「謂(いひ)応せて何か有」る句とは
句郎 巴風の「下臥(したぶし)につかみ分ばやいとざくら」の発句を其角が『いつを昔』アンソロジーに入れたのはいかなる考えなのかね。このような問いを芭蕉は去来に道を歩きながら問うたことがあった。
華女 「下臥(したぶし)につかみ分ばやいとざくら」。この句の意味は?
句郎 いとざくらの下に臥せっていると枝が垂れ下がってきて手でつかんで分けなければならなくなってしままうというような意味だ。
華女 去来は何と答えたの?
句郎 いい句だとは言えませんねと、答えた。
華女 芭蕉は去来に何と?
句郎 「謂(いひ)応せて何か有」る句がいい。このように答えた。俳諧の発句になる句は「謂(いひ)応せて何か有」る句でなければいけない。「謂(いひ)応せて何」もない句は発句にはならないということを去来は学んだと述べている。
華女 「謂(いひ)応せて何か有」る句とは、どのような句を言うのかしら。
句郎 例えば「あかあかと日はつれなくも秋の風」
華女 「おくのほそ道」金沢から小松に向かう途中で詠まれた句だと言われている句ね。
句郎 残暑を詠んだ句かな。
華女 『古今集』にある藤原敏行の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を踏まえた句ね。
句郎 残暑というのは人間の社会にもあるんじゃないのかな。盛りの過ぎた人がいつまでも盛りであるかのように振る舞っている残暑のような人がいるんじゃないのかな。
華女 もう世間には冷たい風が吹いているというのにね。それに気づかない人はいるわね。
句郎 「謂(いひ)応せて何か有」るとは、自然を詠んだものが人間社会の比喩になっているということなのかな。
華女 正岡子規はそんなことを言ってはいないみたいよ。『芭蕉雑談』の中で「あかあかと日はつれなくも秋の風」や「物いへば唇寒し秋の風」、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの句をただ「単に古人の所説にすがり、この句は門弟某、宗匠某の推奨したるなり」と聞くことによって有難がっているに過ぎないというようなことを述べているわ。
句郎 まだ26歳に過ぎなかった子規には芭蕉の句の良さが分からなかったんじゃないのかな。それとも「謂(いひ)応せて何か有」るのが邪魔になったのかもしれないな。
華女 写生を唱えた子規には芭蕉の句の良さが分からなったということなの。
句郎 写生が近代芸術の基本だということを唱えた結果、芭蕉の句の中に「夜ル竊(ひそか)ニ虫は月下の栗を穿(うが)ツ」のようなリアルな写生に基づく句があることに気が付かなかったんじゃないのかな。
華女 芭蕉の句も写生に基づいているんでしょ。
句郎 写生ということとリアルということは違うからね。芭蕉の句はリアリズムだと僕は思っているんだ。
華女 写生とリアリズムとは何が違うの?
句郎 見えたものを写すのが写生だとしたらリアリズムは見えたものを自分の主観の中に落とし込み、見えたものの中の真実を具体的表現したものがリアリズムかな。