醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  183号   聖海(白井一道)

2016-01-18 15:53:04 | 随筆・小説

  「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」芭蕉

句郎 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。芭蕉の有名な句があるでしょ。
華女 芭蕉の辞世の句なの。
句郎 この句の前書きに「病中吟」とあるから芭蕉が亡くなる元禄七年(1694)十月十二日より少し前に詠んだ句なんじゃないかな。
華女 ほぼ辞世の句といってもいいんじゃない。
句郎 そうだよね。生前最後の句のようだものね。辞世の句だといっても間違いじゃないと思うな。
華女 「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」。豊臣秀吉の有名な辞世の句があるじゃない。自分の人生を閉じ込めたような言葉を辞世の句というんでしょ。「旅に病んで」の芭蕉の句が芭蕉の人生を閉じ込めた言葉になっているのなら、辞世の句だと言っていいのじゃないも。
句郎 秀吉の句には太閤秀吉の人生が閉じ込められている言葉になっているよね。なんか出来過ぎの感があるなぁ。「旅に病んで」の芭蕉の句には芭蕉の人生が閉じ込められているのかどうか、難しいものがあるように思うんだけれどもね。
華女 確かに芭蕉の人生は「枯野」を「かけめぐる」ような人生ではなかったようにも感じるわ。
句郎 そうでしょ。やっぱり、生前最後の句と言った方がいいような気がするな。
華女 死を自覚した人間最後の想いのようなものを詠んでいると感じるわ。
句郎 そうなんだ。とても哀しい句だと思うんだ。自分には何も成し遂げたものがないという思いのようなものがあるよね。この句には。秀吉の辞世の句とは全然違うよ。
華女 自分はまだまだしなくちゃならないことがあるという思いかしらね。
句郎 この句について、森澄雄は次のようなことを言っている。「人生のかたわらにほっと息をぬいた安心の場と、あくまで人生の真中で汗にまみれようとするけわしさとの相克」があるとね。
華女 なんか、分かるような気がするわ。
句郎 まだまだ、死ねるような状況じゃない。そんな句だよね。澄雄がこのような評をなぜしたのかと、いうとね、「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶべからず」という芭蕉の言葉が澄雄は好きだったらしい。
華女 とても難しい言葉ね。「虚に居て実をおこなふべし」とは、どんなことを意味してるの。
句郎 蜜柑が一つ、二つとある。このような一や二という数字を自然数というんだ。しかし0やマイナス1という数字は具体的には存在してないでしょ、ただ抽象的に存在しているだけなんだ。抽象的存在の数字がなかったら、引き算や割り算が出来なくなってしまうじゃない。抽象的存在の数字の存在が物の長さを計り、物を組み立てる時には絶対必要なんだ。
華女 その抽象的にしか存在しないものが俳句作りにも必要だということ。
句郎 そうなんだ。「虚」とは俳句作りの理念や想い、表現したいと思うものなどは抽象的存在でしょ。この抽象的存在物に具体性を付与することが表現するということなんじゃないかな。このことを「虚に居て実をおこなふべし」と芭蕉は言ったのだと思うんだ。
華女 ごくごく当たり前のことね。