醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  182号   聖海(白井一道)  

2016-01-17 16:48:28 | 随筆・小説
 
  「辛崎の松は花より朧にて」この芭蕉の句、どこがいいの

句郎 「辛崎(からさき)の松は花より朧にて」、『野ざらし紀行』にある句があるでしょ。つまらない句だと思わない?
華女 そうね。芭蕉が何歳の時の句なの。
句郎 貞享二年(1685)、42歳のときに詠んだ句だね。
華女 そろそろ芭蕉の本領が発揮されてくる頃ね。
句郎 そうだね。芭蕉は51歳で亡くなるからね。
華女 旅の途上、どこで詠んだ句なの。
句郎 琵琶湖畔の大津、本福寺の千那亭において俳諧興行行われ、その席で詠んだ発句だったんじゃないかな。「湖水の眺望」と『野ざらし紀行』にあるから、亭主への挨拶句かもしれないな。
華女 「唐崎の松」が朧に見えて結構な庵に招かれ有難うございます。このような挨拶をした句なの。
句郎 大津、千那亭から本当に唐崎神社の松が見えたんだろうね。
華女 「唐崎の松」というのは、広重の近江八景の一つ「唐崎の夜雨」で有名な松なんでしよう。
句郎 もちろん、広重は芭蕉より後の時代の人だから芭蕉が広重の浮世絵を見ていることはないと思うけれど。
華女 芭蕉が生きていた時代にはもう「唐崎の松」は有名な大木として知られていたんでしょ。
句郎 そうなんだろうね。有名な大木だったから芭蕉は句に詠んだんだろうね。
華女 枝が四方八方に広がった大木なんでしよう。
句郎 そうらしいね。
華女 琵琶湖畔の大津では、桜の花より「辛崎の松」の方を春になると眺めるのが楽しみなんでしようねと、いうような句なのかしらね。
句郎 まさに挨拶だね。「唐崎の松」を愛でる大津の人々に対する挨拶だね。
華女 「朧にて」という下五の言葉にそんな意味が込められているのかなと思っただけなんだけど。
句郎 「にて」で留める句なんて珍しいものね。
華女 「朧かな」じゃ、「唐崎神社の松」を愛で誇る大津の人々の気持ちが表現できないように感じるわ。
句郎 『去来抄』に「にて留の難有」という意見に対して芭蕉は「我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみと也」と言ったと書いてあるんだ。
華女 「朧にて」の方が趣が深いと感じたまでだと、いうことでしょ。
句郎 芭蕉の感覚は人の気持ちを快くする言葉を見つけるんだろうな。
華女 俳諧師はそうでなくちゃ生きていけなかったんじゃないの。
句郎 大津に住んだことがない我々には「辛崎の」の句が分からないのかもしれないな。
華女 きっと今でも大津の人々にとって、この芭蕉の句は、すっと心に渋滞することなく入ってくるくなのかもしれないわ。
句郎 そうかもしれないね。この句の発案は「辛崎の松は小町が身の朧」だったらしい。中国では「西湖と西施」。芭蕉にあっては「琵琶湖と小町」を連想した。千那亭から朧に見える唐崎の松が小野小町のように見えると、詠んだけれども、これでは大津の人々への挨拶にならないと気が付き「辛崎の松は花より朧にて」と推敲したのかもしれない。
華女 芭蕉という人は、本当に気のまわる人だったのね。
句郎 だから弟子が多かった。