「道のべの木槿は馬にくわれけり」芭蕉 貞享元年(1684)
句郎 「道のべの木(む)槿(くげ)は馬にくはれけり」。芭蕉のこの句は「山路来て何やらゆかしすみれ草」と並んで広く知られている句だよね。
華女 そうね。芥川がいうところの「調べ」がある句ね。だから覚えやすいのでしよう。きっと。
句郎 「古池や蛙飛びこむ水のおと」と同じように芭蕉をして芭蕉たらしめている句じゃないかな。
華女 蕉風の句ということ。
句郎 「古池」の句は貞享3年(1686)に詠まれた句だから、「道のべ」の句は貞享元年(1684)に詠まれているので、「古池」の句より二年前の句になる。「山路来て」の句は貞享二年に詠まれている。「古池」の句の一年前の句だ。
華女 確かに、この三つの句に共通するものは静かさかな。この句を前にすると読者の心を静かにするような働きがあると思うわ。「道のべ」の句と「山路来て」の句より「古池」の句の方が静かさが深いように感じるわ。
句郎 そうだね。この深い静かさのようなものが蕉風の句の特徴なのかな。
華女 蕉風開眼の句が「古池」の句だと言われているの。
句郎 そのようだよ。機知に富んだ笑いの談林俳諧から抜け出た句を蕉風の俳諧というらしいんだけれどね。この三つの句には機知はないものね。
華女 侘び・寂びの句ね。
句郎 芭蕉は『野ざらし紀行』を通して談林の俳諧から抜け出し、芭蕉独自の俳諧を創造していったのかな。
華女 旅を通して芭蕉は新しい文芸作品を創造したわけね。
句郎 そうなんじゃないかな。後の芭蕉の俳諧理念のようなものが萌芽として生まれてきているんじゃないかと思う。
華女 芭蕉の俳諧理念とは何なの。
句郎 それはまず、今、華女さんが言った「侘び・寂び」と「しほり」。最後に「かるみ」ということを言うんだ。
華女 「しほり」とは何。
句郎 芭蕉の弟子に森川許六という人がいた。その人の句に「十(とう)団子(だご)も小粒になりぬ秋の風」がある。この句に「しほり」ありと芭蕉は言ったようだ。
華女 この句のどこに「しほり」があるのか、分からないわ。
句郎 東海道の宇津谷峠という所にあった茶店に「十団子」という名の知れた団子があった。秋の風が吹き始めると街道を行く旅人も疎らになり、団子も小粒になった。ここに無常の「あわれ」が形象化されているということらしいよ。
華女 「もののあわれ」が形象化されたものが「しほり」なの。
句郎 そのようだよ。
華女 「かるみ」とは何。
句郎 仏教でこの世は苦だというじゃない。生老病死、四苦八苦の世界だと、この苦の世の中を嘆くのではなく、笑って受け入れていこう。この世は良いものだ。たまにはいいことだってあるじゃないか。人を乗せ、苦しい道中をしてきたが、一休みさせてくれたところに柔らかな木槿が咲いている。美味しそうに馬がむしゃむしゃと食べた。こんな風景に私の心は癒されるのだ。こんなことを表現することが「かるみ」の形象化だと思う。「かるみ」は『奥のほそみち』のなかで生まれてきた美意識のようだけれども、『野ざらし紀行』の中に蕉風開眼の萌芽があると思うんだ。「道のべ」の句には「かるみ」の萌芽が表現されている。