を設置した

 網の上に実を付けている

 8月11日収穫分 1.2kgしかない
 今晩食べたところ、やはり少し早かった

 網がかけてあるのと雑草が生えて来ているので、いくつあるのかよく分からない

<トマト>
 大きなトマトが後二個、最上段まで来ている
 ミニトマトはもうほとんどない。これからは脇芽から出た茎に花をつけ、実がなるのを期待したい

 最後のトマト 最上段までうまくならせるのは難しい
 雨除けビニールと虫除け網がかかっているので、日中は耐えがたい暑さになる。この対策として遮光ネットをかけたのは正解だった 

<黒豆>
 鹿の食害があったので、網をかけた
 立派に復活した


<ナス)

 7月中旬に周囲の根を切り、剪定した
 やっと実を付けだした

<サトイモ>

 毎日バケツ10杯程度の水やりを行った(右端は勝手に生えてきたもので水やりしないので葉焼けしている)
 3日前からエンジンポンプで水やりを行っている

<八朔>

 年末に約1000個収穫したが、今年は極端に少くなると思われる
 11月末に色づいてくるので、少ないことがわかるであろう
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真夏の里山歩き・城ヶ峰 24.8.10

2024-08-10 19:06:01 | 山登り
 今日は、城台山から城ヶ峰そして展望台まで足をのぼした

 出発は、いつもより1時間早い7時20分

 三輪神社の登山口で気が付いたのは、タカサゴユリ

 7:25 この時期になると咲き出す テッポウユリの仲間だが実は外来種 繁殖力は強いとのこと

 一時間も早いと意外と涼しい

 城ヶ峰まではほとんどが、常緑広葉樹のシイ、カシ、ヤブツバキを中心とした森となっている

 落葉樹の森と比べると、直射日光が入って来ないので暗い森(木の密度が高いせいでもある)となり、これが登る人が少ない(人気がない)一因となっている。

 しかし、真夏にはこのことが利点となる。すなわち、気温がわずかに低くなる(2度程度)。ただし、風は当然のことながら通りにくい。

 城ヶ峰へと登る付近の森は特に暗い

 それでも城ヶ峰への最後の登りでは結構な汗をかく

 8:25 城ヶ峰山頂

 山頂から333mの展望台まで行ってみた。毎週登るOさんが言っていたように展望台は下から風が吹き上がっており(谷風と言う)かなり涼しい

 小津権現山、花房山方面

 伊吹山方面

 最近の登山スタイルは、短パン、タイツ、半袖にしている。かつては長袖にしていたが、半袖の方が随分涼しい。また、真夏は意外と虫がいない(雨が少ないせいもある)ので半袖で大丈夫(心配なら虫除けスプレイでも使うと良い)。タイツも暑いが、腰が悪いので、脱げない。

 必ず持って行くのは、こんにゃくゼリーで、凍らしたものを持って行くと、1時間ばかりで丁度食べ頃となる



 9:41 揖斐小から見る城ヶ峰 気温は既に31度を超えている

 今日も会ったのは登り下りで男性1名ずつ。暑いせいか余計に少ない。時間が早ければ意外と登り易いので、貴方のいつもの里山にチャレンジして欲しい。
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続真夏の過ごし方 24.8.8

2024-08-08 20:02:54 | 面白い本はないか
 いきなりの質問である

 家族の中で政治、経済、社会などに関する時事問題について話し合ったことはあるだろうか

 離れて暮らす子ども達とは、正月、お盆くらいしか会う機会はないので、ほとんど話し合ったことはない

 かみさんと二人暮らしだから、当然ときたま話すことはあるけれども、彼女の考えを知ることはない

 まして、子ども達とはおそらくだが、話し合ったなら、相当の違いに驚くことになるかもしれない(一世代も違うのだから当たり前なのかもしれない)

 
 真夏に負けない花たち

 アメリカでは、家族内で支持する政党が違うということがあると聞いたことがある。家族同士でお互いの考えを尊重し合えば、問題はないかもしれないが、そうでなければ一体どうなるのであろうか。想像を超えるようなことである。

 大統領選を見ていても、相手の悪口を言い合い、分断が深まるばかりで良い結果につながっていかない。本来の民主主義(相手の考えや立場が自分と違っていても、それを尊重する)からは離れるばかりとなる。

 日本の家族、友達、近隣住民とほとんど話し合わない(政治的関心が低い)のも問題だが、アメリカの相手を攻撃するだけの民主主義も相当問題がある(トクヴィルの描いたタウンミーティングとは大いに違っている)。



 若者たちの間での民主主義についての考えがかなり違うことを書いた玉川徹編著「強健に「いいね!」を押す若者たち」を紹介しよう

 若者たちの間で、旧安倍政権や自民党に対する支持が高いことは知っていた。その理由は国民の多数が選んだ政権だからだそうだ。野党は彼らの間で全く評判が悪く、反対しているばかりで、何の対抗策も示さず、時間の無駄というばかりである

 国民の支持により政権をとったのだから、国民は従うのが当然だろうというのである。そして外国の独裁政権(例えば軍事政権)に対する評価が意外と高いのである

 子ども、若者たちの間では、いや大人達の間でも日本では違う意見を言うことがはばかれる。こうした環境ではこの圧力から逃れることはかなり難しくなるのは当然である。

 私たちは、今一度民主主義とは何なのか考えて見る必要に迫られている。

  ※関連する過去のブログ記事
   20.4.12 「経済の不調がもたらすもの」 「強健に「いいね!」にも収録されているヤシャ・モンク「民主主義を救え!」を紹介した
   20.11.14「アメリカの民主主義」


 


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