醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1183号   白井一道

2019-09-11 11:11:25 | 随筆・小説



    「徒然草第十一段」を読む



 高校一年生の古文の教科書に載せてある箇所が「徒然草第十一段」であったような記憶がうっすらとある。半世紀ぶりにこの段を読んでみることにする。生れて初めて古文に出会った文章だ。
 「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚(あかだな)に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし」。
 神無月(かみなづき)とは、陰暦の十月のことだと古語辞典にある。当時の支配階級の人々が十月のことを神無月と呼んでいたのであろう。当時の貴族の人々は日本古来の神々を信仰していた。兼好法師もまた日本古来の神々を信仰していた。日本全国から各地の神々が出雲大社に集まるため、諸国に神がいなくなる月の意からという説は『奥儀抄』にあると『ベネッセ全訳古語辞典』にある。人間の意志ではどうにもならない月日や気象、月の満ち欠けは神の領域のことだと考えていたのであろう。
 神無月のころ、兼好法師は栗栖野(京都山科の辺り)という所を過ぎて、ある山里を尋ねることがあった。どこまでも続く苔の生えた細い道を歩いて行くと、心細そうに暮らしている庵があった。飲料水を通す懸樋(かけひ)には木の葉がたまり、そこを流れてくる雫では、音をたてるものとてない。水や花などを仏前に供える棚、閼伽棚(あかだな)に菊や紅葉が折り重なり散らかっている。これはさすがに住む人がいればこそなのであろう。
 「かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子(かうじ)の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか」。
 このような状況にあっても人は暮らしていけるのだなぁーと感心していると、向こうの庭にある大きな蜜柑の木の枝にはたわわに実がなっている。周りをかっちり囲ってあるのに気が付くと少し気持ちが覚めてしまった。この蜜柑の木がなければよいのになぁー。

 営業部長は関東地方の各営業所の所長を集めた集会が終わった後、近所の赤ちょうちんに部下を集め、自慢話をひとしきりした。皆黙って話を聞いていた。中には「さすが凄いですね」なとど追従する者がいた。部長は猪首の上の赤ら顔を勝ち誇ったようにがなり立てていた。部長は出身大学の頃の話まで始めた。語学が得意だったという話だ。もうすでに何回か、聞かされている話だった。しかし部下たちは初めて聞くような顔をして聞いていた。
 頃合いを見て課長が「今日はこのへんで」と発言した。さらに「一人、千円出してくれ」と課長は発言した。参加者は皆、無表情のまま千円を課長に差し出した。課長は参加者から千円を受け取ると自分の財布を開き、レジに向かった。
 このような飲み会に初めて参加した新任者は部長が奢ってくれるものだとばかり思っていたのがあてがはずれがっかりしたという話を後で聞いた。