城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

教育という難題・パート2 21.8.29

2021-08-29 21:22:36 | 面白い本はないか
 先日、文部科学省は教員免許更新制を2023年度限りで廃止することを発表した。この免許更新制は安部第一次政権時に教育再生会議が提案し、2009年から導入された。それを10年と少しで廃止するのである。そういえば、英語のセンター試験に民間試験を導入しようとしたが、反対で断念したし、少し前には「ゆとり教育」を導入したものの、PISAの点数が下がったからとかで、授業数を以前の状態に少し戻した。なぜこのように「教育」について、改革が叫ばれたりするのであろうか。教育再生会議では経済界や政治家、御用学者(最近の教育関係の審議会に肝腎の教育学者がいないなどということも起こっている)などから「改革」要望のオンパレードで、ときには経済が低迷しているのは、教育が悪いとまで主張する。こうした傾向に対し、もっと冷静になって、日本の教育制度の優れたところを発見し、その中で真に改める必要あることを各種のデータを参照しながら進めるべきというのが、今回紹介する小松光/ジェルミー・ラプリー「日本の教育はダメじゃないー国際比較データで問い直す」(ちくま新書)。

 コバキボウシ 毒があるのでペットを近づけないようにと注意書きがあった

 この本の内容に進む前に、今年1月6日のブログ「教育という難題」に少し触れておく。そこでは、人間は生まれた瞬間からその両親あるいは育つ家庭の影響を受ける。小学校入学前に学力の格差はできてしまい、この格差を学校において解消することは難しい。地域によっても大きな格差ができてしまう。その格差を決定的にしてしまうのが高校受験であり、底辺校の子どもたちは学ぶことさえあきらめてしまう。しかし、この著者が述べているように、世界と比べると日本の格差はいまだ幸いにも「凡庸な格差」に留まっているということになる。しかし、日本において経済格差は広がりつつあるので、この凡庸な格差が拡大し、教育格差による経済格差が悪循環のように広がる可能性も大である。

 「日本の教育はダメじゃない」は徹底的に国際的なデータを活用し、日本の教育の現状を描き出す。その現状は、私たちが考えているほど悲観的なものないことがわかる。例えば日本の教育は「創造性を育まない」「いじめが蔓延している」「昔に比べて学力が低下している」などと考えている国民が多いが、データから見るとそれらの印象は間違っていることがわかる。データとして活用されているのが、PISA(以下「ピザ」)とTIMSS(以下「ティムズ})、前者には日本は1964年から参加しており、学校で習った基礎的な内容を新しい目的に対し、創造的に使えるか判定する調査である。これに対し後者は国際数学・理科教育動向調査で学校で習った内容をきちんと覚えていて使えるかを問うものである。このデータにより様々な通説が否定される。
 通説1 知識がない→ティムズ(2015年)日本・数学5位、理科2位 日本や東アジアの点数が高い
 通説2 創造力(考える力、創造性、応用力)がない→ピザ(2018年)数学6位、理科5位、読解15位 東アジアの国々のほとんどは読解の成績が数学、理科ほど良くない(文化的なもの?)
 通説3 問題解決ができない→創造的問題解決・ピザ(2012年)日本3位 日本は班活動など協同的問題解決が得意
 通説4 学力格差が大きい→基本的な事項を理解している子どもの割合6位、社会階層の成績への影響9位で10.1%(OECD平均12.1%) ほどほどに不公平
 通説5 大人の学力低い→日本の大学生は他国の大学生よりも勉強しないけれど、大人になったときの能力は世界のトップレベル(日本の生産性が低いことを指摘するアトキンソンも日本の大人の能力が高いことに言及している、経営者
の能力が劣っていると指摘)
 通説6 昔と比べて学力が低下している→日本の成績はこの18年間で上がったり下がったりしており、一貫して下がっているという傾向は見られない、ゆとり教育で低下したという根拠はない
 結論  日本は学力が高い

 ヤブラン

 では子どもたちの生活の具合はどうなっているのか。
 通説7 日本の子どもたちは勉強のしすぎ→勉強時間は少なく、その少なさは東アジアの国の中で群を抜く ここで疑問=勉強しないのになぜ学力が高いのかーが生じる
 通説8 高い学力は塾通いのおかげ→通塾率と学力は結びつかない
 通説9 日本の授業は古くさい→アメリカは日本に学んでいる、日本では学力を決める要素として才能よりも努力を重視している(アメリカは才能を重視)、先生の教え方も別解について考えさせたり、発見・思考型の問題を考える授業が多い
 通説10 勉強に興味がない→興味と学力は両立しない、子どもたちの興味に合わせた授業をしようとすると、簡単なことしか教えれない、学びには強制力が必要となる
 通説11 学力が高いのに自分に自信が持てない→東アジア諸国の子どもたちも同じ傾向にある、自分に批判的な目を向け続けることが、自分を高めることに貢献する。日本人は自己を変化するものだと考えているが、アメリカ人、カナダ人は自己を固定的なものと考える傾向にある
 通説12 学校が楽しくない→ピザ(2012年)39カ国中12位、ピザ(2015年)自らを学校の一員と考えるか日本82%で39カ国中5位
 通説13 いじめ、不登校、自殺が多い→テイムズ2015年(中学2年生)いじめられたことのない子どもの割合日本80%で38カ国中5位、自殺29カ国中低い方から16位(丁度真ん中)

 ヤブラン 斑入り

 以上の結果に対する著者たちの提案は、①現実を見ない教育政策を止める、②未来に対する不安は消えないので、ほどほどの不安を持つ→メディアはいつも批判的(売るために)、保護者は子どもの通っている学校に満足(特に先生に対し)しているが、教育を支える環境には満足していない、日本の若者に対して「学習能力が低く、精神的にも弱い」というレッテル貼りは大人たちを楽にするだけで無意味、③日本の教育のレベルの高さに気づこう→日本の先生方の数理的能力、読解力は高い、問題は抜群に忙しく、労働時間は長い、アメリカなどで注目される日本の先生方の半ば自主的取り組み「授業研究」を再評価すべき。

 冒頭の教員免許更新制度に導入により、教員はますます忙しくなった(事務的な処理に追われる)と言われる。今回の廃止は、かねてからの教員の過度な忙しさ(それが教員のなり手が少なくなっていることにつながっている)を文科省も是正しなければと思ってのことだと思う。良く言われるように「ゆとり教育」は教員にこそ必要な政策なのだ。かつて、イギリスのブレア首相は英国における重要な課題は、一に教育、二に教育、三に教育と言った。しかし、その後に導入された新自由主義的な教育政策はかならずしも良い結果を出さなかった。教育政策はその効果が現れるのには時間がかかるし、気づいた頃にはもう遅いのである。やはり、教育は難題なのだ。


 


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日帰りの門入訪問 21.8.27   

2021-08-27 05:51:50 | 山登り
 門入に8月のある日、日帰りで訪問した。この日、門入に山荘を持つ泉さんが日帰りで帰ってくるということでの訪問となった。一行の中には今回初めて門入を訪れる人もいて、リーダーのEさん、おじさんがいろいろ説明をしながら、ホハレ峠から下っていった。Eさんは既に主要なところの草刈りはされているようであったが、毎年毎年その道は至る所で雨や雪崩等によって削り取られ、歩きにくくなっているようである。行程のなかほど、すなわち下り坂が終わり、やっと人心地できる先にある徒渉地点も従来より手前地点となった(この先で雪崩が発生したためか、山から土砂が押し寄せてきた。帰りには従来の徒渉地点をわたり、この土砂を超えていった。)。雨が続いたせいで沢の水は多く、徒渉の後のぬかるみも酷くなっていた(この道を何度も来ている人は行き帰り長靴というスタイルが多い)。
 
 初めての人もいたことから、少しゆっくり目の2時間20分で泉さんほかが待つ山荘に到着。そこには一年ぶりに再会するホスピタリティあふれる笑顔の泉さんがいた。一行はさっそく山荘にあがり、昼食となった。料理上手なEさんが作ってくれた温かい味噌汁、一行の女性たちの料理、果物に囲まれて、お腹はもうぱんぱん。さらに泉さんからオロナミンCと高級なマスカットまで飛び出す。さすがに皆さん腹一杯でお持ち帰りとなった。2時間の滞在時間はあっという間に過ぎていった。初めての人を連れて、望郷広場を訪れる。そこに泉翁も加わって、記念写真。最後に山荘の前で全員で記念写真を撮り、出発となった。黒谷にかかる橋付近から後を振り返るといつも見送りしてくれる泉さんがいた。「また会いましょう。それまでお元気に!」と心の中で叫んだ。

 以下は写真

 峠の観音様 持ち去られる前は地蔵様 9:03

 峠からすぐ下った道 9:05

 小さな滝があった 9:32
 
 難路を行く このあたりの道は悪い 9:43

 徒渉後休憩時 10:15

 コビクラの滝がある沢 真ん中は蕎麦粒山? 10:36

 黒沢にかかる橋と右に泉さんの山荘 11:19

 山荘到着 11:20

 訪れた望郷広場 13:05

 ホハレ峠方面を望む 14:08

 ホハレ峠まで戻ってくる 15:51 峠から門入までの林道計画は今も中断されたまま  




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貴方は嫌韓それとも好韓? 21.8.22

2021-08-22 17:26:32 | 面白い本はないか
 今回の記事を書くにあたって、少し考えた。自分は嫌韓に近いのか、そうでもないのかということを。韓国には一度も行ったことがないし、また行こうとも思っていない(少なくとも自分から進んで行くことはない。中国も同じ。)。海外には数えれば、15回以上行っているのにだ。韓流も見たことはないし、オリンピックや様々なイベントで繰り返される韓国からの発言はおじさんをいたく傷つける。何故韓国はあのような発言を繰り返すのであろうか。そんなことをすれば(しなくても)嫌韓の人々は韓国の悪意ぶりを非難するだけだと思う。やっぱり嫌韓なのだろうと思った。しかし、最初から嫌韓だったわけではない。経済的に韓国が日本と比べて小さな国であったとき(=日本に経済大国としての余裕があったとき)は、このような感情が起こることはなかった。しかし、今や一人当たりGDPではほぼ同等となり、韓国内の個人から日本統治時代に日本がしたことについての発言が高まり、さらには戦後の日韓関係、福島の原発事故の被害などについても様々に批判を行う。もちろん正当な批判は受け入れるつもりだが、根拠のない批判になると嫌韓度はどんどん高まっていく。

 ランタナ

 韓国との関係については、何度もこのブログで書いている。「日韓の共通の歴史認識は可能なのか?(2019.8.22)」「複雑な世の中(20.12.6)」「韓国と日本の新しい関係に期待(21.2.8)」である。本棚にも日韓関係の本が20冊あるし、図書館からもかなりの本を借り読んだ。おそらく先の大戦について書かれた本の次にテーマとしての日韓関係の本は気になるのである。大戦についてもそうだが、日韓関係の歴史特に現代史について、何が起こったのかを正確に知っておきたいという気持ちが強い。過去分からなかった両国の歴史が少しずつ明らかになってきている。今回読んだ渡辺延志「歴史認識日韓の溝ー分かり合えないのはなぜか」から以下紹介していきたい。

 著者は朝日新聞の記者であるのだが、特別日韓関係に詳しかったわけではない。韓国での徴用工訴訟とその判決により、両国の主張があまりに違うことから、日韓の歴史について調べて見ようと思ったと書いてある。その中で、北海道大学における六体の頭蓋骨の発見(東学党農民のもの)を発端とする井上勝生同大名誉教授の論文「東学農民戦争、抗日蜂起と殲滅作戦の史実を探求して」「東学党討伐隊兵士の従軍日誌」にたどり着く。そこでは日清戦争前後に日本軍が東学農民を鎮圧した事実が明らかにされている。さらに日清戦争のきっかけが日本軍の謀略によるものであることが明らかになる。また、日本軍によってその戦史が記録される際に日本軍にとって都合の悪い事実(農民軍の鎮圧、殺戮)については全く書かれることはなく、農民戦争で戦死した唯一の日本兵も農民軍との戦いではなく、正規軍との戦いによるものと書き変えられた。

 ヤマブキ 春だと思っていたら夏にも咲くのだと認識
 
 そして、日韓併合後の1923年に起きた関東大震災被災時における在日朝鮮人に対する虐殺の記録も書き変えられた。2012年横浜市議会での出来事で、市教委が作った副読本の関東大震災の記述が問題となった。「デマを信じた軍隊や警察、在郷軍人会や青年会を母体として組織された自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、中国人をも殺害した。横浜でも、異常な緊張状態のもとで、朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた。」これに市議が問題提起(特に「虐殺」という記述)し、教育長がこれに同意し、改訂することになった。「虐殺」は「殺害」に置き換えられた。都立公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」があり、この前で毎年9月1日に追悼式が行われるが、小池知事は2017年以降追悼の言葉を届けなくなった。都議会で小池知事は「この件は、様々な内容が史実として書かれていると承知いたしております。だからこそ、何が事実かについては、歴史家がひもとくものだと申し上げております」と答えた。この発言は安部首相が「侵略の定義は定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」(2013年5月)とよく似ている。被災地で起こった様々な出来事を当時の小学生が記録した作文集が見つかっている。この中には朝鮮人に対する殺害についての記述も多く含まれている。また、軍は殺害に関与したのは自警団だと述べた報告書がある。軍によると自警団は震災後自然にできたかのように書かれているが、実は自警団は軍、警察、在郷軍人会などが中心となって震災前に作られている。そして、その在郷軍人会には日清戦争に従軍し、農民軍など現地の反乱軍と戦った兵士たちがいた。これが虐殺につながったのではないかと著者は考える。

 クレマチス

 1919年3月1日に発生した3・1運動(日本からの独立運動)を記念する式典で文在寅大統領は「国民の皆様、1919年、一年間で実に1542回にわたり行われたデモで全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁されました・・・」と演説した。しかし、その演説の一年前に韓国の政府機関である国史編纂委員会が3・1独立運動のデータベースを作り上げ、百周年に合わせ2019年に公開した。それによるとデモ参加者は最大で103万人、死者は約900人である。大統領による政治的発言であった。要するに韓国側も歴史のねつ造を行っている。日本は資料がないことにして否定する、韓国は数字をねつ造する。これではいつまで経っても、両国の溝は埋まらない。

 大久保保昭「「歴史認識」とは何かー対立の構図を超えて」でこう述べている。「歴史認識」にかかわる諸問題が21世紀になって激しく論議され、対立を生んでいる根本的な原因は、①戦争と植民地支配、そして人権というものへの国際社会全体の捉え方が20世紀を通じて大きく変化した、②それに伴って、第二次世界大戦と朝鮮植民地支配について1970年代までにサンフランシスコ平和条約、日韓と日中の国交正常化などで解決されたつもりだった問題が、80年代以降見直しを求められるようになった。③日本国民の間に、戦争と植民地支配の問題について反省しつつも、「東京裁判=勝者の裁き」という見方に代表される諸外国の「不公平さ」への割り切れない思いが一貫して存在していたなどと述べている。

 クレマチス

 慰安婦問題について、いわゆるアジア女性基金(村山政権、社会党が加わった政権だったからできたと制度であった)における失敗(韓国のみで失敗、フィリピン、インドネシア、オランダではほぼ成功)(制度の宣伝及び韓国側の消極的態度)及びその後の日韓合意(これもアメリカ側の強い押しがあったから成立した)の現政権による破棄などによって日本側には韓国側の誠意のなさ(日本から見るとそのように見える。また日本側から見るとゴール自体が移動しているように見える)にこりた日本側、現在問題となっている徴用工問題でも「解決済み」というすげない態度をとり続ける理由になっている。お互いの歴史認識の溝は容易には埋まらないのである。
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秋冬野菜の準備始まる 21.8.20 

2021-08-20 19:21:45 | 野菜作り
 毎日の雨のため、畑ではなかなか本格的な作業ができないでいるが、雨の止むときを見つけて夏野菜の収穫と秋冬野菜の準備をしている。スイカの最後の収穫を18日に行った。前に書いたように二番果、いわゆる「うらなり」で、今までに収穫した数は20個くらいになるであろう。もちろんこんなことは初めてである。おそらく先月の15日前後の天候が良く、その頃盛んに飛んでいたミツバチが授粉のお手伝いをしてくれたのだろうと思う。なるにまかせていたので、その大きさは1.5kg程度のものが多かった(一番果で収穫した11個のミニスイカはほとんどが3kgを超え、大きいのでは4.1kgだった)。

 18日の収穫 ミニスイカ4個と大1個(大といっても小さいが)

 親戚や友人、隣人までお裾分けしたが、いまだに毎日食べている(糖分取り過ぎにならないか少し心配)にもかかわらず、冷蔵庫の中には3個残っている。

 スイカジュースを家内が作った レモン汁を入れると多少味が良くなった

 ナスは少し前に仕立て直した。三分の一くらい剪定し、スコップで周りの根を切り、そこに肥料を入れる。しばらくすると切ったところなどから新しい芽が出てくる。これで10月頃まで収穫できるはずである。

 仕立て直しと毎日の雨でナスは元気

 二回目の枝豆、7月19日に種をポットにまき、植付けた。先日下から5節目を摘心し、18日花が咲いてきたので追肥を行った。



 同じ日にまいた春日豆(ご当地野菜でインゲンの仲間) 半分くらい植付け後枯れた

 9月になると10日頃に大根をまく予定で、枝豆の後に大根を作ると良く出来ると書いてあったので、苦土石灰と牛堆肥をまいてから、鍬で起し場を作った。鍬使いは結構ハードな作業だと思う。そしてブロッコリーは16日ポットにまいた。細かい種なのに、もう芽が出てきた。そのあと涼しくなったらホウレンソウをまきたい。トマト、最初のキュウリ(後に植えたキュウリはまだ元気)、スイカの後片付けをしたいのだが、なかなかできない。雨ばかりで草がどんどん伸びてくるので、作業は増えていくばかりである。

 
 
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もしお隣がネアンデルタール人だったら?パート2 21.8.18

2021-08-18 20:22:54 | 面白い本はないか
 コロナデルタ株の感染が爆発的に広がっている。感染者数、死亡者数が他の国と比べて少なかったのだが、急速に追いつきつつある。さらに天気は悪く、できることは本を読むことくらいしかない。2年前に「もしお隣がネアンデルタール人だったら?}(19.9.23のブログ)を書いたが、いわばこの続編となる話を書きたい。下の写真「主な人類」を見て欲しい。左上が私たち「ホモサピエンス」(「サピエンス」とは賢いという意味)で、全部で25種類以上いた人類の最後の種である。人類の祖先を大型の類人猿まで遡れば、1500万年前にその祖先は生きていた。そこからまずオランウータンの系統が分かれ、次にゴリラの系統、さらに700年前にチンパンジーの系統と分かれた。その人類の大祖先は「サヘラントロプス・チャデシス」、ここから人類の歴史は始まった。

 主な人類 「絶滅の人類史」から
 
 今回の種本は更科功「絶滅の人類史」ーなぜ「私たち」が生き延びたのか」。「ホモサピエンス」以下著者のように「ヒト」と呼ぶ。人類の祖先が何らかの理由で絶滅してしまったので、ヒトの最も近縁は「チンパンジー」ということになる。しかし、この近縁との溝は大きい。チンパンジーの脳は約390cc、一方ヒトの脳は1350cc。絶滅したネアンデルタール人は1550ccだった。人類の古い祖先ほど脳は小さく、チンパンジーと大差はなかったのだが、新しい祖先になると次第に脳が大きくなっていった。この脳が大きくなったことと直立二足歩行というのが、ヒトの女性に難産という困難をもたらした。ちなみに脳が大きいということと賢いということはつながっていないようである。小型のエンジンでも大きなパワーを生み出すことができるのに似ている。また、脳が大きいということは、それだけエネルギーを消費することになる。脳はその体重に占める割合は数パーセントなのにエネルギーの2割を消費する。ヒトは道具を作ったり、他のヒトとコミュニケーションやものごとの記憶をする。古い人類では道具(石器ですら随分あとに生み出された、細かい作業、忍耐が必要だからである)は使わず、ほとんど自然採集の生活を送っていた。今のチンパンジーの生態と大差はなく、森林、疎林で生活し、夜は肉食獣の捕食から逃れるために木の上で寝ていたようである。

 雨の合間を見つけて城台山に登った 一心寺横の小さな神社に咲いていたタカサゴユリ(テッポウユリ)

 人類の特徴として、直立二足歩行がある。この歩行、さらには走ることも進化の過程で上達してきた。なぜ人類は、この歩行をするようになったのか。この問いに答えるのは随分難しいようだ。チンパンジーなどは、手はもちろんのこと足を使って枝をつかむことができる。初期の人類では足の指が長かったようだが、手のように足を使うことはできなかった。例えば樹上の果物をとることはできても、チンパンジーなどと比べるとその能力は劣る。そうチンパンジーに食物獲得において人類は負けたのである。人類は森林を出て、疎林に暮らすことを強いられたのである。疎林、そして隣接する草原は果物などは乏しいので、その行動範囲は広くなる。さらには肉食をするようになる。最初の頃は、死んだ動物の肉を探した。そして、その見つけた食物を自分の家族や仲間に運んだ。運ぶためには、自由になる手が必要となる。これが直立二足歩行になった大きな理由だと著者は言う。ただ、直立二足歩行には大きな欠点がある。すなわち敵である肉食獣から逃げるのは、足が遅いから難しい。ウサインボルトでも最大スピードで時速44.6km、比較的足が遅いライオンでも80kmだから人類は食べられてしまう。このため集団を作ることとたくさん子どもを生むことができなければ絶滅してしまう。さらに人類は他の類人猿と比べると多産である。人類には年子はいるが、チンパンジーなどには年子はいない。子育ての方法も随分違う、他の類人猿は母親が育てるのに対し、ヒトは父親や他の親類、仲間も育児に協力する。そして人類は基本的に一夫一婦制だったと言われている。

  ムクゲ

 ネアンデルタール人は、ヒトより脳が大きく、肌は白く(メラニン色素が少ない)、ヨーロッパという高緯度の地域に住んでいた。ヒトに比べてがっしりとした体格であった。このためヒトより約1.5倍のエネルギーを必要とした。寒冷地への適応はある程度していたようだが、地球の寒冷化そしてヒトとの食物獲得競争に敗れたことがその絶滅と関係していると著者は言っている。ネアンデルタール人も槍は使っていたようだが、これでは遠くの獲物には届かない。ヒトは、投槍器を使い、離れた獲物を仕留めることができた。結局、ネアンデルタール人は、寒冷化とヒトの進出により約4万年前に絶滅した。

 唯一生き残った人類の種ホモ・サピエンスすなわちヒトはこの先絶滅するのだろうか。ホモ・エレクトゥス、この系統でジャワ島に住んでいたのがジャワ原人(約160万年前から10万年前)と中国周口店で見つかったのが北京原人(約75年前)、(この二つは学校で習ったので特に懐かしい)は170万年生きた(脳の大きさは初期850cc、末期1200cc)。ヒトの歴史はまだ30万年程度だからまだしばらくは生き延びるかもしれない。脳はAIなどが一般化すればむしろ退化する、すなわち小さくなる可能性はある。ヒトは自分たちが住む環境を大きく変えてしまった。その結果が温暖化でありコロナの蔓延ということである。エレクトゥスのようには長く生存することはできそうもない。
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