城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

再びスマホと格闘 20.11.28

2020-11-28 19:10:40 | 地域のこと他
 スマホ歴は6年くらいになるか?便利さは徐々にわかってきたが、使いこなすのは老人にとってはとても難しい。昨日も楽天モバイル(2年前に大手キャリアーから安さに惹かれ乗り換えた)からお得なプランの通知がはがき(スマホでも来ていたが、やはりはがきだと信用する?)であった。違いはよく分からないのだが、1年間無料というのに惹かれて、早速スマホで申込をした。ほとんどQRコードがあるので、読み込んだ後は必要事項を書くだけである。そうしたら、SIMカードがマニュアルとともに送られてきた。おじさんはこのマニュアルというものが大嫌いである。このため読まないで、組み立てたり、操作したりするのだが、たいていうまくいかない。仕方なく、マニュアルを見ることになるのだが、手順が違っていたりすることがあり、余計に手間がかかってしまう。

 最初に「MNP転入/プラン変更(移行)手続きする」という項目があった。おじさんはSIMカードだけの差し替えだから、MNP(携帯番号のポータビリティ、要するに番号を変えずにキャリアーを変える)は必要ないと考え、SIMカードの差し替えとAPNの変更のみを行った。ところが、この結果アンテナがなくなってしまい、電話を架けることができなくなった。何度試みても、アンテナは立たない。マニュアルを今一度しっかり読んでみたら、MNPの操作をしないといけないこと、さらに午後9時以降の操作は翌日の午前9時以降に受付けられると書いてあった。1時間半の格闘はこうしてムダに終わった。翌日(すなわち今日)9時以降アンテナが立つのを待っていたがなかなか立たない。どこか間違った操作をしているかもしれないと思っていたらやっと10時頃開通した。心の霧が晴れたので、その後城台山散歩と落ち葉集めに気持ち良く出かけることができた。

 そしてゴーツートラベル。コロナ感染が比較的収っていた9月頃、近場で人混みが酷くない場所を選んで11月下旬にWEBで予約をした。なんと言っても35%安く泊まれるのは魅力であり、普段手が出ないようなところでも手が出る。そしてさらに15%の地域クーポンまで付いている。この地域クーポンのスマホでの入手で初歩的な間違いをしてしまった。宿泊日の15時にならないとこのクーポンは出ないのに、予約してすぐにクーポンを所得しようとして何回も試みたのだができなかった。説明をよく見れば、その時点で取得できないことはわかるはずなのだが!!

 予約をしたもののコロナの感染者はどんどん増えてきた。予定されていた様々な会合がキャンセルになる中、迷いながらも出かけることにした。ホテルの宿泊前に家内が見たいものがあった。すなわちイルミネーション、日帰りでこれを見て、暗い道路を家まで帰ってくるのは避けたいので、その晩は近くに泊まりたい。3時頃目的の場所に到着し、しばらく花市場とベゴニアガーデン(ここは一応屋内だが、広いから大丈夫?)で時間をつぶし、5時前後から点灯開始。結構な人混みの中の光のトンネル、奇跡の大樹は圧巻だった。


 この豪華さはスマホの写真では再現できない

 奇跡の大樹

 地域クーポンはまずホテルでの土産物代に使い、残りは前日の場所で使うことにした。店員さんにスマホの画像を見せて教えてもらう、これで何となくクリアした。そして前日の場所へ移動し、まず花市場で買い物した。レジに行くとスマホのクーポンは取り扱いしていないとのこと。さらに土産物屋でも電子クーポンは取り扱われていない(そんな馬鹿な!)。幸い各種レストランでは使えると聞いたので一安心。レストランに入るとき、今一度確認したのは言うまでも無い。結構な金額が残っていたので、お腹はさほど空いていなかったが、少し重そうなランチ、さらにビールまで付けた(家内の運転なので)。少し余ったが、おつりは出ないので仕方がない。こうして、初のゴーツートラベル体験は終了した。

 これからますますスマホでのサービスが増えてくる。家内が化粧品を買った際、店員さんに進められてラインで登録した。助っ人を求められたが、なかなかうまく出来ない。苦労の末、やっと出来た。頼りない助っ人であるが、ヘルプを求められる機会も増えそうである。 

☆☆☆このブログは200番目となるものである。いつも読んでいただいている方々深く感謝申し上げる。
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山の贈り物2020 20.11.26

2020-11-26 19:43:29 | 野菜作り
 昨年12月12日の「山の贈り物」と少しダブる内容であることをまずお断りする。例年のごとく11月18日から落ち葉拾いを開始した。落ち葉を集め、畑に作った囲いの中で熟成させる。途中で一回切り返しを行い、作物が少なくなった10月~11月頃に堆肥、腐葉土となった落ち葉を畑に撒く。一部葉の形をとどめているものもあるが、大部分は黒い土のようになっている。

 腐葉土を撒き、管理機で少し耕した

 おじさんの畑は元が田であったこともあり、粘土質の水はけの悪い土質である。作物の良く育つ土とは、土が団粒化している、すなわち土のすきまが多くて、通気性や排水性が良い土をいう。この団粒化を促進するためには堆肥などの有機物を施し、土中の微生物がそれを分解するのを促す必要がある。化成肥料ばかりを施していると土が堅くなり団粒化を阻害するので、適度に堆肥を使い土質の改善を図る。堆肥はホームセンターなどで安く手に入るが、畑一面に撒こうとするとさすがにお金がかかる。

 里山の城台山には沢山の落葉樹があり、この時期登山道の一部は落ち葉で埋め尽くされる。登るついでに途中で落ち葉を拾い、それを畑に持って行く。ただ、小さな袋では効率が悪いので、大きな袋を持って行き、落ち葉を集め、車が入る途中の観音様のところまで降ろし、後から回収する。袋は車に3個乗るので、再びそこから落ち葉のあるところまで登る。

 たたんだ袋と熊手

 落ち葉を集める場所 城台山山頂直下

 観音様ここまで袋を降ろす 2,3年前まではここでも多くの落ち葉を集めることができたが、見通しを良くするために木が切られてしまった

 畑に作った囲い 何回も踏みならし、水と窒素肥料をふりかける 最終的にはビニールシートで覆う
 畑の芋づるや草などもここに入れる

 こうした作業が実際に良い結果を生んでいるのか実のところわからない。土はかつてに比べると少し団粒化しているような感じはするが、作物が良くできるようになったとか、味がよくなったとかは不明である。というのは、毎年天候(この影響が最も大きいと思う)や場所などは変わってくるので、その理由を特定することは極めて難しいからである。 
  
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黒豆収穫と変な11月 20.11.22

2020-11-22 19:08:16 | 野菜作り
 枝豆(2回)、スナップエンドウ、春日豆に続く豆類が黒豆であるが、豆類は毎年植付ける場所を変える必要があり、おじさんの畑では黒豆を作るだけの場所がない。このため、大垣市内の家内の実家の畑の一部を貸していただいている。離れていることもあり、植付け準備(耕起、石灰、施肥ーリンのみ)し、自宅で育てた苗を植付けたあとは、ほとんどなにもしていない。この黒豆は枝豆として食べると美味しいのだが、適期(9月から10月頃)を判断することができないので、お正月等にいただく黒豆(煮汁を使ったゼリーは絶品!)としてのみ収穫している。

 収穫前の黒豆 まだ緑の葉をいっぱいつけている いつもだとカメムシの臭いがかなりするのだが、今年は何故かしない?
 去年同時期に収穫したが、かなりの葉は落ちていたり、黄色くなっていた

 したがって鞘もまだ緑というものが多い 茶色に鞘が変色し、からからになるまで乾燥させる
 中の実は今は赤色、乾燥するにつれ、黒色(豆の大きさも小さくなる)となる
 去年は豊作、今年はほぼ平年並

 そして、我が家の畑でスナップエンドウ用のマルチ張りを行った。あと一週間後くらいに植え付けする。今年の異変はいまだに夏野菜のトマト、ナス、シシトウ、甘トウガラシが結構とれることである。ここのところの暖かい天気ばかりではないような気もする。

 ミニトマト この日は異常に多かった 土曜日

 大きいトマト なかなか色付かない 脇芽からここまで成長した 沢山実が付いている
寒くなるとますます色づかなくなるので、適当な時期に青いまま収穫し、家で色づかせる予定

 大根もどんどん大きくなっている 去年はかかえられないくらいの巨大なのができたが

 今日の収穫物 左の白いのは春日豆で来年の種にする 下にあり赤く色付いているのはフルーツピーマン
 上にナスが2個、あとは甘トウガラシとシシトウ 

 温暖化が進むと、今の一般的な栽培スケジュールも変える必要があると思う。例えば、大根を9月初旬に蒔くとここのところ大きくなりすぎてしまう。
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里山歩き 大野町~揖斐川町へ 20.11.21

2020-11-21 20:26:45 | 山登り
 私たち揖斐の山中間が勝手につけた「揖斐アルプス」そして「大野アルプス」。この二つのアルプスは実は山通しでつながっている。私の知っている山ともの結構多くの人が登っているのだが、おじさんはいまだ登ったことがない。そこで今日、大野町の総合公園まで家内に送ってもらって、まず花立峠(地形図では「野村峠」)に登り、大谷山とは反対の方角に進み、牛洞峠から四等三角点「小野」255mに登る。そこから小野坂トンネルの上かつての道に出て、ここから城ヶ峰に登り、そして三輪神社に降りてくるコース。正味3時間程で登れるであろうと思った。牛洞峠まではハイキング道が整備されているが、途中で野古墳に降りる道などあって、意外と間違える。

 牛洞峠に立ったものの峠付近には尾根に取り付く道あるいは踏み跡を発見できない。適当に取り付いて登っていくと、赤布が現れた。もう迷うことはない。時々現れる分岐はあるが方角を確認すれば間違えることはない。植林されたところが多く、ヤブはほとんどない。小野坂への道は誰かが切開いたような感じがする。小野坂から城ヶ峰までの登りは結構きつかった。降りたことは何回かあるが、ここを登るのは初めてだ。城ヶ峰からの下りで3人組の親子に会った。このほか今日出会ったのは花立峠で一人、牛洞までの道で二人、合計3組、静かな山行だった。


 地形図

 左のへこんだ所が牛洞峠

 右のへこんだ所が牛洞峠 左側の先に四等三角点「小野」

 右のへこんだ所が小野坂 左の高い山が城ヶ峰(351.5m)

  
 出発 大野町総合公園 8:30

 花立峠 8:54

 峠を登るとすぐに東屋と写真の仏塔がある

 野古墳に下る方角をしめす標示板

 牛洞峠 ここから尾根の取付きの箇所がわからない

 鉄塔 10:05 唯一ここだけが下界が望めた

 鉄塔からの眺め 池田山方面

 四等三角点「小野」10:14 小野は揖斐川町の一地区 ここから揖斐川町に入る

 小野坂 10:32

 城ヶ峰 11:00

 三輪神社 12:00
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アメリカと日本のミドルクラス 20.11.16

2020-11-17 19:28:19 | 面白い本はないか
 各務原市から旧21号線で美濃加茂市に向かう中間に大きな工場があることを知っているだろうか。それは坂祝町にあり、パジェロを製造していた工場であるが、ここの閉鎖が最近発表された。かつて、この工場は東洋工機(さらに以前は東洋工業)と呼ばれ、戦時中には飛行機の部品を製造していたところだが、中島飛行機製作所がスバル・富士重工業につながるところは同じである。かつてパジェロは大変な人気であり、知り合いにも乗っていた人が多い。しかし、自動車各社がより都会的なSUVを発売し始めてから、その魅力はだんだんとなくなっていった。

 最新のパジェロ これが最終となる

 懐かしいパジェロ 山とものEさんもパジェロに乗っていたと聞いたがかっこいい!!

 パジェロの例だけでなく、県内各地で大きな工場が閉鎖されている。10年前には三洋電機の薔薇工場(当時テレビを生産)として有名だった安八町、今やパナソニックに吸収され、新幹線線から見える巨大なソーラーア-クだけをとどめている(パナソニックの創業者松下幸之助と三洋電機の創業者井植歳男は義理の兄弟である)。


さらに近くのパナソニック大野工場も閉鎖され、今はご当地産業の岐阜プラスチックの工場となった。美濃加茂市のソニーも撤退した。我が町にあるイビデン大垣北工場(「揖斐」工場として欲しいのだが)は今のところ元気であると思う。余談だが、イビデンは100年を超える老舗企業で昔昔カーバイトを作り、発電まで行っていた。藤橋の道の駅の近くにある水路式の東横山発電所は景観的に美しいと思う。今はセラミックやIC基板を作っている。


 なぜ、このような工場の話をしたかというと、1970年代を中心に80年代までくらいは県内各地に大企業の工場等が立地していた。これは田中角栄が通産大臣だった頃(1972年)に工業再配置促進法ができて、大都市周辺に工場を作ることが難しくなり、各地に工場を移転したり、新設したりしたことによる。1970年の産業別就業者割合は、1次産業が19.3%、2次産業が34.0%、3次産業が46.6%だった。それが、2015年になると4%、25%、71.9%となり、2次産業の中心である製造業が10%近く減らした。アメリカはさらに少なく19%、ドイツは28.8%(2008年)である。要するに各地の製造業の事業所がどんどん閉鎖されたことにつながる。その結果、働き口として比較的賃金の高い製造業の就業者が減り、賃金の低いサービス業の就業者が増えたということである。これは90年代以降日本の賃金が停滞していることの大きな理由となっている。

 ここからアメリカのミドルクラスについて話をする。種本は「アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々」ジョーン・C・ウィリアムズ著(2017年8月)。これはトランプがなぜヒラリー・クリントンに勝てたかについて分析している。要するにヒラリーは、アメリカで大多数を占めるこのワーキングクラスの心をつかむことができなかったから負けてしまったと。彼らは、かつてアメリカの製造業を支えたブルーワーカーで、一つの企業でまじめに勤め上げ、家族を養うことを美徳としてきた人々であった。彼らは時代の流れの中で居場所を失い、政府やメディアなどのエリート層からは軽んじられ大きな怒りと失望を抱えている。彼らの年間所得は4万ドル~13万ドル(中央値7万5千ドル)、対して貧困層は中央値が2万2500ドル。彼らは貧困層そしてエリートに対して反感を抱く一方で、富裕層に対しては尊敬の念を抱いている(ここらへんは日本人にはひどくわかりにくい。要するに何らかの優れた才能があるからと思っているのだろう。アメリカンドリーム?)。面白いのはパーティの中身がエリート(医者や弁護士等専門職の人々)と彼らでは違うことである。エリートは社交を通じて、幅広い人々と円滑な関係を築き、相手に自分の洗練度を印象づける。一方、ワーキングは親戚を呼び集め、大皿に盛られたなじみのある料理を顔なじみの人々と食べることでリラックスする。また、ヒラリーがガラスの天井をくだく(男性優位社会を打ち破る)と述べたのだが、ワーキングの女性にとって縁の無い話だと受け止められた。彼らは、たいてい母親と同じようなピンクカラーの仕事(サービス業)に就く。彼らの夫は父親と同じようなブルーカラーの仕事には就けない。結果、家庭は不安定となり、ドラッグ、アルコールそしてその結果である寿命の低下につながっている。グローバリゼーション、製造工程の自動化さらにはAI、こうした課題に対処するにはベーシックインカムの導入しかないという議論があるが、彼らが求めているのはセーフティネットではなく仕事なのである。

 最後に日本のミドルクラスはどうなんであろか。橋本健二著「新・日本の階級社会」が参考となる。著者は、日本の階級を資本家階級(経営者、役員)、新中間階級(管理職、専門職、上級事務職)、労働者階級、旧中間階級(自営業者)に分けている。就業者は、資本家4.1%、新中間20.6%,労働者62.5%(うち正規35.1%、パート主婦12.6%、非正規14.9%)、旧中間12.9%となっている。驚くのは各階級の平均個人所得の低さである。資本家604万円、新中間499万円、正規370万円、非正規186万円、旧中間303万円となっており、アメリカと比べると平均では資本家、新中間までがワーキングクラス、正規・非正規とも貧困層ということになる。橋本は非正規をアンダークラスと呼んでいる。
物価が違うので単純には比較できないと思うが、やはり日本の貧しさは顕著であることがわかる。しかし、このような状況にあっても、日本人の多くが「中流」だと思っている。このことは随分現政権にとって有難いことであろうと推測する。こうした事実を国民に知られたくないこともあり、こうしたデータがなかなか外に出てこない。

 終わりにアメリカのエリートの女性は専業主婦になることを「ただの主婦」になるとして恐れ、一方でワーキングの女性は専業主婦になることを夢見る(アメリカのよき時代にそれは実現したので、よけいにそう思うのかもしれない)。日本はどうかというと、エリートの女性でも専業主婦希望が増えているとのことである。あらゆることを犠牲にするだけの価値のある仕事に就けることが日本では少ないということらしい(これでは女性の社会的地位の向上など望むべくもない)。
  
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