芭蕉の俳句の特色とは
句郎 「春雨」を芭蕉は、元禄二年に「春雨や蓬(よもぎ)をのばす草の道」また、元禄四年には「不性(ぶしょうさ)さやかき起されし春の雨」と詠んでいる。この二句を芥川龍之介は取り上げ、「僕はこの芭蕉の二句の中に百年の春雨を感じている」と絶賛している。
華女 「百年の春雨」とはどんなことを言っているのかしら。
句郎 映画か、小説の題名になりそうな言葉だね。
華女 そうね。
句郎 春雨とはこういうものだ。春雨が表現されているということを「百年の春雨」と文学的に表現したんじゃないかな。
華女 確かに「草の道」の「蓬を」「春雨」は「のばす」わね。
句郎 調べがいい。「気品の高いのはいうにまたぬ」と芥川は言っている。
華女 えらく褒めているのね。子規は芭蕉を貶(けな)していたんでしょ。
句郎 更に「不性さや」に起こり、「かき起されし」とたゆたった「調べ」にも柔(じゅう)媚(び)に近い懶(ものう)さを表している。このように芥川は芭蕉の句を評している。
華女 春雨の艶(なま)めかしさが表現されているということかしらね。
句郎 「芭蕉の俳諧の特色の一つは目に訴える美しさと耳に訴える美しさとの微妙に融けあった美しさである」と芥川は言っているよ。
華女 口調がいいということなんでしょ。そうね。「秋深き隣は何をする人ぞ」。この句、芭蕉の句なんでしょ。
句郎 今では、諺みたいに使われているものね。
華女 口誦になっているわね。そうなんじゃない。
句郎 そうだね。「おもしろうとやがてかなしき鵜舟かな」なんていう句も広く口ずさまれているね。芥川は「秋ふかき」の句を「こういう荘重の調べを捉え得たものは茫々たる三百年間にたった芭蕉一人である」と言っている。
華女 芥川は「芭蕉神社」の神主さんね。
句郎 芥川は蕪村の句との比較をしている。
華女 蕪村と比較し、どんなことを言っているの。
句郎 「春雨やものかたりゆく蓑と笠」、「春雨や暮なんとしてけふもあり」など、蕪村が春雨を詠んだ句を取り上げ、「大和絵らしい美しさを如何にものびのびと表している。しかし耳に訴えてみると、どうもさほどのびのびしない」。蕪村の句は読んで絵を心に描くことはできるが、口ずさんでも口誦にはならないということのようだ。
華女 蕪村の句は目には訴えるけれども耳には訴えないということね。
句郎 芭蕉の句は、目にも、耳にも訴える。絵画的であると同時に音楽的でもあるのが芭蕉の句であって、蕪村の句は絵画的ではあっても音楽的ではないということのようだね。
華女 分かるような気がするわ。「五月雨をあつめて早し最上川」芭蕉と「「さみだれや大河を前に家二軒」蕪村を比べてみると確かに芭蕉の句には調べがあるけれども蕪村の句には芭蕉の句にある調べは無いわね。しかし蕪村の句には絵があるわ。まんまんと水をたたえた大河の前の家が瞼に浮かぶわ。