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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

おなじみの日本論・日本人論(続) 21.1.31

2021-01-31 19:48:13 | 面白い本はないか
 
 朝8時20分いつもより少し長めの散歩に出かけた。行く先は城ヶ峰で昨年12月19日以来である。昨日、城台山に登ったときは結構靴が埋まったが、わずか一日で雪どけが急速に進み、誰も踏んでいない雪の道だったが、1時間10分で山頂に立った。今回もワカンを用意したが、使うことはなかった。気温が高くなってきたためにこれからの雪は降ってもすぐに消えていく。春が確実に近づいてきているのを感じる。

 今日の城ヶ峰

 大野アルプス 雁又山?

 予告のとおり今日は船曳建夫「「日本論」再考」(2003年)を紹介する。この本は、様々な日本論・日本人論について論じたもので、いわば「メタ日本論・日本人論」ということになる。なぜ日本あるいは日本人はこれほどまでこうした論議が好きなのであろうか。自分たちのアイデンティティにかくまで自信が持てないのであろうか。こうしたことについて少し前記の本により考えてみたい。

 著者によると、日本人論は近代の中に生きる日本人のアイデンティティの不安を少しでも取り除こうという性格を持っており、その不安は日本が近代化の中で特殊な歴史的存在であること、すなわち「近代」を生み出した西洋の地域的歴史に属さない社会であったことによるものとしている。このアイデンティティの不安は根元的で解消されることがなく、常に新たな「不安」が生まれ、その都度新たな「日本人論」が生まれてくることになる。国運が好調な時にも、その成功が確信を持てないため不安が生まれる。(国運が不調=衰える時、一体どんな日本論・日本人論が生まれてくるのであろうか、根拠のない威勢のいい言説ばかり満たされるのであろうか。)


 近代化の歴史の中で繰り返し「日本人論」は現れている。
◯第一の時期ー日清・日露戦争の後の高揚期 列強の植民地となる怖れから解放され、朝鮮を植民地とし、中国に高飛車に出るようになる。そこで私たちは一体誰なのかという疑問が生ずる。
 こうした中で現れた言説
 ・福沢諭吉「脱亜論」・・・日本はアジアの主導国として欧米に対抗
 ・新渡戸稲造「武士道」、内村鑑三「代表的日本人」
 ・岡倉天心「茶の本」・・・西洋に対抗する中にも西洋との共通性・平行性を主張(梅棹忠夫の「文明の生態史観」と似てますね) 
これらの本は、要するに日本はもとより西洋と肩を並べるだけの地理的条件と歴史、文化を持っていたという主張
これらの本が未だに外国人に読まれ続け(読まれ続けるのは翻訳されているからである。一方で司馬遼太郎のような日本人にとって国民作家というべき作家の作品はほとんど翻訳されない。相変わらず日本は外国の本をいち早く翻訳するが、日本の本を外国語に翻訳することは少ない。)、追うようにして日本人にも読まれ続けていることは、日本理解の固定化(ステレオタイプ化)を強化しているのかもしれない。

◯第二の時期ー昭和戦前期 日本が非西洋であることの動かせない事実を前提に、国家として個人として理想をどのような方向に見いだすのか格闘した時代
 ・九鬼周造「「いき」の構造」(この本、おじさんの書架に鎮座しているが、残念ながら読んだことがないのでコメントできない)
 ・和辻哲郎「風土」・・・西洋に表立って対抗するのではなく、日本には日本の事情があるので、それを専一とするという主張(よく分からないですね?モンスーンはモンスーンなりの事情があるということか)
 ・横光利一「旅愁」、河上徹太郎他「近代の超克」(大東亜戦争を肯定的に解釈しようとしたが成功しなかった)

◯第三の時期ー戦後の長い経済復興の半世紀 大東亜戦争への反省のトーン
 ・「菊と刀」・・自虐的に反省する一方で、民主日本、国際社会への復帰を推し進めることに邁進
 ・司馬遼太郎「この国のかたち」、「「甘え」の構造」、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」肯定的な日本を読み取ることができるが、敗戦と戦前のシステムを反省的に考察

 日本人論が出続けたこと自体が、日本人論の最終的な目的である「アイデンティティの不安」を解消することができなかったことの現れである。しかし、今後はこうしたある意味集団的なアイデンティティを持つことは難しくなっている。これからは個人が多元的に生きている社会となったことから、個人の持つ体験は「重層的」になるはずであり、日本人論を必要とした時代が終わろうとしていると著者は述べている。さあ、この著者の予想はあたっているのであろうか。内田樹「日本辺境論」は2011年に書かれていることから考えると、容易に日本論・日本人論は終わらないというのが事実なのではないだろうか。

 いよいよ次回は「日本辺境論」の登場となる。
 
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おなじみの日本論・日本人論 21.1.29

2021-01-29 14:36:59 | 面白い本はないか
今日は、予報どおりの朝から雪となった。幸い、昨日までにバラの剪定は済ませた。あとは硫黄石灰剤による消毒と元肥を2月上旬中に行うだけとなる(まとめてブログで紹介する)。月曜日に出かけた貝月山の雪の状況は、既に春山のような雪であったが、この雪でしばらくはラッセルが必要な状態となった。2月6日には土蔵岳に行くことになっており、どんな雪の状態になっているだろうか。予報によると2月後半は本格的に春めいてくるそうだから、いよいよ春山シーズン到来となるであろう。

 内田樹氏の「日本辺境論」を読んでいたら、明治時代から現代に至る日本・日本人について書かれた様々な本が紹介されていた。内田氏自身が語っているように、この本は今までに書かれた本の中の主張を繰り返しているだけで、何も新しい主張はないそうだが、いろんなところに内田氏なりの切り口があり、十分楽しめる内容だと思った。この本に触れる前に、おじさんの書架にあった4冊の本を紹介する。いずれも日本論の古典ともいうべき本であるが、内田氏の本の中では土井健郎の「「甘え」の構造」は出てこなかった。

 右上の本が新渡戸稲造(1984年から2007年まで五千円札の肖像、札幌農学校教授、東京帝大教授、国際連盟次長等々を歴任)の有名な「武士道」。1900年(明治33年)に英文で書かれたものを後に日本語に翻訳、写真は奈良本辰也氏が現代語で翻訳したもの。なぜ、新渡戸はこの本を書いたのか。辺境論でも触れているが、同氏が日本では学校で宗教教育を行っていないと言ったところ、それを聞いた学者が驚嘆して、「宗教なしでどうやって道徳教育を授けるのですか」と言った。私はこれに即答できなかった。私は正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、それが学校ではならうことのなかった武士道であることを見いだした。おじさんは1993年にこの本を遅まきながら読んだようである。

 そして、その左隣が日本人論としては余りにも有名なルース・ベネディクト「菊と刀」(1946年)である。この本は太平洋戦争後のアメリカ軍による占領政策のために書かれた本で、同女史は文化人類学者だが日本についての専門の学者ではないし、日本にも一度も行ったことがない。日本は恥の文化、西洋は罪の文化と書いて、日本人学者から多くの批判を受けた。辺境論ではこう紹介されいる。彼女の観察対象であった捕虜となった日本兵の奇矯なふるまい、すなわち「欧米の兵士と違って、日本に兵士たちが進んで敵軍に協力した点」。「永年軍隊のめしを食い、長い間極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し(以下略)」「そのつど、その場において自分より強大なものに対して、屈託なく親密かつ無防備になってみようとする傾向は軍国主義者であることと少しも背馳(はいち)しない」

 その下が土井健郎「「甘え」の構造」(1971年)。著者は精神科医。1980年に読み、2008年に再読した。「もし、日本人の心理に特異的なものがあるとするならば、それは日本語の特異性と密接な関係があるに違いないと考えるようになった。「甘える」という言葉は日本語独特のものらしい」。甘えに関する語彙では、「AはBに甘い」とか「見方が甘い」、そして「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」はすねるのは率直に甘えられないからで、すねながら甘えている。他の言葉も甘えから来ている。「すまない」という言葉について「菊と刀」では謝罪と感謝という一見異なる状況についてもこの言葉が使われることにっいて、その説明のためかなりの紙幅をさいている。このことについて、著者は「ここでの問題は、なぜ日本人が親切の行為に対して単純に感謝するのでは足れりとせず、相手の迷惑を想像して詫びねばならないかということである。それは詫びないと、相手が非礼ととりはしないか、その結果相手の好意を失いたくはないので、そして今後も末永く甘えさせて欲しいと思うので、日本人は「すまない」という言葉を頻発すると考えられる。」「甘えは、人間的興隆を円滑にするため、欠くべからざるものであるという見方が成り立つ。」「中国人が西洋文化に容易に好奇心さえ起さなかったのは、彼らが自国の文化に絶大な誇りを持っていたからであろう。このことは、中国人の社会が日本人の社会と違って、およそ甘えの世界とは縁遠いものであることをしめしている。日本人は元来外の動きに敏感であり、少しでも外が己よりも優れているとみれば、直ちに取り込もうとする。」(他にも引用したいところがたくさんあるが割愛する)

 最後に、梅棹忠夫「文明の生態史観」(1957年)。梅棹氏は民族学者で大阪千里にある国立民族学博物館の設立を推進し、自らそこの館長となった方で、確か上野千鶴子氏の師匠である。「文明の生態史観序説」に載ったのが、下記の図である。

 この図はユーラシア大陸を楕円で示している。Ⅰは中国世界、Ⅱはインド世界、Ⅲはロシア世界、Ⅳは地中海・イスラム文明をあらわしている。中央を右から斜めに左へ乾燥地帯が占めている。
「乾燥地帯は悪魔の巣である。暴力と破壊の源泉である。古来繰り返し遊牧民そのほかのメチャクチャな暴力が現れて、その周辺の文明の世界を破壊した。一方、日本と西ヨーロッパは暴力の源泉から遠く、破壊から守られて、中緯度温帯の好条件の中に、温室育ちのようにぬくぬくと成長する。自分の内部からの成長によって、何度かの脱皮を繰り返し、現在に至る。西ヨーロッパも日本と同じ条件にあった。」今このような主張をする人がいれば、モンゴルや中央アジアの国から猛烈な批判が出るであろうし、学界でも随分批判された。しかし、初めて読んだときにわかりやすくてとても面白く感じた。西ヨーロッパはどうだか知らないが、まさしく日本は極東で辺境の地である。文明の中心から離れていたことが、日本人の内田氏のいう「キョロキョロ」というまわりを気にして、良いものがあったらすぐに学ぼうとする資質につながったと考えられる。

 地理や気候といった変えることができないいわば自然によって、国民性は大きな影響を受ける。こうした先駆的な本として、和辻哲郎「風土」(1931年)がある。この著者は倫理学者で確か船旅で日本から留学先のヨーロッパに移動する時に目にした様々な風景、気候をわかりやすい「モンスーン」「砂漠」「牧場」と捉えた。モンスーンは日本、中国、東南アジアからインドあたりまで。砂漠は西アジア、牧場は地中海沿岸からヨーロッパ諸国。この三つの類型により、国民性を説明した。この本とても短いので、読むことをお薦めする。鈴木秀夫による「森林の思考・砂漠の思考」もキリスト教など一神教の出てきた背景を説明してくれるなど面白いのかもしれない(昔「風土」とともに手元にあったが、今はない)。

 次回は船曳健夫著「「日本論」再考」(2003年)を紹介する。なかなか「日本辺境論」までたどり着かないがお許しを。 
 

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様々な幸運の貝月山 21.1.25

2021-01-25 19:28:32 | 山登り
 岐阜に新しい風は吹かなかった。淀んだ「古い」風だけがさらに4年も吹き続けることになる。「保守」とは「変わらない」ということではない。急進的な改革は避ける一方で、漸進的な改革は行われるのが本来の「保守」というものだ。日本は変わらなければならない。しかし、誰もどうしたら良いのかわからない。例えば「少子化」というおそらく最大の問題の原因はわかっている(未婚率の上昇、生みたくても生めない環境)が、どう制度や社会のしくみを変えたら良いのかがわからないか、わかっても問題が大きすぎて変えられない。岐阜の人たちも岐阜が抱える問題を十分認識していない。そこで江崎さんにお願いしたい。もっと、岐阜が抱える問題を直視し、その対応策を具体的にしめして欲しい。そのための時間は十分ある。

 今日は3日降った雨がようやく止み、昨日のいやな雰囲気を吹き飛ばすかのような素晴らしい好天となった。いつものKさん、雪山デビューのMさんと3人でいつもの貝月山に出かけた。雨で随分雪が融けたが、日坂はまだ十分過ぎる雪が残っていた。登山口の貝月ゲレンデには、おじさんたちのグループも含めてそれぞれ特徴的な3組のパーティがいた。まずスノーシューの二人組(Kさんの知り合いだった、中でも男性のスノーシューは女性用で小さく軽い、あとから聞いたがワカンがわりだそうだ)、アイゼンとピッケルの三人組、そしておじさんたちワカングループ。今日の雪は連日の雨でかなり硬くなっている。そのため、このようなバラエティになったのだろう。

 貝月ゲレンデ

 おじさんを先頭にゲレンデを直登する。雪はしまっていてほとんど沈まないので、スノーシューよりもワカンの方が軽い分有利だろう。避難小屋への分岐点を過ぎて、登っていく。夏道を進んだり、あるいは尾根をそのまま登ったりする。小貝月が見えてくるとそこからはほとんど尾根通しに歩く。小貝月の手前の急登は左側に雪の斜面があり、少し緊張する。Mさんには右側の木があるそばを進むようアドバイス。ワカンの爪を利かせながら小気味よく登っていく。

 分岐 8:46

 雪の尾根1 9:29 右上 小貝月

 雪の尾根2 10:02 中央 小貝月

 登る方向右側には大展望が広がっている。まず、見つけたのは御岳、乗鞍、北アルプス、そして中央アルプス、恵那山も現れてきた。小貝月はそのピークを通るトレースがついている。
ここからの展望も素晴らしい。白山、能郷白山も見えてきた。小貝月から山頂へは一端下るのだが、トレースに従い下って行くと、山頂でなく見慣れぬ別の尾根が見えてきた。トレースはその先までついているようであったが、明らかに間違っている。少し引き返し、左手の方のトレースをたどっていく。やがて、山頂に達した。先行したスノーシュー組は既に昼食を終えたところだった。いつもの貝月山山頂の標識は雪の下だった。周囲はぐるり雪の山ばかり。無風の春のような陽気の中で昼食。いつまでもいたいという気持に別れを告げて下りにかかった。山頂から小貝月の稜線は貝月の中で最も好きな景色で、遠く光る伊勢湾を望むことができる。

 小貝月から貝月山頂 10:39

 小貝月 Kさんとおじさん(後ろ姿で良かった!!)

 小貝月から北アルプス、乗鞍

 山頂に到着 11:21

 山頂からの展望1 白山、その左が能郷白山

 山頂から展望2 伊吹山

 山頂から展望3 中央 蕎麦粒山

 小貝月への稜線 12:12

コースタイム 貝月ゲレンデ8:00→分岐8:46→山頂11:20~12:10→ゲレンデ14:15
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わが岐阜に新しい風が吹くことを期待

2021-01-22 17:19:13 | 地域のこと他
 昨年の後半から今年の2月にかけて3つの選挙があったし、予定されている。一つは揖斐川町長選挙(11月1日)、二つ目は岐阜県知事選挙(1月24日)そして三つ目は揖斐川町議会議員選挙。一つ目は現職の町長が引退し、元町議会議員の2名が戦った。I氏は町長選3度目の出馬で今回は現職の推薦を受けた。O氏は目立った支援団体がない中で戦い、I氏を破った。この2名の欠員がある中で戦われるのが2月14日に予定されている町議会議員選挙である。すでにおじさんの知る限り3名の新人が名乗りを上げている。10年で5000人人口が減った揖斐川町の抱える問題は数多い。こうした中で多くの方が立候補してくれるのは、実に有難いことだと思う。世間では町議会について、議員の数が多すぎるとか報酬が高すぎるとか言う人が多い。しかし、議員として十分な働きをしてくれれば多くても構わないと思っている。さらに報酬だが、あまりに安いと有能な人材は立候補しない。働くよう有権者であるわれわれが働きかける、働かない議員は次回の選挙で落選させれば良いのである。

 揖斐川町の定数は15名(前回より1名減)で報酬は25万円 これを高いと思うかどうか

 さて、今日の話題は24日に投開票の岐阜県知事選挙である。現職の古田知事は既に4期、16年その職にある。前職の梶原知事時代に主に作られた借金、そして多くの問題を抱えた県有施設、これを改善するのが最初の任務であった。そのご苦労には大変なものがあったと思う。アイデアマンではあったが、少々浪費家の跡を継いだわけだから、自分のしたいこともできなかったであろう。しかし、これほどお祭り好きな知事さんも他にはなかなかいないのではないかとも思う。
 2006年 全国植樹祭
 2010年 全国豊かな海づくり大会 岐阜は海なし県なのになぜか開催された、このあと海なしの奈良県でも開催
 2012年 全国体育大会 これは知事にとってまことに思い入れの強いイベント(1965年に開催された一回り目の岐阜国体において聖火ランナーを務めた)
 2020年 全国健康福祉祭(ねんりんピック) これは21年に延期された
これらのイベントのためにどれだけ普段の業務に支障が出ただろうか、あるいは職員は働かされただろうかと想像することはいけないだろうか。
さらに、岐阜では豚コレラが猖獗を極め、動員された職員の物理的・精神的疲労は蓄積された。

 少し話題を変えよう。岐阜県の都道府県の中のランクを見てみよう。

 一人当たり県民所得である 岐阜は28位 岐阜県のまわりの県 長野23位、富山5位、石川16位、福井14位、滋賀8位、三重7位、愛知2位
文句なしの最下位!!日本のど真ん中という利点を生かしていないといえないだろうか。東海環状道路も近いうちに完成する、それを有効に生かしていかなければならない。
 次に岐阜県の不都合な真実を見てみよう。

 魅力度ランキング 42位(前回36位) 長野8位、富山26位、石川10位、福井44位、滋賀37位、三重31位、愛知16位
 そして医療事情である。

 見にくい表で恐縮するが、右から3番目の欄人口1万人当たり勤務医数 岐阜20.63人、長野24.06人、富山24.23人、石川28.03人、福井23.04人、滋賀22.36人、三重21.01人、愛知21.50人 これも最下位でしかも全国的順位も低い

 次に10万人当たりのベッド数 これも全国的順位が低い
では、これらの問題は古田県政の16年で改善されたのであろうか。古いデータが手元にないので確信は持てないが、現状維持かむしろ悪化のどちらかであろう。おじさんとしては、悪いデータを古田県政のせいだけにするつもりはない。ただ、古田県政がさらに4年続けば、事態は全く改善されないと思う。

 選挙公報によると、古田候補の成果は、県内の企業誘致全国5位、失業率の低さ2位、有効求人倍率5位などなどである。しかし、企業誘致などはおそらく梶原県政の積極的な企業誘致策あったからこそであると思う。また、愛知県という製造業の拠点に隣接しているという利点があるからだと思う。ところが、先にしめしたとおり県民所得は相変わらず低い。
 おじさんが期待する新しい風の大元である江崎よしひで候補の訴えるところを見てみよう。12月に開催された同氏による講演会に動員により出席したが、「人生100年時代の幸せのかたち」をつくるための6つの基本政策というように残念ながら抽象的であまりぴんとこない。もっと強調して欲しいのは、古田県政の評価とその改善策であった。しかし、経産省の先輩そして岐阜県出向時代では古田知事に仕えたせいか、そのような話は全く聞かなかった(とても人柄と生まれが良いのだろうか)。

 今回の知事選については、県選出の国会議員と県会議員との間で一悶着があった。古田県政の継続を望ましいと思った国会議員(大野参議院議員は江崎候補を支援していると聞いたが)は一体何を考えているのだろうか(県会議員の方も信じているわけではないが)。岐阜県はこのままで良いとでも思っているのだろうか。彼らには16年をきちんと評価したことがあるのだろうか(そんなことをすると自分も何もしていないとわかるからであろうか)。この現状が続くと考えるなら、若い実行力(のありそうな)、人柄(の良さそうな)の江崎候補こそ選ぶべきだと思う。16年はそのことを教えるのに十分な期間だとは思えないであろうか。
 
 以上独断と偏見に基づき書いてしまった(こんなことは実は書きたくなかった。このブログは年寄りの暇つぶしなのだから・・・。)。昨日、これも動員で江崎候補の立ち会い演説会に参加してから、このブログでも少し書いた方が良いかなと思って書いたために、余計に独断的になったと思う。昨夜、山の仲間にラインで江崎候補の支援を依頼したら、皆がそれに同意してくれた。たかだか10名足らずだったが、これができるだけ多くの岐阜県民の同意であることを願うばかりである。
   

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デジタル社会の光と影 21.1.17

2021-01-17 19:23:06 | 面白い本はないか
 昔、本は当然本屋で買っていた。その本屋にない場合は、名古屋等の大きな本屋に行くか、注文するかだった(こうなると一ヶ月程度かかってしまう)。それが、アマゾンが登場して、状況が一変した。アマゾンで検索し、注文すると翌日か翌々日にはもう家に届く。アマゾンがやっているビジネスは下の写真でいうと黄色の部分(これをロングテール、日本語だと「長いしっぽ」)で需要が少なく、スペースに限りがある本屋がターゲットにしない部分ということになる。

そして、アマゾンには新書のみではなく古本も扱っていて、よりリーズナブルな値段で買うことができる(本は新書だと勝手に安売りできない)。かつてブックオフの実店舗があったが、ある本が限られていた。それが今や個人も含めて古書店がアマゾンに出店している。最初本だけであったのが、今やその取り扱い商品はあらゆる分野にわたっている。本好きにとって、あるいはネットでの買い物好きにとって、今やアマゾンは快適な生活を送るためのインフラとも言うべき存在となった。

 アマゾンに限らず、スマホ等で従来有料あるいは簡単に収集できない情報がいとも簡単に手に入るようになった。検索サービス、地図情報サービス、SNS等々、これで我々の生活は随分便利となった。では、この先、我々の生活はデジタルによって良いものになっていくのであろうか。野村総合研究所の所員が書いた「デジタル資本主義」を紹介しよう。世界、あるいは日本は経済が停滞し、賃金も伸びていない。しかし、その一方で生活者は生活の質の豊かさを享受している。すなわち、GDPでは捉えきれないデジタル化の影響がある。物を買うときネットで価格を調べ、少しでも安い価格のところで買う。結果、消費者余剰(この内容であればこれぐらいは支払っても良い思う金額と実際の価格の差)が大きくなった(逆に生産者はコストを下げない限り生産者余剰が小さくなる)。

☆少し与太話をする。例えば登山靴、これをいきなりネットで買う人はいないであろう。やはり、実店舗で試し履きをする必要がある。ぴたっとあった靴があってもそこでは買わない。そのメーカーの同じサイズの靴をネットで探し、そこで購入する。これはおじさんの話ではない。ひよっとしたら常識だと言われそうだが。

 デジタル化によって進んだ現象として、シェアリングエコノミー(あまり使われていない資産やサービスを無料または有料で共有する経済システム)の進展。オンデマンド配車サービスのウーバー(2009年、サンフランシスコで創業)、空き部屋を活用したい人と宿泊場所を探している人をマッチングするエアビーアンドビー(2008年、カリフォルニアで創業)、名前がとってもユニークのがブラブラカー(2006年、パリで創業)で、自動車の空きシート(所有者が出張などで車でA市からB市に移動する際、それに同乗させてもらう(電車よりもうんと安い)を活用。BLAというのは英語でおしゃべりするという意味で、利用者は自分のしゃべり度をあまりしゃべらないBLA、おしゃべりを楽しむBLABLA、しゃべり始めたら止まらないBLABLABLAと三段階で申し込む。

 しかし、デジタル化には影の部分がある。アマゾンで働く人たちはほとんどが非正規でその勤務内容も厳しい(関連本が出ている)。金融機関を例に取ると、ロボット・AIの導入により、事務職の一部は解雇される。24時間サービスの導入などによりその銀行の労働生産性(少ない労働力で多くのアウトプットを生み出す)は上がるが、従業員の賃金は増えない。ホワイトカラーも含め多くの仕事がロボットやAIに置き換えられ、大量の失業者が生まれる。日本が得意だった製造技術を持つ企業もGAFAなどのプラットフォーマーたちの傘下に置かれるかもしれない。日本のお家芸とも言われた「すりあわせ」で出来ていた自動車、これが電気自動車となると部品が少なくなり、すりあわせの必要も減少する(パソコンや家電製品で起きたことが自動車でも起きる)し、さらに自動運転技術の導入により日本の産業に多大な影響が出ると予想されている。

 産業資本主義は私有財の領域を拡大させてきた。18世紀の産業革命の前提となった共有地として用いられてきた土地を囲い込み(エンクロージャー)、そこを追われた農民が都市部に労働者として流れ込んだ。21世紀今度はデジタル化により、公共財や準公共財(シェアリングエコノミーによって私有財が公共財や準公共財財に変わる)の領域を拡大させている。その例として、おじさんも良く利用するウィキペディア、2001年にジミーウェ-ルズ、ラリー・サンガーによって創業、約4700万件のトピックが投稿され、7200万人の編集者がおり、それをたった3800人の管理者が管理している。今も開発進行中のコンピューターのOSの一つであるリナックスというのも準公共財だろう。

 明るいような暗いようななんだかよくわからない未来予測であるかもしれない。 



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