城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

夏越の大祓 20.6.30

2020-06-30 13:17:53 | 地域のこと他
 今日は6月30日、前半が終了し、これから後半が始まる。地元の三輪神社が昨日と今日、夏越の大祓を行っているので、用意された人形の半紙に自分の名前を書き、さらに古くなったお札等を持って出かけた。外は生憎の大ぶりと平日の昼間とあって、お参りも私の他には一人だけだった。そして茅の輪くぐり、今年は新型コロナの収束を願い、早くから設置してあったが、本来はこの日のためのもの。茅の輪を8の字に3回ほどくぐり、今年は終了。子どもの頃は歳の数だけ回ったが、今やそんなことはできない。三輪神社は地区の中核となる施設である。元旦祭に始まり、節分までは良かったが、コロナのため今まで経験したことのない春の大祭の中止があった。伝統的な行事ができないと地域の活性化や住民同士のつながりの確認といったことも厳しくなってくる。

 お参りがいない!!

 神社から配られたチラシ

 少し話題を変える。新聞によるとコロナのため、生活保護受給申請が増えているらしい。災害や疫病は、貧しくなっている日本の国民に大きな影響を及ぼすことは容易に想像できる。生活保護の受給は、本来受給できるはずの国民の2割しかされていない。本来、最後のより所(最近、高齢者にとって最後のより所は刑務所だと言われている。また、働ける女性にとっての最後のより所は風俗営業という人もいる。)であるはずの制度であるのだが、行政による受給させないための水際作戦と受給者側にある烙印(英語で言うとスティグマ)を押してしまうような制度となっているため、不正受給者を除くと簡単には申請できない。そして、日本では「自己責任」を強調するような世間、それをうまく利用する政府があるので、受給者への風当たりは強い。

 例えば、不安定な就労状態にあった国民が、コロナによって失職したとしよう。もし、彼か彼女が失業手当がもらえるならば、それで食いつなぎながら、新しい職を探すが、現状では簡単には見つからない。貯金もなくなれば、もう万事休すである。これを誰も自己責任だと言う人はいないだろう。しかし、その前の不安定就労を自己責任だと言う人は結構多いかもしれない。本人の低学歴、あるいはコミュニケーションスキルが十分でないなど。しかし、本人の育った家庭が貧困で、親等との愛情ある関係が作れなかったとしたらどうであろうか。このように考えれば考えるほど、安易に「自己責任」だと片付けることはできなくなる。もちろん、社会が悪いのだと一方的に考えるの問題で、その答えはその両極端の合い間の膨大な領域にあると考えるべきだろう(これではほとんど答えにはならないが)。

 ヤシャ・モンク著「自己責任の時代」を読んだ。抽象的な議論にはほとんどついていけなかったが、具体的な話になると少し理解できた。自己責任ということが盛んに言われるようになったのは、福祉国家の見直しが進んだ頃で、右派だけでなく左派も自己責任ということを言い出した。以前左派は福祉受給者を完全に弱い立場にあるものと見なす傾向が強く、人間が生きる上で大切な責任を無視することが多かったという。
本文中から引用する。
 レーガンは、「私たちは法が破られたとき、罪を問われるべきは法を破ったものでなく社会なのだという考えを捨てなければなりません。今こそ誰もが彼の行動の結果に責任を負うという米国流の原則を蘇らせるときなのです」
 英国労働党は、何十年にもわたり貧困の除去を犯罪減少に向けた最重要の政策提言とみなしてきたが、トニー・ブレアは「犯罪に屈せず、犯罪の原因にも屈しない」と約束した
 バラク・オバマは、全黒人の子どもの半数以上が一人親家庭で生活していると述べ、父親に「責任は妊娠とともに終わるのではないことを認識する」よう求めた
 運平等主義者によると、政治は市民が道徳的責任を負わない事柄、すなわち差異の影響から市民を保護すべきである。しかし、差異を生み出す運の影響はいたるところに存在する。それゆえ、政治は全時間と全労力を奪われかねない課題に直面している。
 訳者解説から 近年の平等主義的リベラリズム派の言論活動や研究が、自己責任論の促す援助からの撤退を食い止めようとするあまり、窮状に陥った人々の自律の能力そのものを低く見積もろうとする戦略をとってきたを著者は手厳しく批判している。

 何でも自己責任という風潮に無性に腹が立つので、読んでみたのだが、難しすぎて未消化のまま終わってしまった。自分の頭の悪さ、これも自己責任か?




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池田山大津谷コースとストック考 20.6.27 

2020-06-27 19:38:09 | 山登り
 朝少しだけ畑に行き、朝食後池田山の大津谷コース登山口に向かった。大津谷公園は、既に多くのビジターで賑わっていた。日帰りのバーベキューあるいはキャンピングか。先週貝月ゲレンデもキャンピングの人たちがいたが、安近短のレジャーとして確実な足場を占めたということか。最近のお父さん方はおじさんの時代に比べて家族サービスに抵抗があまりないのかとも考える。

 大津谷コースの登山口には既に4台の車。8時にいつものように獣害柵を開けて、目の前の急な斜面の登りにかかる。何回登っても最初の20分の登りがきつく、ここでよれよれとなる。おまけに今は梅雨時、汗を一杯かきながらの苦しい登りだ。前回登ったのは、昨年の11月23日だから気温も湿度も高い。途中、単独の登山者を追い越す。50分歩いたところで、もう限界ということで、一休み。このあと、林道へ出るための最後の急な登りがある。林道に出てしまえば、あとは快調にとばせるのだが、エネルギーが切れてしまったのかとばせない。電波塔のたつピークに9時20分過ぎに到着。少し、休憩後来た道を引き返す。登ってくる6人のグループと単独者に会った。さらに、獣害柵のところでかつては同じ山岳会に所属したYさんに遭遇した。シニアボランティアの仕事の後、ここに来たという。10時半登山口に到着した。家では家内に随分早いお帰りねと言われた。

 大津谷コースの中間地点 8時39分
 
 林道に出る 9時13分

 電波塔から山頂を望む 9時25分
標高差700m弱、時間1時間半弱 まあまあといったところか

 ここからはストックについて考えてみたい。若いときは、もちろんストックなどはなかった。退職後再開した時は、ストックを使うことが常識となっていた。いつからポピュラーになったかはわからないが、歩くスキー、ノルディックではストックを使うので、ここから始まったのかも。若い人(特に体力に自信のある人)はストックは普段使わない。山のガイドからは下りにストックがあると膝に負担がかからないと言われた。確かに、それもあるが、年齢を重ねるとかなりバランスが悪くなるためと思う。

 ヤブをこいたり、沢を登ったりするときは、ストックを使うかどうか迷う。おじさんは、片方の眼と耳が不自由なのでバランスが特に悪い。このためほとんどの山登りで一本のストックを使う。仲間も沢登りを除くと一本だけ使っていることが多い。一本だと片方で木につかまりながら、ストックを持つ手はヤブをかき分けて進むこともできる。もちろんストックの長さを状況に応じ、調整することが必要だ。今日の池田山はシングルだったが、ここならダブルの方が登りでは有効ではないかと考えた。次回はダブルで挑戦してみたい。


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夏野菜等の今(2) 20.6.24

2020-06-24 19:09:51 | 野菜作り
 「夏野菜等の今」を書いてから、1ヶ月が過ぎた。既に収穫をしているものもあれば、このあと順番に収穫していくものもある。今日までの状況について紹介したい。今朝はサツマイモの追肥から始まった。そのあとキュウリ、トマト、ナスの収穫を行った。さらに、スイカの整枝と受粉を行った。


 つるが伸び始めた鳴門金時そして安納芋の追肥を行った 収穫は10月となる

 キュウリ 昨日に続き10本以上(4株)の収穫があった これだけなるとすぐに栄養不足となる
 この株がどこまでもつかはわからない 大体は7月中か このため、8月も収穫出来るよう、これから新苗を植えようと思う

 大玉のトマト 昨日初収穫した 一段目、二段目と収穫していくが、どこまで収穫出来るかが腕の見せ所
 一段に4個とするのが推奨だとか

 ミニトマト

 ミニトマトは既に雨カバー一杯まで成長したので、摘心した 大玉は七段以降摘心するよう書いてある

 ナス キュウリのようにはいかないが、ぼちぼち収穫している
 ナスは10月まで収穫出来る 8月頃仕立て直しをする
ナス、トマト類はマルハナバチというミツバチの仲間が受粉をおこなって居ると書いてあるが、蜂を見たことが
ない。どうして受粉しているのだろか?

 バジル これは葉を収穫する バジルソースの原料となる

 本日、カボチャの雌花2個を初めて見た 早速受粉を行った


 里芋 昨日最後の追肥を行ったが、成長に随分と差がある(まだ芽をだしたばかりのもの、既に大きく葉を展開しているもの)
 おじさんの畑は粘土質でしかも水路がすぐそばなので里芋の生育には好条件が揃っている 収穫は10月以降

 枝豆 あと2週間くらいで収穫となる


 最後はスイカ 昨日と今日ミツバチ(日本ミツバチor西洋ミツバチ)の飛んでいるのを発見
 この写真の中にいる

 大玉スイカ 6月16日頃受粉 この前後に受粉したものが多く出てきた
 スイカの孫つるが一杯出てくる 本には2本程度を残して除去すると書いてあるが、錯綜していて難しい
 もう少し早めに取りかかるべきだったと反省しきり

おまけ

 ハッサクの実

 ミカンの実
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貝月谷沢登り 20.6.21

2020-06-21 20:24:51 | 山登り
 今日は、father’s day。おじさんの父親が存命の時は、果たしてこの日に贈り物をしたことがあるだろうかと考えたが、すぐに結論は明らかとなった。当時、父親に対して、息子である者が贈り物するなんて気恥ずかしいこともあり、考えもしなかったのがおじさん達の世代であろう。幸いなことに我が娘はここのところ贈り物を欠かさない。できの悪い父親だと理解しているので有難いことだ。

 いつものように畑に5時過ぎに出勤。昨日、スイカには沢山の雌花があったので、全て受粉させた。これが成功しているかどうかは、しばらくすると判明する。6時半頃、家に戻り食事。このあと、7時10分頃集合場所に向かう。既にYさんが来ていた。その後残りの3人が到着。行き先は貝月山のロッジ、そこから貝月谷を遡行する。元の計画では、今日明日とホハレ峠から少し下ったところで草刈りし、その後Iさんの山荘に泊まることになっていた。ところが、船が出なくなったため、山荘の主が来れなくなり、この計画は延期となった。そこに参加する予定だったYさんは、沢登りの道具は持っているものの、未だ沢登りの経験は0であった。こうして、今日の貝月谷沢登りは急遽計画された。そこにダブルOさんが参加を表明してくれた。

 古い話で恐縮だが、貝月山に最初に登ったのは昭和54年6月だから今からおよそ40年前ということになる。当時、貝月山に登るには貝月谷に沿って作られた一二三(ひふみ)新道(貝月山の標高が1234mだから「ひふみ」と名付けられていると思うが)により登るしかなかった。雨の後だったので、ヒルにも悩まされた思い出がある。さらに山頂付近はシャクナゲに覆い尽くされており、足の踏み場もなかった。山頂から西に進み、我々は沢から揖斐高原ゴルフ場のコースに出たのに対し、別のグループは春日の尾西に下った。もちろん、我々が彼らを迎えに行った(今なら日坂から春日美束に至る林道が整備され、簡単にいけるが、当時我々は揖斐川を下り、そして粕川を遡り、迎えに行った)。貝月谷に行きたかったのは、このゆえもある。

 貝月谷は初心者向きの沢登りコースである。滝もないので高巻も必要ない、またへつりをするような淵もない。沢初めてのYさんには最適の場所ということになる。しかし、梅雨時の沢だから増水はしている。水が少なければ何でもないところでも、それなりに緊張を要する。今回、先頭を引き受けてくれたのは、Oさん。易しいルートを選んでくれている。沢登りではルートとりが極めて重要となる。高さのある滝はないが、音を立てて流れ込み、深みを作るところは結構ある。そして沢にそって、かつて道だったと思われる箇所が多くあった。

 ロッジから堰堤の上までは舗装された林道歩き 林道が途切れた先で入渓





 二番目が初心者のYさん Oさんが見守る
 

 鞍部が見えるようになってからも、水量は減ってこない。くの字型の溝が最後のフィナーレ。やがて水は細くなり、源頭。後は急斜面を登っていくと「江美の池」手前の登山道に飛び出した。10分あまりで山頂に到着、意外と多くの登山者がいるのに驚いた。山頂で昼食、沢靴からトレッキングシューズに履き替え、通常の登山道を下山。3時間ばかりの沢登りに一同大満足。次回はブンゲンの岐阜県側の沢竹谷を登るとダブルOさんが提案。ここはお隣の竹屋谷に比べれば易しいらしいが、貝月谷からはレベルが上がることは間違いないらしい。

 くの字 ここは直登した 先頭を行ってくれたOさん

 源頭付近

 意外と登山局が多かった山頂

コースタイム 貝月ロッジ8:00→入渓8:30→登山道に出る11:05→山頂11:15~12:15→ロッジ13:45


 貝月谷の部分のみ表示
 
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スイカ(2) 20.6.16

2020-06-16 19:49:27 | 野菜作り
 今日は朝早くから、ジャガイモの掘り起こし。既に上部は枯れているので、遅いくらい。まずは、グローブをはめて茎を引き抜く。するとイモが付いてくる。周辺を掘り起こすと大きめのイモが出現する。品種は、男爵とキタアカリと親戚からいただいた赤いジャガイモ、2月29日に植え付けたので約3ヶ月半経過した。男爵とキタアカリは、両方とも花が咲かなかったし、成長ぶりも例年より不良だった。午後にコンテナで収穫。実は昨年作りすぎたので、かみさんから文句が出た。いわく、時間が経てば芽欠きばかりしなければならないので、量を減らすようにと。種芋の植え付けを減らしたので、当然収穫も少なかった。

 午前中、乾かしている 真ん中あたりに赤色の品種がある

 その後、いつものようにスイカのチェック(昨日追肥を行った)。6株も植えているのに、現在着実に成長しているのは3個のみ。受粉はしているのだが、着果に結びついていない。何故だろう。天気のせい、あるいは時間が早すぎ(受粉は遅くとも9時までにと言われているが、おじさんは6時過ぎ)るせい・・・・色々考えをめぐらす。

 6月12日の写真

 同じく6月12日写真

 3つとも6月5日あたりの日付、ミニだと7月10日前後が食べ頃だし、大だと20日前後となる(ツルが錯綜していて判別できなくなっている)。この後も雌花(ここのところ少ない)が出てくると思われるが、早くても収穫はミニで7月下旬、大だと8月上旬になる。昨年はミニを10月まで食べることができた。さて、今年は? 

 さらにこの時期、やらなければいけない庭の仕事がある。サツキの剪定と松の春芽の処理だ。松の春芽の処理、これをやっておかないと10月か11月の剪定の時、大変となる。春芽は実に勢いよく伸びるので、理想は5月中に剪定をしたいところだが、いつも6月になってしまう。松の剪定は難しいと言われている。プロだと木の形を見ながら剪定するが、素人のおじさんにそんな真似はできない。親の世代で立派な松があった庭も子どもの世代になると、その扱いに困り(造園業者に頼むと結構なお金をとられる。シルバーに頼むということもできるが、いってなんだがお上手ではない)切ってしまう話を良く聞く。おじさんの家の松はたいしたものでないので、適当に剪定しているが時間はとにかくかかる。)。通りかかる何も知らない地域の人は、剪定がは難しいことは知っているので「すごいですね」と褒めてくれる。

 春芽の根元を切っていく この後から夏芽が伸びてくる

これが終了次第、サツキの剪定をしなければいけない。
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