芭蕉の近代性
句郎 芭蕉は身分制社会に生きた俳諧師だった。にもかかわらず芭蕉には近代人の心が芽生えていた。だから「山路きて何やらゆかしすみれ草」のような句を詠むことができたんじゃないかと思っているんだ。
華女 どうしてそんなことが言えるのかしら。
句郎 芭蕉は旅をする人だったからね。
華女 旅をする人には近代人の心が宿るとでもいうのかしら?
句郎 芭蕉は旅の宿で俳諧の連歌の催しをした。この俳諧が芭蕉の心に近代人の心をつくったんだ。
華女 なぜ、俳諧は近代人の心を生んだの? おかしいわ。
句郎 俳諧は遊びだったからね。遊びだったから芭蕉の心に近代人の心が宿り始めんじゃないかと考えているんだ。
華女 遊びに封建制とか、身分制とか、近代性とかが関係しているの。
句郎 関係していると思っている。遊びを楽しむにはルールが必要でしょ。将棋という遊びを楽しむにはルールを守らなければ楽しめないでしょ。武士と町人が将棋をする。武士は二歩をしてもいい。町人はダメ、このようなことをしたらゲームが成り立たないし、面白くない。遊びに参加する人は武士も町人も農民も皆同じ規則を守る。規則の下では武士も町人も農民も皆平等なんだ。
華女 俳諧にもルールがあったのよね。
句郎 そう、ルールがあった。発句を詠む人がいた。
華女 俳諧の発句が俳句になっていくのよね。
句郎 屋敷に招かれた客が亭主に季節の言葉を入れ挨拶する句を詠んだものが発句だ。
華女 五七五で詠むのよね。
句郎 そう、亭主は客の句に応えて同じ季節の句を詠む。その句が脇句かな。
華女 その時、俳諧に参加する人たちは皆同じ座敷に集っているのね。
句郎 そうなんだよね。だから武士の人も町人の人も農民も皆同じ座敷に身近に座って俳諧を詠む。これは遊びだから許されることだったんじゃないかと思うんだ。
華女 確かに武士と町人が同じ平面の座敷に座るということは公の席ではありえなかったことでしょうね。
句郎 遊びの場は一種のアジールだった。身分差別から解放された空間だった。俳諧の場にあっては、身分差別がなかった。追従もなければ阿りもなかった。
華女 アジールって、駆け込み寺のことかしら。
句郎 権力の支配が及ばなかった所かな。教会とか、神社、寺院のような処かな。
華女 遊郭にもあったんじゃないの。
句郎 そうかもしれない。遊びの場には身分の違いを持ち込まなかった。遊びを楽しむためだったと思う。
華女 俳諧の世界はアジールだったのね。
句郎 俳諧の遊びはアジールだった。だからそこには身分差別がなかった。元禄時代になると戦国期と違って身分差別が強化されていった時代だったが俳諧の世界には身分差別が持ち込まれることがなかった。武士の言葉から解放された平民の言葉が通用する世界だった。だから三百年後の中学生が読んでも理解できる日本語で俳句を詠んだ。「山路きて何やらゆかしすみれ草」のような句をね。