城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

高齢者問題 24.9.15

2024-09-15 17:24:42 | 地域のこと他
 家内との間で終活が時々話題となる。もちろん、短いし、きちんとした結論が出るわけではない。

 わたしは、一人になっても自立できている間は自宅にいたいと言う。これに対し、家内は適当な施設があれば入りたいと言う。

 わたしは現在料理をしない(家内が働いていて、わたしが無職だったたった一年間だけ自分と母のために簡単な昼食を作った)。二人の妹の旦那はどちらも料理をするので、家内からたまには作ったらと言われる。

 「適当な施設」を見つけることはなかなか難しい。まして、自立が出来ている間に探した方が良いと言われても、どうして探したら良いのか分からない。有料老人ホームだと、入居費が高い上に介護状態になる、あるいは病気になると出て行かなければならない(入居金は戻って来ない)

 約3年前に「我が家の介護問題」(21.12.20)と題して記事を書いた。

 介護問題は実は自分の問題でもある。ある日、身体が思うように動かなくなり、誰かから介護を受けなければならなくなる。きっと私たち世代の多くは子どもに頼ることはできないであろう。一方、日本の現状は公的な介護に頼ることができなくなりつつある。できれば「ぴんぴんころり」でできるだけ人様のお世話にならずに人生を閉じることができたら最高だろうと思っている。掛け合い漫才のように。連れ合いとは「俺が先だ、いや私が先だ」などと言い合ってはいるが、そんなことわかるはずはないのである。ただし、足腰の鍛錬だけは怠らないようにしようというのが今の心境だ。足が衰えると寝たきりになる、そうすると不本意に長生きしてしまうかもしれない。死ぬ一日前にも歩いていたと言われたい。

 それから約3年経ち、母親は特養入所を経て昨年8月に亡くなった。

 いよいよ自分たちの番がきたのである。もちろん時期は不明である。だからなかなか真剣な話し合いとはならない。話し合いは夫婦だけでは足りない。離れて暮らす息子や娘との話し合いも必須であろう。

 
 県図書館で何気なく見つけた本が森田洋之著「うらやましい孤独死」である。
  著者は一橋大学を出てから宮崎医科大学にすすみ医者になった。研修医を経験し、財政破綻した夕張市で4年間村上智彦医師(破綻前171床の市民病院が19床の診療所となった時の運営責任者)のもとでプライマリーケア(一次医療)について学んだ。

 書名から見ると、一体どんなことが書いてあるのかとても興味を惹いた。「孤独死」って「うらやましい」ものなのかってね。

 この本のエキスはほとんどまえがきに書かれている。
 「孤独を美化するものでない」
 「それまでの人生が孤独ではなく、いきいきいした人間の交流がある中での死であれば、たとえ最期の瞬間がいわゆる孤独死であっても、それはうらやましいとも言えるのではないか」
 「さらに言えば、孤独死を過度に恐れるあまり、独居高齢者が容易に施設に収容されてしまう風潮にも一石を投じたいとも思っている」
 「人間がかかる最も重い病気は「孤独」である
 「万一何かあったら心配、一日でも長生きして欲しいといった本人に良かれと思ってだれもがとる行動が、じつは高齢者を孤独に追いやっている」
 「好きなものを食べたい、自由に外出したい、死ぬ前にもう一度自宅に帰りたい、そんな人間として当たり前の希望を願っても仕方がないと口に出すことも出来ない、そうした高齢者を数多く見てきた。安全、安心の呪縛から高齢者の生活を解放する、いわば現代の医療システムへのアンチテーゼがうらやましい孤独死」

 この本にはうらやましい孤独死を実践した普通の高齢者が大勢いる。その中の一つの例をあげる。夕張市内に住む90歳を超えたおばあちゃんで足腰の衰えはあったが、頭脳は明晰。腎臓が弱ってしまい通常なら人工透析の対象となる。その場合入院しての治療が必要となるが、市内には病院がない。おばあちゃんには、ご主人がやはり人工透析を受けながら次第に寝たきりとなり病院で最期を迎えた経験があった。おばあちゃんは人工透析を拒み、在宅ケアを受けることになった。水分を排出することができないので、次第にむくんできたが、彼女自身苦しんでいる様子はない。食事も少しずつ食べられるし、ゆっくりとしかもにこやかに会話することができた。こうして最期まで自宅で生活しながら2週間後亡くなった。

 「医学的正解(人工透析)」と「その人の人生にとっての正解」、この二つをどうすり合わせるかが現場で悩むことと著者は打ち明ける(科学的正解を優先したばかりの失敗例が数多くある)

 夕張市では病院がなくなった。その影響で何が起こり、何が起こらなかったか。高齢化率は50%を超えた(破綻とは関係ない)が総死亡率は変わらなかった。病死が減り、その代わり老衰死が増えた(病院に入院すると何らかの病名がつく)。救急出動が半減し、一人当たりの高齢者医療費も減った。夕張市の医療の責任者の村上医師の努力(それまでなかった24時間対応の在宅医療、訪問介護の創設、24時間随時対応の訪問介護などなど)がなされた結果であるが。

 著者の医師人生⒉回目の衝撃があった。すなわち多くの研究の結果「病院の存在や非存在」と「住民の死亡率」との間に因果関係はないという事実だった。
 病床数にこれだけ違いがあるが、病院が多い県ほど死亡率が低いわけではない。


 日本は、人口当たり世界一の病床数(米英の5倍)、CT、MRIの保有数も世界一(米英の5倍)、外来受診も世界2位。ふくれあがる医療費が問題なら、世界一と言われる日本の病院、病床数を減らせばいい。
 ※世界一の病床数、新型コロナの患者数も少ないのに病床逼迫の危機に陥った。また、高齢者医療が高騰しているからと、75歳以上の患者負担を増やそうとしている。
 世界では日本よりも病院、病床が少ない代わりに、地域密着の医療が根付いている。

 日本の医療は、在宅医療はもちろん、救急医療でさえ、患者の大半は高齢者であり、もはや医療の大部分は慢性期医療という名の「高齢者ビジネス」となっている。これが本当に高齢者のためになっているのか。

 まえがきでも触れたが、日本では社会的孤立度が高く、孤立は喫煙と同じくらい健康リスクがある。日本の高齢者(75~79歳)は、地域の活動に参加する人の割合がドイツ、スウェーデンの半分、同居の家族以外に頼れる友人がドイツ、スウェーデン、アメリカの半分以下となっている。この孤立が健康を阻害するだけでなく、最期の迎え方にも大きな影響を与える。うらやましい老後に続く「理想的な死」を迎えるための必要条件が地域社会とのつながりであると考えている。イギリスの医療では、患者の医療的な問題が孤独や社会的孤立から発生していることが予想された患者を地域のコミュニティにつなぐ処方箋を医師が発行する(日本でも病院ソーシャルワーカーが自宅や社会とつなぐ機能を持っているが、プライマリーケアの医師ではない)



 在宅医療は今や日本でもかなり普及してきている。しかし、個々の地域を見ると安心できるような体制にはなっていない。地域医療に懸命に取り組んでいる医師等の例を本やテレビで見るたびに気持ちは揺れている。 地域とのつながりは様々なイベント、老人会などのクラブの活動も減ってきている感じがする。


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大学同窓会 24.9.10

2024-09-10 19:21:43 | 地域のこと他
 9月5日名古屋駅前で大学の同窓会が開かれた。

 大学入学後、最初の2年間の教養部にクラス分けがされ、わたしはL-32というクラスになった。

 このクラスには35名が所属し、この同窓会には15名が参加した。

 既に5名が物故者となっているので、ちょうど半数が参加できたことになる。


 入学したのは1968年(昭和43年)、メキシコオリンピックが開かれた年である。また、東大紛争、プラハの春、キング牧師暗殺、パリ五月革命、三億円事件などが起こり、流行った歌としては、天使の誘惑(黛ジュン)、君だけに愛を(ザ・タイガース)、恋の季節(ピンキラ)などがあり、口ずさんだものだ。この中で学生生活に大いなる影響があったのは、東大紛争で我が大学も何ヶ月か遅れて封鎖となった。

 L-32のクラスの仲間の大部分が学業よりも、レジャーに大半の時間を費やした。特に多いのは麻雀で、各自の下宿、自宅通学者の家で毎夜のように繰り広げられた。試験が近づくと皆は一夜漬とばかりにこのときだけお勉強に励んだ。わたしにとって、後の趣味となる山登りも2歳上のOさんが誘ってくれたからで、途中の中断期を除くと、いまだに山に登り続けている。

 
 
 これが当日の同窓会の模様で左の立っているのはおじさんである。順番に近況報告とやらを行った。
 一人当たり10分という幹事の命令であったが、しゃべりすぎたせいかストップがかかった。

 この中で現在闘病中あるいは障がいが残っている同級生が結構いる。

 一人は膵臓ガン・ステージ4、同窓会のあと、転移した肝臓のガンに対して抗がん剤を投与するそうで、その副作用が半端でない(彼の息子は止めたらといっている)のだそうだ。それでも彼は相変わらず同級生で作っているグループラインに毎日内容のある文と上手な写真を投稿し続けている。 テニスや陶芸、野菜づくりなどもしており、とてもガン患者とは思えない。

 相続の話もあった。独身の姉がなくなり(亡くなるまで介護してきた)、姉の自宅と経営するアパートが残った。彼は、奥さん共々養子縁組を行っているので、残された財産を相続するための手続きを自ら行った。その手続きが大変なものであることは、この同窓会に出席していた公認会計士も認めるくらい大変なのである。他にも相続の話があったが、共通していたのは司法書士など専門家に誰も頼んでいないということだった。

 学生時代からオケに参加する同級生は、クラリネットが欲しくなったそうだ。良いものは100万円、ちょうど演奏家が古くなったものを50万円で譲るという話があった。結局、彼が買ったのは2万円ばかりのもので、プラスチック製だった。実際吹いてみると、それなりの音がしたそうで、自分で楽しむだけの現状では、これで十分と納得した。

 父親が105歳となり、現在は施設に入っているそうだが、その父親から頻繁にいろいろ持ってくるように連絡があるので、結構大変ということだった。彼の望みは、もう一度世界一周の旅をしてみたいというものだった。

 卒業から52年、今から思えばあっという間の出来事だった。
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びわ湖テラスへ 24.6.11

2024-06-11 20:00:47 | 地域のこと他
 かみさんの希望もあり、今日はびわ湖テラスに出かける。

 行きは長浜から琵琶湖の北側を通って現地へ。ナビは国道303号線で木之本経由を示したが、伊吹山の南を通って行った。木之本からはナビのとおり湖西道路を進んだら、行きすぎて(目的地周辺という案内はあったものの下の道に降りれず)、戻る羽目になり、都合3時間以上要した。
  ※新しいナビは、古いものより目的地周辺の範囲が広い(個人情報保護のためだとか。これがいやなら従来のものをわざわざ追加のお金を払って従来のナビを導入する必要がある。なんとも不便!)。

 びわ湖テラスは若いときにスキーで出かけたことがある。確かカーレーター(名前が違っているかもしれない)で上に上がった。スキー場自体は緩斜面が多く、面白くなかった記憶がある。

 平日なのでロープウェイ乗り場の一つ下に駐車できた。乗り場に行くと若者が多い。

 乗り場

 打見山にあるびわ湖テラスからの眺めは素晴らしい。山が急斜面であるだけに琵琶湖がすぐ下に見える。

 琵琶湖大橋を望む

 通路を写し込む

 テラスの花

 クリンソウ
以下は知らないものばかり(園芸種)

 リクニス

 アルケミラモリス

 昼食
ロープウェイ往復が3500円、食事をするところはどこも高い。最もお手頃な「エキナカキッチン」(スキー場にある食堂を思い出す)でチキンバーガーのセット1700円
日頃質素な食事をしている?田舎ジンにとっては高い(かみさん曰く「ハワイに比べれば安い」(量は食べきれないくらい多いが)

 遊び所
ジップラインアドベンチャーとかスカイウォーカーは有料、ドッグランは?
打見山の下笹平に無料の「遊びの広場」がある(そこまで無料のリフトがある)
笹平から蓬莱山へのリフトは運行されていなかったので、おじさんだけで山頂まで歩く


 打見山から蓬莱山

 琵琶湖を望む素敵なテラス

 山頂から琵琶湖大橋

 比良の山 この辺で登ったことがあるのは堂満岳のみ

 帰りは琵琶湖大橋を通り、名神経由で帰宅。久し振りの長時間運転で疲れた(緊張から?)
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夜店(祭り前夜・本楽) 24.5.5

2024-05-05 17:29:36 | 地域のこと他
 祭りに欠かせないないものとして、露店がある。特に子どもにとっては、御輿、山車(屋台)などよりも露店でお気に入りのものを買うことが何より楽しい。おじさんが子どもであった時も、今以上に店が出ていたはずであるが、なぜか楽しい思い出があまりない。それはお小遣いが少なく、欲しいものが買えなかったせいか、あるいは関心がむしろ子ども神輿の方に行っていたせいかもしれない。なにしろ、御輿の置いてある会館に何日も上級生達と泊っていたくらいだから。
 その露店であるが、子どもを含めた人出が少なくなっているということ、そして祭りがなかった新型コロナの時を経て、確実に店の数は減少している。帰ってきた息子は、40代であるが、露店で色々買っている。

 まず始めに、三輪神社周辺の昨夜の状況

 19時過ぎ 5台の山車が境内に勢揃いしている

 仮面を売る店 だるま落としの店 昔はこのあたりは射的の店が地蔵様のある池の周りまであったが、今はない

 手前左に綿菓子があるが、これは昔から定番 リンゴ飴も定番 人が少ない!!

 「冷やしパイン」聞いたことがない

 今朝の状況

 一台の山車が境内に収ろうとしている

 山車を山車の収る会館から三輪神社まで引き回してくるのは最も大変な仕事

 お昼頃(接待のために控えている会館の場所に御輿の渡御がある)

 おじさんたちが待つ場所に

 ただいま休憩中 女性たちは接待に忙しい

 このあとおじさんたちは片付け

 家にいると外から最も佳境に入った渡御(大人御輿が神社境内に収る前の三台の山車による競り合い)のつり手のかけ声が聞こえてくる

 19時から幟の収納、会館幕、提灯の後片付けがある

 片付けが早く済んだので、再び夜店探索

 三輪神社に近いところはまだ人出がある

 本町通りになると少し少なくなる

 19時半子ども歌舞伎が開幕、演目は鏡山旧錦絵

 前口上 なれたものだ!!

 開幕

 踊り

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山寺と銀山温泉 24.4.25

2024-04-25 19:49:31 | 地域のこと他
 山寺(立石寺)と銀山温泉に月曜日から水曜日まで出かけた。両者とも是非とも行ってみたいところであった。ジパング倶楽部を利用し、一泊目は山形のビジネスホテル、二泊目は銀山温泉に泊った。計画したのは、3月中頃であったが、その時点で銀山温泉の宿はじゃらんなどネットでの予約は超高いところしか残っていなかったが、なんとか予算ぎりぎりのところを予約することができた。

 まずは山寺、山形から一時間に一本電車があり、また「山寺」駅から近い。所要時間として往復3時間をみていたが、実際は2時間だった。家内が奥の院まで歩けるかどうか心配だったが、なんとか往復できた。

 山寺駅から見る立石寺 右上に五大堂が見える

 山寺は慈覚太師が開いた天台宗のお寺 芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ場所として有名

 根本中堂 

 ここが登山口 入場料300円 ここから約1000段の階段が続く

 階段

 仁王門

 奥の院 意外と小さい

 レンギョウと桜

 チラシなどで使われることの多い開山堂 この上に展望が良い五大堂がある

 五大堂を仰ぐ

 こうした岩壁が随所にある

 10時半頃に山寺駅に戻ってきた。次の電車は11時半頃、山形でお昼をゆっくり食べる時間がない。駅前の雑誌にも取り上げられた蕎麦屋の11時の開店を待つ。その後、山形から大石田まで山形新幹線で移動。駅で迎えの車に乗り(同乗者4名)、銀山温泉まで行く。

 宿到着後、銀山温泉街を見に行く。滝がまず見えてくる。

 温泉街の上流にある白銀の滝

 温泉街は観光客で溢れている。思ったより狭いというのが第一印象。

 温泉街の一番大きな建物 「千と千尋」に出てくる建物のモデルの一つとなった
 ベールをかぶった女性外国人団体客が大勢 

 この温泉街の売りは、夜景と冬の街と宿の主人が言っていた

 夕食後バスで送迎 夜景 街灯はガス灯 下流から撮影 
 スマホのナイトモードは進化している(三脚なし)

 朝の散歩

 群山温泉の朝 上流から撮影


 銀山入口

 坑内

 幸い雨も降らず満足の旅となった それにしてもどこに行っても外国人の多いことに驚く
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