醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 185号  聖海(白井一道) 

2016-01-20 12:49:29 | 随筆・小説

  芭蕉は推敲する人だった

句郎 芭蕉は句を推敲する人だったようだね。
華女 そうみたいね。三百年前の推敲の様子が分かるという事が凄いと思うわ。有名な「閑さや岩にしみいる蟬の聲」になるまでいろいろと推敲しているんでしょ。
句郎 うん、「山寺や石(いわ)にしみつく蝉の聲」、「さびしさや岩にしみ込(こむ)蟬のこゑ」、「淋しさの岩にしみ込せみの聲」。このように三つも作って、最終的に「閑さや岩にしみいる蟬の聲」になったみたいだからね。
華女 「山寺や」が発案の句だったのかしら。
句郎 そうみたいだよ。
華女 たしかに「山寺や」では全然ダメだと思うわ。
句郎 そうだね。われわれでも詠めそうな句かな。
華女 そうね。上五に「閑さや」ともってきたから凄いのよね。
句郎 同感だな。『野ざらし紀行』に載っている句でも推敲を重ねている句があるんだ。「道のべの木槿は馬にくわれけり」。この句の後に載っている句が「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」だ。
華女 どこで詠んだ句なの。
句郎 東海道の名所「小夜の中山」でこの句を芭蕉は詠んでいる。
華女 「小夜の中山」は歌枕なんでしょ。
句郎 西行は「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけりさよの中山」と詠んでいる。
華女 「年たけて」とは年とってということでいいのかしら。
句郎 西行はこの歌を詠んだとき、六九歳だったようだ。
華女 西行は鎌倉時代に生きた人なんでしょ。
句郎 平安時代末期から鎌倉時代の初期に生きた歌人だね。
華女 当時にあっては、ものすごい老人よね。
句郎 だから感慨が深かったんじゃないかな。こんな歳になってまたこの峠を越えることがあろうとは思ってもみなかったことだ。こうしてまたこの峠が越せるなんて、命のあってのことだよ。小夜の中山よ。
華女 ここで芭蕉は「「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」の句を詠んだ。
句郎 朝早く、夢見心地のまま馬に乗って、はっと気が付いてみたら小夜の中山じゃないか。ほの白い有明の月が遠山の端にかかり、山の麓の里では茶を沸かす煙が立ち上っているではないか。
華女 「道のべの木槿は馬にくわれけり」の句と比べてみて、蕉風の句とはいえないような気がするわ。
句郎 読んですっと読者に入ってこないものね。
華女 そうよ。何を詠んでいるのか。いまいち伝わってこないように思うわ。
句郎 そうだね。だからかもしれない。芭蕉は推敲しているんだ。「馬上落ンとして残夢残月茶の烟」が発案だったようだ。
華女 「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」より「馬上落ンとして残夢残月茶の烟」の方が調べがあるように感じるわ。
句郎 確かに「残夢残月茶の烟」は口調がいいね。口調が良すぎて口調だけの談林の俳諧になってしまうかな。
華女 だからかしら、芭蕉は推敲したわけね。
句郎 そうなんじゃないかな。西行を偲ぶ句にしたいと芭蕉は思ったんじゃないかな。その結果、里人の生活を詠った。しかし成功しているのか、どうかな。