醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  178号   聖海(白井一道)

2016-01-12 16:07:59 | 随筆・小説

 『現代俳句に生きる芭蕉』堀切実  この本を読み感じたこと。

句郎 「閑さや岩にしみ入る蟬の声」、この句は芭蕉の有名な句の一つだよね。
華女 そうね。
句郎 この句を加藤楸邨は「真実感合」の句の代表として挙げている。
華女 「真実感合」とは、どんなことなの。
句郎 「真実感合」とは、自分がものを見て感じたことや分かったことがそのものの真実だと主張することのように理解しているんだけれどね。
華女 山寺の森の中に「閑さ」の真実を芭蕉は発見したということなのね。
句郎 単なる写生じゃない。
華女 子規が唱えた客観写生とは違うの。
句郎 子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句があるでしょ。この句は単なる「客観を描写した」句ではないと楸邨は言っている。「鶏頭の写生の真実の中に、子規の存在の真実が浸透している」のだと楸邨は言う。
華女 「写生」という言葉は難しいのね。
句郎 楸邨は子規の写生という言葉をこのように理解したということなんじゃないかな。
華女 虚子の花鳥諷詠も同じなのかしらね。
句郎 きっと同じなんじゃないかな。「物に入りて、その微の顕れて情感ずるや、句と成る所なり」と芭蕉の言葉が『三冊子』の中で紹介されているでしょ。また別の個所では「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし」とも。
華女 芭蕉が言っていることと同じことを子規も虚子も別の言葉で言っているということなのね。
句郎 芭蕉は子規・虚子に受け継がれ、現代に生きているんじゃないのかな。
華女 楸邨の句にも芭蕉は生きているのね。
句郎 そうなんじゃないかな。「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」という句を楸邨は「閑さや岩にしみ入る蟬の声」と同じ真実感合の句だと言ってる。
華女 凄い自信家ね。
句郎 そうだね。凄い勉強家だったんじゃないかな。
華女 「寒雷」という季語は楸邨が使い始めて広まった季語らしいわよ。
句郎 「寒雷」は楸邨の造語なの。
華女 冬の雷じゃ、憂鬱な気分を吹き飛ばすようなすさまじい雷鳴が表現できないということらしいわよ。
句郎 この句から『寒雷』という俳誌ができたのかな。
華女 きっと、そうなんじゃないの。
句郎 楸邨は「冬の雷」に「寒雷」を発見した句が「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」という句だったのかな。
華女 真冬の夜中、作句に苦しんでいた時、雷鳴が轟き、ガラス窓がぴりりぴりりと鳴り響いた。作句の苦しみから解放され、「寒雷」を発見したのかもしれないわ。
句郎 「冬の雷」の真実は「寒雷」にあると楸邨は認識したんだろうな。
華女 「寒雷」という言葉を多くの俳人たちが使い始めたことによって「寒雷」は季語として認められるようになったのね。
句郎 身の周りの自然には無限の事実が満ちているけれども、それらの事実の中の一つに真実の事実がある。その真実の事実を表現する言葉は一つしかない。その一つの言葉を見つけることが表現するということなのかもしれないな。
華女 楸邨は「寒雷」と云う言葉を見つけたのね。