朝8時20分いつもより少し長めの散歩に出かけた。行く先は城ヶ峰で昨年12月19日以来である。昨日、城台山に登ったときは結構靴が埋まったが、わずか一日で雪どけが急速に進み、誰も踏んでいない雪の道だったが、1時間10分で山頂に立った。今回もワカンを用意したが、使うことはなかった。気温が高くなってきたためにこれからの雪は降ってもすぐに消えていく。春が確実に近づいてきているのを感じる。
今日の城ヶ峰
大野アルプス 雁又山?
予告のとおり今日は船曳建夫「「日本論」再考」(2003年)を紹介する。この本は、様々な日本論・日本人論について論じたもので、いわば「メタ日本論・日本人論」ということになる。なぜ日本あるいは日本人はこれほどまでこうした論議が好きなのであろうか。自分たちのアイデンティティにかくまで自信が持てないのであろうか。こうしたことについて少し前記の本により考えてみたい。
著者によると、日本人論は近代の中に生きる日本人のアイデンティティの不安を少しでも取り除こうという性格を持っており、その不安は日本が近代化の中で特殊な歴史的存在であること、すなわち「近代」を生み出した西洋の地域的歴史に属さない社会であったことによるものとしている。このアイデンティティの不安は根元的で解消されることがなく、常に新たな「不安」が生まれ、その都度新たな「日本人論」が生まれてくることになる。国運が好調な時にも、その成功が確信を持てないため不安が生まれる。(国運が不調=衰える時、一体どんな日本論・日本人論が生まれてくるのであろうか、根拠のない威勢のいい言説ばかり満たされるのであろうか。)
近代化の歴史の中で繰り返し「日本人論」は現れている。
◯第一の時期ー日清・日露戦争の後の高揚期 列強の植民地となる怖れから解放され、朝鮮を植民地とし、中国に高飛車に出るようになる。そこで私たちは一体誰なのかという疑問が生ずる。
こうした中で現れた言説
・福沢諭吉「脱亜論」・・・日本はアジアの主導国として欧米に対抗
・新渡戸稲造「武士道」、内村鑑三「代表的日本人」
・岡倉天心「茶の本」・・・西洋に対抗する中にも西洋との共通性・平行性を主張(梅棹忠夫の「文明の生態史観」と似てますね)
これらの本は、要するに日本はもとより西洋と肩を並べるだけの地理的条件と歴史、文化を持っていたという主張
これらの本が未だに外国人に読まれ続け(読まれ続けるのは翻訳されているからである。一方で司馬遼太郎のような日本人にとって国民作家というべき作家の作品はほとんど翻訳されない。相変わらず日本は外国の本をいち早く翻訳するが、日本の本を外国語に翻訳することは少ない。)、追うようにして日本人にも読まれ続けていることは、日本理解の固定化(ステレオタイプ化)を強化しているのかもしれない。
◯第二の時期ー昭和戦前期 日本が非西洋であることの動かせない事実を前提に、国家として個人として理想をどのような方向に見いだすのか格闘した時代
・九鬼周造「「いき」の構造」(この本、おじさんの書架に鎮座しているが、残念ながら読んだことがないのでコメントできない)
・和辻哲郎「風土」・・・西洋に表立って対抗するのではなく、日本には日本の事情があるので、それを専一とするという主張(よく分からないですね?モンスーンはモンスーンなりの事情があるということか)
・横光利一「旅愁」、河上徹太郎他「近代の超克」(大東亜戦争を肯定的に解釈しようとしたが成功しなかった)
◯第三の時期ー戦後の長い経済復興の半世紀 大東亜戦争への反省のトーン
・「菊と刀」・・自虐的に反省する一方で、民主日本、国際社会への復帰を推し進めることに邁進
・司馬遼太郎「この国のかたち」、「「甘え」の構造」、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」肯定的な日本を読み取ることができるが、敗戦と戦前のシステムを反省的に考察
日本人論が出続けたこと自体が、日本人論の最終的な目的である「アイデンティティの不安」を解消することができなかったことの現れである。しかし、今後はこうしたある意味集団的なアイデンティティを持つことは難しくなっている。これからは個人が多元的に生きている社会となったことから、個人の持つ体験は「重層的」になるはずであり、日本人論を必要とした時代が終わろうとしていると著者は述べている。さあ、この著者の予想はあたっているのであろうか。内田樹「日本辺境論」は2011年に書かれていることから考えると、容易に日本論・日本人論は終わらないというのが事実なのではないだろうか。
いよいよ次回は「日本辺境論」の登場となる。