俳句は第二芸術 ?
華女(はなこ)さん、桑原武夫という人知っている。
知らないわ。何をした人なの。
ぼくが初めて知ったのは、高校生の頃、スタンダールの「赤と黒」を読んだときだ。その本の翻訳者が桑原武夫だった。
翻訳者なの。
もちろん翻訳者でもあるけれども京都大学人文科学研究所の所長さんとして日本の言論界に大きな影響を与えた人なんだ。
その桑原武夫がどうかしたの。
うん、この間、句会が終わってから宗匠さんと話していて桑原武夫のことを思い出したんだ。
何か、桑原武夫が俳句について言っていたの。
桑原武夫は昭和二十年代の初めころ、岩波が出している雑誌「世界」に俳句を貶めるような論文を書いたんだ。もう六十年も昔の話だけれどもね。
そんな昔の話、どうでもいいじゃないの。俳句は作る楽しみを味わうことができて、読む楽しみを味わうことができればそれでいいじゃないの。それ以上のものじゃないわ。
確かに、句労もそう思うけどね。
俳句を貶めるとは、どんな事を桑原武夫は言ったの。
文学には一級品のものと二級品のものがあるというようなことを言ったたんだ。
なるほどね。それで俳句は二級品の文学だとでも言ったわけね。
そうなんだ。「赤と黒」のような小説は一級品の文学だけれども俳句は「第二芸術」だと言ったんだ。
どうして桑原武夫はそんなことを言ったのかしら。何か、俳句について面白くないと感じることがあったのかしらね。
当時、俳句界の頂点に君臨していた高浜虚子のあり方について批判したいと思うことがあったのじゃないかと思うんだ。
それは高浜虚子が俳句を「お俳句」、習い事、お稽古ごとにしていることに文学の堕落を感じたからではないかと思うんだけどね。
そんなことを言っても俳句は習わなくちゃ、上達しないじゃないの。絵だって、歌うのだって、習って初めて人前に出られるようになるのじゃないの。
確かにそうだよね。問題はそこにあると思う。俳句が商売になっているような状況があったのかもしれない。俳句を金儲けの手段にしている。これは文学を堕落させると警告したのが「第二芸術論」だったのかもしれない。
生け花・お茶・踊り・ピアノ。みんなお稽古ごとね。音楽大学のピアノ科を出ても、ピアノ奏者になれる人なんて極々少数でしょうよ。句労君が言っていたじゃない。東京芸大の入学式に学長が三・四年に一人作家がでたら万々歳だと言ったと言うじゃない。
日本画科に入ったA君の話かな。
もう、昔の話ね。
習うにはお金がかかるよね。だからお金を取ることが当たり前になる。だからお金儲けをしようとする商売人が出てくる。当然といえば当然の話だね。
それで桑原武夫は高浜虚子を俳句の商売人だと断罪したの。
そうじゃないんだ。俳句という文芸そのものに一級の芸術になり得ない制約があるのではないかと、指摘したんだ。
ふぅーん。そんなこと、どうでもいいことよ。