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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

中尾温泉から焼岳 21.9.29

2021-09-29 06:50:56 | 山登り
 日本百名山であり、偉容な山頂ドームを持つ焼岳を最初に見たのはいつだったか。確か大学2年生の時に友達に誘われて、表銀座(燕から槍ヶ岳)に登った最終日に上高地散策をし、焼岳の噴火によりせき止められてできた大正池、立ち枯れの木そして焼岳を見た。その後北アルプスの山々には登ったのだが、焼岳へはなかなか登る機会がなかった。仕事を辞め、日本百名山を意識し出した2009年の10月11日、当時高山に勤務していた山とものIさんに声をかけ、中ノ湯から紅葉と穂高連峰の新雪を眺めながら登ったのが最初だった。この時登った中ノ湯コースは焼岳最短のコースであり、登山口へのアクセスの利便性もあり人気が高いが、昔からの登山道がある中尾温泉からも是非登ってみたいと思うようになった。

 当初奥揖斐の不動山に登る計画であったが、体力に自信がないおじさんにはあまりにストレスが多かった。日曜日が終日雨だったことから、沢の増水が心配されたので、あっさりと中止を決定し、27日と28日焼岳に登ることを決めたのであった。折角2泊のキャンプの支度をお願いしたEさんのこともあったので、中尾温泉の登山口で前泊することにした。幸い登山口にはトイレがあり、キャンプ禁止の立て札はなかったので車の横にテントを張った。夕食を用意して、食べているときに異様なドーンという地響きが何回もした。揺れがなかったので、まさか地震だとは思わなかった。最初は発破かなと思った。それが地震だったと知ったのは家内からのライン「高山に地震、大丈夫」からだった。ひょっとすると、震源地に近いと揺れは感じないのか?

 Eさん 炭の火だねを作る この後肉を焼く 少し寒くなる中での食事はうまい!!

 翌朝6時半頃駐車場を出発、勢いよく地面から噴出する蒸気を見ながら道路を上っていく。やがて登山口の看板があり、すぐに沢を渡る。30分ほど登って行くと右手遠くに白水の滝を見る。このコース長いせいか、急登が少ない。緩やかなジグザクの道が続いている。途中、笠ヶ岳が見えてくる。やがて白樺の木を見るようになり、雨量観測所を過ぎると、まもなく中尾峠と新中尾峠の分岐となる。中尾峠の方に進むと森林限界、硫黄の臭いがしてくる。ここでヘルメットを着用した。すぐに中尾峠に着く。ここは昭和37年の噴火まで焼岳小屋があったのだが、この時小屋は全壊したことから、その先の新中尾峠に新しい小屋が作られた。この時の噴火であたりの木や草は焼け、殺伐とした光景となった。その後植生は回復し、笹を中心に生い茂ってきた。中尾峠を少し登ると、穂高連峰や眼下に梓川、上高地が見えてくる。最初訪れた大正池の姿は今はなく、ほとんど流入する土砂で埋まってしまっている。少し登ると、もう火山特有の荒れ地が広がっている。硫黄に染まる石も見えてくる。上り詰めると溶岩ドーム(北峰)を左に大きく回り込む。やがて、中ノ湯のコースと合流すると山頂は近い。今日は火曜日なのだが、さすがに人気があるのか、登山者が多い。山頂には予定より30分遅れ、急斜面を登る馬力が全くない。穂高連峰、笠ヶ岳の上部にはガスがかかり、見ることはできない。まだ、付近の紅葉も進んでいないし、もちろん新雪も来ていない。

 駐車場 我々以外に2台が次々に到着し出発していった 6:25

 勢いよく音を立てて地面から噴出する蒸気 中央遠くに焼岳の姿

 蒸気

 登山口 6:40

 白水の滝 7:12

 「鍋助横手」とあるが意味不明 7:48

 白樺 8:12

 分岐 9:07

 笠ヶ岳 9:29

 森林限界付近 9:33

 溶岩ドーム 9:48

 穂高連峰 9:48

 上高地 9:48

 霞沢岳 9:48

 中ノ湯登山道 10:56

 南峰(2455.5m) 三角点はここにあるが登山禁止

 北峰(2430m) 11:00

 山頂からの穂高連峰はガスの中

 写真を数枚撮っただけで、待ちくたびれたEさん、Kさんとともに下り始める。やはり下りは楽だ。1時間余りで焼岳小屋に到着。小屋は思っていたよりも随分小さい。ここで昼飯をとった。その後下り始める。14時50分頃登山口まで戻ってきた。中尾温泉で入浴を楽しむ予定だったが、沿道の旅館はどれも休業中のようで、「入浴可」の看板を見つけることができない。コロナのせいもあるのだが、それ以前にこの温泉街は寂れてしまったのだろう。温泉を求めて、新穂高の方に進み、以前入浴したことがある旅館が入浴可となっていたことに一同大喜び。

 焼岳小屋 12:20

 地熱発電の可能性について調べるプラント? 14:50

 今回の焼岳、少し安易に考えていたのだが、登ってみると、標高差1273m、距離12.8km、行動時間約8時間半のデータが示すように平均70歳のパーティにはハードだった。

行程 駐車場6:25→登山口6:40→白水の滝7:12→分岐9:07→中尾峠9:40→焼岳(北峰)11:00~11:15→新中尾峠12:20~12:50→駐車場14:50
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本巣の山・倉見山に登る 21.9.24

2021-09-24 19:15:28 | 山登り
 山仲間の中で最も若いYさんから、倉見山(926.7m)に登らないかというお誘いがあった。この山「本巣の山(本巣市観光協会)」で紹介されている7山のうち、まだ未踏の山であったこともありすぐに応じた。「本巣の山」には①文殊山②大茂山③倉見山④岩岳⑤大白木山⑥雷倉⑦能郷白山が紹介されている。それ以外に14の山も紹介され、山とものE氏はこれを全て登られた(おじさんは3山が未登だがあまり登る気はない)。この中にある蝿帽子嶺(1038m)のそばに越山(1129m)があり、この山は「ぎふ百山」にあるので機会があれば登りたいと思っている。

 「本巣の山」表紙

 さて、今日のメンバーは企画者のYさん、Sさん、おじさん、おじさんの名古屋の山ともOさんの4人。岐阜県での非常事態宣言を受けて、登山口となるうすずみ温泉の道の駅、日帰り温泉など全ての施設は臨時休業中。誰もいない道の駅を午前8時に出発した。きっと倉見山(登山口)の案内があるだろうと思っていたが、何もない。同行の人の指示に従って、道を進めた(「本巣の山」にホテル四季彩館の北東山手にある貯水槽の裏から取り付くと書いてあったのだが、読んでなかった。)貯水槽の裏の右手側に階段の登り口があり、そこに初めて「倉見山」の表示が出てくる。しばらく水路に沿って水平移動し、左側の急な道を登っていった。急な登山道は最初のうち大部分が溝のようになっており、同行者がヒルがいると言う。杉の落ち葉が積もり、ヒルはこの下で棲息しているかもしれない。

 臨時休業のうすずみ温泉 送迎客を乗せることもないバス
 帰りに聞いたら10月から営業するとのことだった

 登山口に向かう 右の畑の中には里芋「八つ頭」が一杯植えてあった

 登山口からすぐにあった表示
 
 あたりは杉の植林帯が続いており、日中も暗い。1時間ほど歩くとようやく落葉樹が出てきて、暗い中でその落葉樹の葉がまるで新緑の季節を迎えたように見えた。最初の休憩時、Yさんからの差し入れ、ブドウの大きいのかと思ったら、プルーン。長野にいたこともある彼女にはなじみのある果物で、スモモも仲間。その味、甘くて歯ごたえもある。スーパーなどではなかなか売っていないらしい。次の休憩時のOさんの乾燥イチジクもおいしい。道のところどころには大きなサイズのドングリが落ちている。道が緩やかになり、大きなブナの木が現れ、山頂に達した。山頂は山栗のイガが散乱している。上を見ると栗の木が一杯あった。その栗を求めてか、大型の蟻がウヨウヨいる。昼食後、来た道を戻る。道の駅はトイレ休憩の車2、3台が停まっていた。

 少し明るくなってきた中を歩く

 倉見山山頂

 三角点 点名「倉見」三等三角点

 帰り道におじさんの畑に寄った。昨日用意しておいた里芋、その場で収穫するトウガラシ、ナス、ピーマン、バジル、徳山トウガラシ(食べれるかな?)。さらにYさんがテレビ(揖斐川町の紹介番組)で見たという「インテリア盆栽工房BonCyu」にも寄った。

行程 道の駅8:00→登山口8:10→山頂10:16~10:56→道の駅12:30


 地形図
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消防団とは 21.9.18

2021-09-18 19:20:24 | 地域のこと他
 温暖化の影響なのか、台風が日本列島に頻繁に来襲するようになったし、雨もスコールのように降ることが多くなった。そして、大きな地震が近いうちに起こる可能性も高くなっている。こうした災害に対応するためには消防署、警察、自治体の役割は高まっているが、特に大規模な災害の場合常設の機関のみで対応することは不可能である。地域には非常勤の消防団が設置されており、非常時には消防団が果たす役割は大きいと考えられる。しかし、この消防団についは、様々な問題に直面している。一番の問題は団員のなり手が少なくなっていることである。少子化に加え、消防団の評判(特に訓練等が多く、仕事と両立できない。お酒等の団員同士のつきあいが大変。こうした評判は親から子どもに伝えられる)もあり、人集めに苦労している。

 クレマチス 毎月初めに肥料をやっているので何回も花を付ける

 高橋祐貴「幽霊消防団員ー日本のアンタッチャブル」(光文社新書)は消防団の抱える問題について鋭く指摘している。この本で、特に問題と指摘しているのは、本来消防団員個人に支払われるべき、報酬及び手当(火事や訓練に出動、参加すると手当が支払われる)が地区ごとにある分団にプールされ、そのお金の大半が酒を伴う飲食や旅行(コンパニオン付き)に使われていることである。そして、団員の中には全く活動していない者や退団している者さえいるという。それをチェックするべき消防署や自治体もチェックしていないということである(そうした団員を除外すると分団に集まる金は少なくなる)。悪く言えば、タダ酒の習慣が蔓延していることになる。消防団の中には、訓練もそこそこにタダ酒がその活動?の主になっている実態があるらしい。こうした実態については自治体や議員も知っているのだが、消防団の影響力を怖れて誰も改革できない。

 クレマチス

 以下、おじさんが消防団員(39歳から2年間務めた。当時としては随分年増の団員だった。ほとんどの団員がおじさんより年下で、年上は分団長のみ)だった頃の記憶、地区役員を務めた時の経験をもとにしながらお話しする。
◯当時の主な活動
 ・火災があったときの出動(当然ながら夜間か休日しかできない、火災出動は2回?。消火後も朝まで火の番をする)
 ・災害応援(幸い一度もなかった)
 ・行方不明者捜索(一回だけだが、丸一日揖斐川を捜索)
 ・地区の消火栓点検
 ・各種訓練
 ・その他(花火大会時の警備、年末夜警、出初め式等)
◯訓練の内容
 ・消防操法訓練 なんといってもこのための活動が圧倒的に多い、訓練は規律訓練から始まり、その後操法の練習となる。訓練は2月頃から平日は夜間8時~10時、そして休日もある。操法大会に各団員は出場することが求められる。お じさんは可搬ポンプの部に参加した。5月に町の大会、ここで上位に入ると6月の郡大会、さらには8月の県大会に出場することになる。おじさんのチームは町大会で敗退?したが、分団のチームが残っている場合は各団員はお手伝いをする必要がある。おじさんの分団は消防ポンプ車の部が強く、郡大会で優勝し、県大会に出場し、4位に入賞した。8月の県大会までの練習にかりだされ、大会当日はバスで会場にかけつけた。
※操法はまるでスポーツ大会のようである。優秀なチームはメンバーを固定し、毎夜訓練に励む。少し行き過ぎであると感じる。
 ・機動演習 四半期ごとに各地区持ち回りで火事を想定した訓練が行われた(ブログ2019年12月1日「我が町の消防団」参照)。
◯その他消防
 ・各活動の時、昼食等が支給される(おにぎり、どんぶり)
 ・操法訓練後、毎回車庫の2階でビールやつまみが出る(おじさんは酒はあまり飲まないので参加しなかったが、強制はされなかった。年増だったからか?)
 ・先の本が指摘しているように、おじさんも報酬等を受け取ったことはない(当時の報酬は年額1万円くらい。今は22,000円)
◯消防団への地区からの支援
 ・消防友の会という組織を作り、そこに一世帯当たり1,500円(総額約160万円)支出(このお金がどのように使われているのか知らないが、もとは各住民が各区に支払った区費)

 揖斐川町は春日村、坂内村、藤橋村、久瀬村、谷汲村、旧揖斐川町が合併してできたこと、あるいは町内の各地区が孤立していることもあるのか、消防団員定数が708人となっており、池田町及び大野町の160人と異常に多い。各分団長はその分団員集めに苦労することなるし、新人の確保ができないため長年にわたり務めることになる。我が地区でも、4人の定数だが実数は2人で、そのうちの1人は10年近くになる。

 先の本(著者は阪神淡路大震災を経験し、消防団の働きも見ている)も消防団の必要性については疑問の余地はないと言っているが、その体質はいかにも古くさい。タダ酒の習慣をなくし、報酬等は引き上げたうえで個人に支給する(分団支払いから個人支払いに代えたところでも、その管理を分団に一任するという「委任状」を出させるケースが多いのでこれもやめないといけない)。消防団も古い体質は棄てて、新しい時代にふさわしい組織として生まれ変わることを切に希望する。また、操法大会に比重を置きすぎた活動についても是正する必要がある。
 


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9月の野菜・激辛徳山トウガラシ 21.9.16

2021-09-16 19:24:36 | 野菜作り
 おじさんの母親はもうすぐ98歳になる。町から敬老会の祝い金が届くとともに金融機関からお誕生日プレゼントも届いた。一応その旨の話はするが、認知症のためあまり理解していないようである。そして、母親の兄弟姉妹(男4人、女1人)で存命していた叔父さんが逝去したと娘さんから連絡があった。コロナの蔓延のなかで葬儀は家族葬で行うとのことであった。葬儀が済んだあとで、他の親戚とともにお参りすることを伝えた。一人だけ残った母親にその叔父の名を出すと知っているとの返事だったが、亡くなった旨は伝えなかった。住んでいる地域でも、住民の死去ぶれはほとんど来ることがなくなった。今や家族葬が主流となった。一つの理由は我が家も含めて超高齢者が亡くなる場合、本人と社会との関係は極めて薄くなってからである。このため、かつて地域住民の葬儀でもっぱら顔を合わしていたメンバーとも会うことが少なくなってきた。葬儀に出席しないのだから、法事も出ないことになる。こうなると、親戚同士の交流も絶望的に少なくなる。

 さて、どの地域でもご当地野菜というのがある。我が家で育てているのは、徳山トウガラシと春日豆。徳山トウガラシはとにかく辛い(普通のより1.6倍辛いそうだ)。今年知人から苗をいただいて初めて育てた。青いまま収穫し、焼いたものを刻んで食べてみたがとても辛くて、舌がひりひりして、食べられない。山仲間のEさん、Sさんに譲ろうとしたが、やんわりと断られた。困って、その時一緒にいたMさんに無理矢理引き取ってもらった。

 徳山トウガラシ 徳山村の住民が離村して一時期絶えたかと思われたが、本巣市に住む德山出身の方が育てていた

 徳山トウガラシで検索し、本巣市JAの記事がヒットした トウガラシと味噌を混ぜて売り出している
全てのトウガラシが赤くなるのを待って、倉庫で乾燥させる予定。ただし、我が家で使う予定はないので、山の会等女性が多く集まる機会にさばこうと思っている。


 春日豆 今花が咲いている この豆も昨年譲り受けた 春日では茶畑の横で栽培されていたと聞いた

 9月10日に蒔いた大根、三つ葉が出てきた。

 
 二回目の枝豆が収穫を迎えている。一回目は4月中旬種まき(収穫は7月上旬)、二回目は7月19日種まき。二回目で初めて摘心(5節目)を行った。例年だと二回目の収量は少ないのだが、いつもよりは多く収穫できている。

 朝収穫し、鞘の両端を切って塩がまんべんなく行き渡るようにする 新鮮な枝豆はうまいので、つい食べ過ぎてしまう 黒豆を枝豆で食べる方も多いのだが、我が家は少し離れたところで育てているので、普通の黒豆として食べている


 サツマイモ そろそろ試し掘りしてもいい頃 今年はいつもの安納芋にかえてベニハルカを作ってみた


 里芋 収穫は10月以降


 八朔 去年より多くなっているかな 収穫12月下旬
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ホワイトロードを利用して三方岩岳・野谷荘司山に登る 21.9.13

2021-09-13 20:43:13 | 山登り
 古い話で恐縮だが、岐阜県の山を紹介するため昭和50年に「ぎふ百山」が出版された(編集岐阜県山岳連盟、発行岐阜日日新聞(今の岐阜新聞))。百山となっているが、実は120の山が紹介されており、おまけに近くの山が一つとして紹介されているので、実数では124を数える。100に納めきれなかったことは、おらが地域の山を是非入れて欲しいという陳情があり、収めることができなかったのかそれとも別の理由があってこうなったのかは良くわからない。おまけにこの後「続ぎふ百山」を発行しているので、余計にそう思うのである。揖斐の住人として特に不満なのは、不動山と千回沢山が22番目で一緒に紹介されていることである。この両山は徳山ダムの完成によって、容易には近づけない山となったからであるが、これはぎふ百山発行当時は話はあったが、工事さえ着工されていなかったから仕方がないことである。

 なんでこのような話をしたかというと、ぎふ百山で紹介された山を完登した方を何名も知っており、今完登目指して頑張っているさらにはおじさんも含めて完登は無理と思いながらも、年齢と競争しながらできるだけ多くの山に登ろうと思う方が多くいるのではないかと思うからである(今日二つ登ったので現在89目標100)。もう難しい山はおじさんには無理であるので、この本にある比較的簡単に登れる山を目指している。そのリストの筆頭にあがっているのが、今日登ってきた三方岩岳と野谷荘司山である。1977年白川郷から石川県に抜ける白山スーパー林道が完成した。今この林道は名前が変わり「白山白川郷ホワイトロード」と改称された。この林道の有料区間に行くのは岐阜県民でありながら今日が初めてであった。 

 今日のメンバーは、このコースが三度目となるEさん、初めてのおじさん、同じYさんとSさん。有料道路の開門は8時からで時間調整もあり荘川インターで降り、国道156号を平瀬、荻町とたどりながら、8時10分ほど前に料金所に到着。

 開門を待つ

トンネルの手前にある登山口駐車場(トイレもある)に8時20分頃到着。8時半から登り始める。登山道は一般の観光客も登ってくるからか整備が行き届いている。登山道のかたわらには実の赤くなったナナカマドや高山植物も見ることができる。

 登山口

 コウメバチソウ

 この花はなんだ どうもキンギョソウではないか これは高山植物ではない

 コマナ? しそに似ている

 ジグザグの急登が終わると緩やかな道となる。北の方に目をやれば、笈ヶ岳の形の良い姿を見ることができるようになる。 

 笈ヶ岳 ぎふ百山中最難関と言われている

 最初三方岩岳の山頂と思ったが、ここは展望台 9:20

 展望台からの白山

 北アルプス大展望 槍ヶ岳がはっきりと見える
一端下り、登り返すとここが三方岩岳の山頂だった。

 山頂1736m 9:39
 
 三方岩岳から南に進むと三方岩岳の雄姿が見えてくる。まさに岩の鎧を身にまとっているようだ。



 アキノキリンソウ

 三方岩岳から野谷荘司山までの稜線は意外とアップダウンを繰り返す。岐阜県側は絶壁のように荻町まで切れ落ちており、ところどころ神経を使う。

 白川郷を望む

 前景ナナカマド 後景北アルプス 9:58

 遠く剱岳 10:30

 立ち枯れ 10:38

 目の前に野谷荘司山が見えてくる。やがて昭和48年に白山北尾根の開拓者大杉鶴平氏によって切開かれた鶴平新道が合流し、400m先には小さな山頂があった。

 手前から野谷荘司山を望む 「ぎふ百山」によると「野谷」は下の名 「荘」は荘園と関係があると書かれている

 山頂 1797m

 山頂でお昼を食べ、来た道を戻る。時間は行きも帰りも変わらない。三方岩岳展望台には多数の登山者がいた。そして登山口まで戻ると大勢の女性たちに混ざって一人の年配の男性、女性たちから先生と呼ばれていて、女性たちに説明している。一人の女性に聞いたところ自然観察会だそうだ。植物、昆虫等と想像は膨らむが、ときおり粘土質とかという先生の声が聞こえてくる。詮索はやめて、車は荻町まで戻り、平瀬の道の駅に隣接する大白川の湯につかる。登山後の温泉は本当に久しぶり、さらに大和サービスエリアで女性たちからのサプライズのプレゼント=ソフトクリームをごちそうになる。

 コースタイム 大垣5:00~登山口8:30→展望台9:20→三方岩岳山頂9:39→野谷荘司山11:15~11:45→登山口14:02


 地形図
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