醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  324号  白井一道

2017-02-24 11:12:32 | 随筆・小説

  酒飲みは何かにつけて理屈(わけ)をいい  詠み人知らず

 酒を飲むには理由が必要のようだ。理由無く酒を飲むことができない。とかく憂き世は住みづらい。憂き世だからこそ浮き世の夢でも見てみようとする酒飲みの気持ちを分かってくれる人が少なくなった、。
 「五割の金を借りても朝酒を飲め」と昔の酒飲みは言ったという。仲間と一泊の旅に行き、朝湯に入り、湯上がりに飲んだ酒の旨さは格別だった。小原庄助さんも朝寝、朝酒、朝湯が大好きだったという。職員旅行の楽しみは年に一回、小原庄助になることだったのかもしれない。
 今頃、職場じゃ、しかめっ面が働いているよ、言い合っては笑いあった。それは今でも同じかもしれない。しかし、今の若い人はお酒を飲まなくなってきているようだ。「酒なくて何のおのれが桜かな」とは、親爺世代の文化なのかもしれない。若かったころ、仕事が終わるとダルマストーブを囲み、酒を飲んだものだった。それがいつしか職員室では酒を飲むことが窮屈になった。仕事が終わっておしゃべりする人もいなくなった。仕事が終わり、気がついてみると誰もいないということが普通のこととなった。職員レクレーションの後、職場で酒を楽しむことが恒例となっていたことが飲酒は厳禁だという通達が来た。
 教員が学校内で酒を飲むことが禁止された。県民の信頼を失わないためにそのような通達があった。酒を飲む行為は県民の信頼を失う事のようだ。だから昔かったようです。江戸の町人ら「酒飲みは何かにつけて理屈(わけ)をいい」というようになったのかもしれない。
 もう勘弁してくださいよ。などといいながらお酒を注がれるとニコニコしながら何杯でも飲む人がいた。「いいや三杯一三杯」際限がなかった。そのような飲み助がいたのも事実のようだ。
「下戸の建てたる蔵はない、御神酒あがらぬ神はなし」などと言っては、酒を勧め、勧められては酒を楽しんだ。そんなことは昔のことになったようだ。忘年会といっても酌をすることは少なくなった。隣の人が気を遣ってくれることがなくなったのである。だから独酌である。宴会であっても独酌が普通のことになった。お酒の飲めない人に無理強いして飲ませるようなこともなくなった。今、飲酒の文化が変わろうとしている。この新しい飲酒文化に対応する新しい酒が生まれようとしているのかもしれない。
 「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」 若山牧水は独酌の楽しみを詠っている。「白玉」とは酒の異名だそうだ。酒が歯に染みる。牧水は虫歯だったのではなく、酒の旨さが心に染みると詠ったのではないかと思う。心に染みるということを歯に染みると表現したのではないかと思う。一人静かに酒を酌み、明月を迎え、月と月に照らされた自分の影と三人で酒を楽しんだ古代中国の酒仙李白のように今、独酌の文化が築かれつつあるように思う。その独酌の文化に対応する酒が特定名称酒、吟醸の酒や無濾過の酒、火入れをしない原酒なのではないか思う。私たちは今新しい文化を築く営みをしている。そう私は思っています。