醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  186号   聖海(白井一道)  

2016-01-21 13:16:08 | 随筆・小説

  芭蕉はモテる男だった

句郎 芭蕉はもてる男だったみたい。
華女 イケメンだったの。
句郎 そう、当時はイケメンだったんじゃないかな。
華女 寿貞という奥さんらしき女性がいたんでしょ。
句郎 そうらしい。「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」と寿貞への悼句を詠んでいるからね。
華女 寿貞さんは芭蕉の前では自分を「数ならぬ身」と卑下していたのね。
句郎 自分は一度もあなたを「数ならぬ身」だと思ったことはありませんよ。今、こうして我々の故郷伊賀上野の盂蘭盆会であ
なたの冥福を祈っているのです。
華女 芭蕉は優しい人だったのね。
句郎 芭蕉は同郷の女性、寿貞と深川の芭蕉庵で共に生活していた。その芭蕉庵で寿貞は元禄七年(1694)六月二日、亡くなっている。芭蕉は六月八日、門弟の去来の庵、京都・嵯峨落柿舎で寿貞、死の知らせを受け取った。芭蕉は寿貞の死に目に会っていない。
華女 当時、一週間ぐらいで江戸からの手紙を受け取ることができたのね。意外に速かったね。手紙で寿貞が亡くなったのを知り、芭蕉は寿貞の悼句を故郷の盂蘭盆会で詠んだのね。
句郎 芭蕉は寿貞の甥、村
松猪兵衛宛に書いた手紙が残っているんだ。
華女 三百年も前の手紙が残っているの。芭蕉のような有名人になると凄いのね。その手紙でどんなことを芭蕉は書いているのかしら。
句郎 「寿貞無仕合もの、まさ・おふう同じく不仕合、とかく申しつくしがたく候。何事も何事も夢まぼろしの世界、一言りくつはこれなく候。ともかくもよきように御はからひなさるべく候、うろたえもうすべく候間、特に気をしづめさせ、取り乱しもうさざるよう御しめしなさるべく候」
華女 「まさ・おふう」とは誰なの。
句郎 寿貞さんの娘だったようだ。
華女 芭蕉の娘だったの。
句郎 芭蕉の子ではないというのが有力な意見のようだ。ただもしかしたら芭蕉の甥の桃印の子ではないかという意見がある。
華女 だったら、芭蕉の血筋につながる子なのかもしれないのね。
句郎 寿貞もその子供たちも本当に不仕合せでものなのでよろしくお願いしたいという親心のような気持ちでこの手紙を芭蕉は書いている。
華女 芭蕉は現代人と同じような心性を持った人だったのね。
句郎 そうなんだ。江戸時代は身分制社会だったにもかかわらず、女性を卑賤視する心性が芭蕉にはなかったみたいなんだ。
華女 女性に対する差別意識がなかったということなの。
句郎 芭蕉は農民身分の出身だけれども武士身分の者に卑屈になるような所がなかったみたいなんだ。
華女 だからなのね。芭蕉はモテたんじゃないかと、いうわけね。
句郎 恋愛というのは対等な男女関係の中から生まれてくるものなんじゃないかと思うんだ。
華女 そうね。身分の高い女は身分の低い男に恋心を持つことなんて少ないと思うわ。
句郎 そうでしょ。身分差別が当たり前の社会にあって、性的対象としての女性ではなく、心から女性を好きなる人だった。