城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

夜叉ヶ池近くの高丸に登る 19.7.29

2019-07-30 14:11:41 | 山登り
 夜叉ヶ池近くに高丸(1316m)はある。地形図には山の名前がない。もちろん登山道もない。しかし、ここには、三等三角点・点名「高丸」があるので、大垣山岳協会の踏査の対象となっている。この難関な山を担当されたのが、O氏であり、彼からお誘い(こちらから足手まといとなることを承知の上同行をお願いしたのだが)を受けた。この山に無雪期に登るためには、長い長い藪漕ぎか沢を詰める(最後は藪漕ぎとなるが)しかない。O氏が選んだのは、会で数年前登った記録がある夜叉ヶ池駐車場のすぐ先にある大岩谷。短いがその分急勾配が続く。

 7月29日6時揖斐を出発。天気は曇り空、丁度涼しくていいのかもしれない。

夜叉ヶ池駐車場 平日のため誰もいない

 駐車場から下ると、すぐに遡行する大岩谷。雨が続いたせいか、水量が多く、水音がすごい。
 
 最初は傾斜もきつくない



 おじさんが危なげな遡行

 1時間半でこの沢唯一の滝(標高1067m付近)に遭遇。まず、リーダーO氏が登る、最上部に手がかりがなく苦労している様子がわかる。

なにしろ、後から登る者のようにロープでの確保はないから、慎重にならざるを得ない。登り切り、8mmロープ、ダブルが垂らされた。おじさん、ここのところ岩登り、沢登りはご無沙汰しているから、確保されていても四苦八苦。やっと登り切って、一安心。

 段々と傾斜は増しているが、水量は少なくなる。そしてついに水がなくなる。急傾斜の斜面を登っていると、やがて笹が見え出すが、なかなか稜線上には飛び出さない。途中でリーダーを見失い、右に方向を変更。トラバースは木をまたいだり、くぐったりするので、結構つらい。やっとのことで合流。

 やがて稜線に出るともうそこは上にそびえるものはない。すぐに山頂に到着。山名板に「黒壁」とある。

恒例の万歳
 昼食のメインはとろろそば、夏の定番といえる。
問題は下り、なにしろ急な下りばかり。案の定、おじさんは何度もスリップをしながら、リーダーの後を追った。滝では懸垂下降、あまりに久しぶりだったので、最後に手を離してしまった。そしたら2mばかり落下。幸い無事だった。

この後も足にきて、もういけない。駐車場に着いたときは、もうずぶ濡れの状態だった。

同行の3人に比べおじさんのていたらくは酷かった。沢や藪漕ぎは普通の登山の3倍くらい体力が必要とリーダーは言っていた。初歩的な沢歩き(登りではない)以外はもう無理なのかもしれない。
 
行程 駐車場7:15→滝8:50→山頂10:16~11:30→駐車場14:00



 



※今回使用した写真はすべて同行者が撮ったもので、おじさんは余裕がなくまともな写真を少ししか撮れなかった。
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仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳 19.7.24~7.26

2019-07-27 15:23:07 | 山登り
 日頃は低山歩きばかりしているので、たまには高い山に登りたくなる。しかし、衰えるばかりの体力を考えるとゆったりした行程でないと楽しめない。3年前から昔の山とものM氏を誘って、一度は訪れたことのある山を中心に登るようになった。1年目は白馬岳、2年目は北岳、秋に笠ヶ岳、3年目は雲ノ平と登った。昨年の雲ノ平では暑さにやられ、バテバテで予定の水晶岳は登れなかった。

 今年は、仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳を登る計画を昨年来立てていた。1974年秋にM氏と既に鬼籍に入ってしまったH氏とで黒戸尾根経由で甲斐駒に登り、雨の中仙丈でテントを張り、丹渓山荘付近からの河原歩きではMとH両氏は徒歩競争をするかのようなスピードで歩いたことを懐かしく思い出す。かつては峠まで数時間を要したが、今や1時間足らずで着いてしまう。かつては両山の値打ちが下がったと残念に思うことがあったが、今やバス様々と思うようになってしまった。

 北沢峠行きのバス

 問題はどのような日程で登るかだったが、最もハードルが低そうな初日早朝に家を出て、北沢峠から藪沢を登り、馬ノ背ヒュッテに宿泊。翌日、仙丈ヶ岳に登り、小仙丈から北沢峠、仙水小屋に宿泊。最終日は仙水峠から駒津峰、甲斐駒に登り、双児山経由で峠まで下山という計画にした。日時は、確実に梅雨明けが見込める24日~26日としたが、なかなか天候が安定しなかった。20日に二つの小屋に予約をしたが、少し決断が早すぎたかもしれないと思ったほどだった。幸い、3日間とも雨に遭うことはなく、展望もそれなりに楽しむことができた。

<初日> 仙流荘10:05=大平山荘10:55→馬ノ背ヒュッテ13:35
 大平山荘を11時頃出発。

 出発

 大平山荘
 
まずはなだらかな深い樹林のなかを進む。

 深い樹林帯
その後急登となり、次第に藪沢に沿って登っていく。沢には雪が残っている。沢の頭は見えているが、なかなか近づいてこない。

 沢に沿って登る
 大滝の頭方面からの道の合流点を過ぎ、緩やかな斜面を登ると鹿よけと思われる柵が出てくる。

 合流点

中を覗いても高山植物はちらほらあるだけで、全くの期待外れ。やがて馬ノ背ヒュッテが現れる。

受付の後、食堂で持ち込んだ500mlのビール、さらにはウィスキーを飲みながらのおしゃべり。そのうち、女性の二人客が日本酒利き酒セットなるものを注文した。その飲みっぷり、山小屋で日本酒が楽しめることに感心した。小屋は女性スタッフばかりで、そのうちの一人のTシャツの後には長野県のお酒の名前が一杯(確か酒造メーカーで働いているようでお酒に詳しい)。

 飲み尽きたところで小屋のまわりを散策。お花畑とは言えないが、目を凝らすと小さな花が咲いている。夕食のメニューは定番のカレー、少し物足りなさを感じた。

 小屋付近のツマトリソウ

 小屋付近のシナノキンバイ

<2日目>ヒュッテ5:30→仙丈ヶ岳7:00→北沢峠→仙水小屋12:30

 5時朝食。小屋からの情報では今日は6時頃から荷揚げへりが何回も飛び交うとのこと。その前に出発し、少し登ると丹渓新道との合流点。

 丹渓新道との合流点

森林限界を超えると、目の前に仙丈ヶ岳と小屋が見えてくる。小屋はハイテク満載で屋根にはソーラーパネル、テラスには小さな風車が何台も。

 朝の仙丈ヶ岳

 仙丈小屋

 今回、期待していたのが、カールに広がるお花畑だったのだが、期待外れに終わった。

 カール

 ミヤマシオガマ

北岳の方がはるかに花が多いと実感。カールの縁を山頂まで登っていく。ガスがかかっていて、展望はなかったが、甲斐駒と鋸がガスの中から現れた。

 山頂にて

 甲斐駒と鋸

 山頂から小仙丈に向かう途中なかなかお目にかかれない場面に遭遇した。一つは荷揚げヘリコプター、ヒュッテと仙丈小屋に何回も荷揚げが行われていた。

 荷揚げ中
二つ目は雷鳥との遭遇、もちろん何回も雷鳥は見ているが、今回目の前に現れて(最短距離50cm)、最初は親子、そのうち子どもはいなくなって、つがいで私たちの目の前で砂浴びをし出した。上は夏毛だがまだ下には白い羽根が見える。つがいだと思ったのは、2羽のうち1羽は目の縁が赤い。

 つがいの雷鳥 砂浴びしている

 ゴゼンタチバナ

 ツマトリソウ

 峠からは登山者がどんどん登ってくる。バスが定時に着くので、集団となる。この間こちらは待たないといけない。急ぐ旅でないので、どんどん譲る。北沢峠に降り立ち、ここで昼食。

 北沢峠
バス待合所の隣はクリンソウの群生地。

 クリンソウ
峠から長衛小屋に下る、小屋の前はカラフルなテントの花が咲いている。

峠から約30分で仙水小屋に到着。


 仙水小屋は随分ユニークなので、紹介する。まずは、予約の電話、かけても電源が入っていないとのアナウンス。3回目でやっとかかった。他の泊まり客もそういう状況であったと聞いた。登山道と小屋をしきるロープが張ってあって、そこには予約の泊まり客以外は入っていけないとある。私たちが入っていくと泊まり客ですかと聞かれ、時間が早いので少し待ってくだいさいと言われた(これからお昼ご飯だったようだ)。別建ての二階の部屋を用意されたが、階段までの道は石が凸凹。夜のトイレには少しつらい。続いて、トイレ前でも例の臭いが全くない。中を見れば流水トイレ、なるほどと納得。

 小屋の前で育成中のミヤマオダマキ 色々な色は見られる

 次は夕食。4時半からと少し早いが、小屋の中を覗いてもテーブルがセットしていない。そのうち幕の内弁当のような夕食が外のテーブルに届けられる。夕食の中身も豪華、刺身、天ぷら、フライ、スモモ等々。

料金が7000円、これだったら小屋の設備投資がされていなくても文句ない。お茶は、味噌汁のお椀というのも面白い。ご主人がそばでやかんを持って立っている。
寡黙なご主人である。若いバイトと二人で切り回している。今日の泊まりは少ないそうで10人前後。

<最終日>小屋4時35分→仙水峠5.22→駒津峰7.12→甲斐駒ヶ岳9:00→北沢峠12:50
 夜土砂降りだった(良く寝ていて気づかなかった)。4時から朝食、これはさすがに小屋の中。朝食に納豆が出た、嬉しい。暗いうちに小屋を出発。駒津峰に向かう途中、仙丈ヶ岳や鳳凰三山、北岳、塩見岳の展望が広がっていた。

 仙丈ヶ岳

 アサヨ峰と北岳


 駒津峰から甲斐駒ヶ岳
駒津峰から下ると回り道と直登コースの分岐に出る。74年の時は回り道を下っているので、直登コースを登る。結構な岩稜の道でバランスの悪くなった身には時間と体力が必要となる。おまけに少しガス気味なので先が見えない。

 直登ルート

 ハクサンイチゲ
やっとのことで頂上直下の砂道に出て、一安心した。山頂には多くの登山客がいた。

 山頂の小社

 山頂にて

 峠発13:10のバスに乗りたいので、ゆっくりもできない。

 下りは回り道
 摩利支天に何人かの登山者がいた。分岐の少し先で昨夜同宿の二人組に出会う。その女性に失礼ながらお年を尋ねた。そしたら85歳、今まで直登コースに5回も登ったそうだ。大菩薩で足を骨折、それでも登り続けている。今回は分岐まで行き、再び仙水小屋に泊るとのこと。気をつけてくださいと分かれた。駒津峰で軽食を取り、相棒にせかされながら峠まで急いだ。 



このブログ中の写真以外をフォトチャンネルにアップしております。そちらもご覧ください。

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ラジオ体操会&美化デー 19.7.21

2019-07-21 19:16:53 | 地域のこと他
 今朝は小雨が降る中ではあるが忙しい。まずは、6時15分集合の公民館主催のラジオ体操会。6時に小学校の運動場に行くと、既に公民館関係者とともに早く来た参加者が集まっていた。集合時間になると、その人数が増えてくる。


 体操となると必ず朝礼台の上に立たれる方(祭りでも中心的な役割を果たしているが、失礼ながら名前を知らない)が、まずは準備運動から始める。そして、第一体操、第二体操と続くが、真剣にやると結構ハードであることがわかる。おじさんは耳の調子が悪く、普通でもバランスが良くないので、後にそらす運動は苦手である。終了後、飲み物と体操カードにハンコをもらう。こうして、8月28日(水)まで土日、お盆を除き、各地区毎にラジオ体操が開かれる。大人の出席者、かつては20人以上いたが、年をおうごとに少なくなって来ている。今年は、8月28日に揖斐川町から全国放送がされるので、この日を最終日とした。

 朝食後、山の中の地区の神社に急ぐ。8時集合であるが、いつものことであるが7時過ぎから来られる方がみえる。さらに草刈り機を使い、大方終わってしまっている箇所も散見される。後から来る人のために残してくださるようお願いする。7月の美化デーは、地区の神社周辺の清掃、12月は自宅周辺、3月は水路と清掃の場所が決まっている。8時を少し過ぎる頃には、まだ働いている人、手持ち無沙汰気味にする人、おしゃべりする人に分かれてくる。地区内の道路沿いに清掃してきた小学生も神社前に集合。8時半に終了し、飲み物(棚橋牛乳のおいしいコーヒー牛乳等)と軍手を手渡す。

 昨年は、この後前年度設置されたばかりの獣害柵を手分けして見て回った。今日は、班長会で前日草刈りをしていただいた役員から倒木により10m以上にわたり壊された現場があるというので、10名ほどで向かった。昨年9月の台風による倒木で何カ所か破損したが、それ以上の被害である。獣害柵は、町が材料を提供し、住民が何日かにわたり勤労奉仕してできたもの。完成後の管理は地元自治会に任されている。そのための維持管理費は町からいただいている。まずは、倒木をチェーンソウで切り、除去後、新しい柵を設置する必要がある。まず、新しい柵の発注をする。そして、除去作業を8月4日8時から、チェーンソウの達人Uさんの指導の下に行うこととした。我が地区には幸いなことにこうしたことができる人たちがいまだ現役で頑張ってくれている。しかし、皆さんお年を召してきて、こうした維持管理作業を行うことも難しくなっていく。 
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なぜ日本の労働生産性は低いのか 19.7.19

2019-07-19 19:41:35 | 面白い本はないか
 1990年代以降日本の経済がさえないのは、一体どこに原因があるのだろうか。おじさんが、20年来抱いている疑問である。最初は不良債権の速やかな処理に失敗したとの言説が多かったような気がする。さらには、インフレターゲット論者の主張するように日銀の供給するマネー量が少ないためにデフレとなっているとの主張が出てきた。さらには日本の労働生産性が低い結果、賃金が上昇しないために、需要不足となっているという主張もある。

 90年代以降、企業は不況に対処するため、あるいは銀行の貸し渋りに懲りて、正規労働者を非正規にするなどして人件費を減らし、内部留保を積みました。もちろん、外国人による株式の所有が増えたことによる配当金の増額(株価対策)にこたえるためでもあった。しかし、日本の企業の多くが賃金を押さえたため、いわゆる「合成の誤謬」の結果消費が盛り上がらなくなり、当然企業の売り上げも減り、積極的な設備投資もできないまま、追い打ちを掛けるような人口減に直面し、景気がいつまでたっても盛り上がらないというのがおじさんの見立てである。吉川洋さんあたりは、デフレの原因は賃金が上がらないからであると主張していた数少ない論者であった(単におじさんが読んでいないだけかもしれないが)。

 デービッド・アトキンソン著「日本人の勝算」を読んだ。彼の本は既に何冊か読んでいるが、いつもながらわかりやすくしかも説得力がある。もともとアナリストであるが、今や文化財の修復(小西美術工藝社社長)、インバウンドに対する提言は政府を動かす。その彼が、日本の生産性の低さとその引き上げを提言するのは、「新・所得倍増論」、「新・生産性立国論」に続いてである。特に今回、日本の最低賃金が低すぎることに多くのページを割いている。

 おじさんも日本の最低賃金が低すぎると思っていた。しかし、最低賃金を上げると失業者が増えるという反論がすぐに出てくる。では本当にそうなのかと言えば、イギリスでは90年代に最低賃金制が導入され、毎年少しづつあげられている。それでイギリスの失業者が増えたかというとむしろ減った。今やイギリスの最低賃金は9.38ドル(購買力平価)となり、日本の6.50ドルより44%も高い。(ちなみに韓国は7.36ドル)

 なぜ最低賃金を上げるのか。日本は人口が減少する、現在の国民の生活、社会保障を維持するためには、労働生産性を格段にあげることが必要となる。少し前に新聞でも出たが、日本の労働者の質はOECD諸国の中で4位、ところが労働生産性は世界28位。日本では、労働者は優秀であるのに、それに見合う賃金が払われていないことになる(この本では経営者が優秀でないことを指摘している。昔の軍隊でも言われたし、戦後の会社も同じことが言われていた。)著者の言うところは、企業に任せていても労働生産性は上がらない。むしろ外国人労働者を使って人件費を抑えるぐらいしかしない。そこで、政府が最低賃金を計画的に上昇させることが必要となってくる。企業には生産性を上げる動機付けが強く働くことになる。

 さらに、日本の生産性が低い理由として、小さい規模の企業が多すぎること、企業同士の競争が激しすぎること、日本の労働者は歳をとるに従って、勉強=自己のスキルアップのための研修(特に経営者が勉強しない)をしない、輸出をしない(国内相手よりもはるかに努力しなければならない)、女性の活用ができていないことを指摘している。 

 日本の最低賃金は東京が最も高く985円、鹿児島が最も低い761円。1日8時間、月22日働くとすると東京で月173,360円、年間208万円、鹿児島では133,936円、161万円となる。これでまともな暮らしができるか疑問となるような額である。これでは生活保護(医療費、税金がかからない)を引き下げる圧力が出てきても不思議ではない。ちなみに日本では最低賃金制の所管は厚生労働省、イギリスは日本の経産省に相当する省が担当している。社会政策の日本と経済政策のイギリス、この違いは大きいと感じる。

 先日出た個人演説会でも話題は大野インターと冠峠トンネルなど公共事業の話ばかり。そろそろ労働生産性とか最低賃金制の問題について、きちんとした議論が聞きたいものである。
 
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いま、農薬は安全である

2019-07-18 19:55:45 | 面白い本はないか
 野菜づくりとバラの栽培を趣味とするおじさんには、できるだけ農薬は使いたくないのが心情である。もっと凝り性の性格ならば、きっと無農薬の道を究めるかもしれない。だが、全てにおいて適当(悪く言えばいい加減)な性格なので、あるときは無農薬にこだわってみたり、次には面倒くさいので農薬を使ったりと定まらない。日本の高温多湿な気候の中では、植物は病気になるし、害虫の餌食ともなる。この環境の中で大変手間のかかる無農薬を貫き通すことは容易でないことは言うまでもない。

 有坪民雄著「誰も農業を知らないープロ農家だからわかる日本農業の未来」は面白かった。農薬は、技術進歩によって、格段に安全性が増している。むしろ、無農薬にこだわるあまり、使用する天然素材例えば木酢(私もバラにかつて使っていたが、あまりにも効かないので止めてしまった。)などはコップ一杯飲めば命に関わるとおり、危険だということだ。農薬は成分が分かっているので、その危険性について実験できるが、木酢の成分は多様なので危険性について実験できない。大根おろしの辛み、わさび、トンガラシなども量を間違えれば害となる。

 著者が無農薬農家を次の4つに分類している。
①農薬を危険だと考え、安全な農作物を作ろうとする農家
②高収益を得る手段として無農薬を選択する農家
③自分の栽培スキルを高めようとする農家
④生き方、ライフスタイルとしての無農薬を選ぶ農家
①のケースが最も周囲の農家から嫌われる存在で、周囲とのあつれきさらには良い結果が得られずに数年のうちに撤退するのが多い。この本の中には、有名な無農薬農家の口から④で続けていると聞いたことが紹介されている。

 また、DDTにまつわる話も面白い。DDTはその発がん性等のゆえに、使用が中止となった薬剤であるが、マラリアの撲滅に大変力があった。ところが、使用中止となってマラリアが勢いを取り戻し、これにより多くの死者を出している。副作用による死者とマラリアにかかって死ぬ者と比べて見ると後者の方が多い。また、自民党が進める農協改革もピント外れが多いことを指摘する。(改革、改革と全ての政治家が発言するが、実はピント外れが多いことをそろそろ気がつくべきだと思う。改革は改善なら良いが、改悪もある。)とにかく面白さ満載の本であるが、農薬についての知識(化学)には脱帽である。
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