醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  196号  聖海(白井一道)

2016-01-31 15:33:46 | 随筆・小説

  芭蕉は日本の民衆文化の創造者だ

侘助 お前みたいなものは「くたばってしめえ」と父親に怒鳴られた。、俺のペン・ネームはこの言葉から付けたと言われている作家は誰か、ノミちゃん、知っているかい。
呑助 もちろん、知っていますよ。「二葉亭四迷」でしょ。誰でも知っていると思いますよ。
侘助 そうだよね。その二葉亭四迷は日本の文学史上でどんなことをしたのかも、もちろん知っているよね。
呑助 言文一致を唱え、江戸時代から続く文語文を口語体の文章に変えたと云われているんですよね。
侘助 そうそう。そうなんだよね。しかし私はね、芭蕉について調べ始めてからね、芭蕉の俳句を読んで、芭蕉が口語の文を使い始めたのではないかと、思っていたんだ。
呑助 なるほど、「閑さや岩にしみいる蝉の声」ですね。どこにも江戸時代の古びた言葉はありませんね。
侘助 そうでしょ。「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店」。芭蕉四九歳の時の句だよ。魚屋の店先に並んだ塩鯛に冬を表現している。現代の日本人が理解するのを妨げる言葉が何もないよ。これぞ、まさしく言文一致の句じゃないかな。
呑助 でも、学校じゃ、二葉亭四迷が日本近代文学の始まりだと教えられたように記憶していますね。それは言文一致だと。
侘助 そうだよね。そのように今でも学校では教えているんじゃないかと思うよ。イギリスではシェークスピアが当時のイギリス人がしゃべっていた言葉で芝居を書いたとか、イタリアでは、ダンテが当時の民衆がしゃべっていたトスカナ語で『神曲』を書いた。これがヨーロッパのルネサンスだと教えているよね。
呑助 そんなことを中学でも、高校でも教わったように思うな。
侘助 文化はすべて貴族と僧侶が独占していた。なぜなら当時の民衆はラテン語を全然読むことも書くこともしゃべる事もできなかったからだ。それを民衆が聞いて分かる言葉で文学を表現した。民衆の文化を創造したのがルネサンスだった。
呑助 ルネサンスとは民衆の文化が生まれたということですか。
侘助 そうだと思うんだ。日本でもね。芭蕉が生きた時代、文化を独占していたのは武士や僧侶たちだったんだ。なぜなら彼らは漢文を読み、書くことができたからなんだ。元禄時代の町人や農民は漢文など読める人はほとんどいなかった。もちろん漢詩など詠むことのできる人などいなかった。
呑助 中世ヨーロッパのラテン語に相当する言葉が日本では漢文ですか。
侘助 そうなんだ。近代哲学の祖と言われているデカルトはラテン語ではなく、フランス語で哲学書を書いた最初の人だと云われているようだよ。
呑助 元禄時代に生きた芭蕉は日本のシェークスピアということになるんですか。
侘助 そう言っている人がいることを知ったんだ。
呑助 へえー、それは誰ですか。
侘助 長谷川櫂という人なんだ。長谷川氏は『芭蕉の風雅』という著書の中で「イギリスはシェークスピアの国といわれる。それにならえば、日本は芭蕉の国というしかないだろう」とね。シェークスピアが近代イギリスの民衆文化を創造したように芭蕉は近代日本の民衆文化を創造したといえる。そのように私は理解した。