徒然草二六段 『風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に』
「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ」。
風が吹き散らす前に早くも散ってしまう花のように移り変わってしまう人の心に馴れてしまった年月のことを思うと、心に沁み入るように聞いた一言、一言すべてが忘れられようもないが、私から離れて行った。あの人との二人の世界がなくなることは亡き人との別れよりも強く悲しいもののようだ。
「されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
さびしきけしき、さる事侍りけん」。
だから、白い糸が何かの色に染まっていくことを哀しみ、道路が岐路で別れてしまうことを嘆く人がいるという。堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
この歌の哀しみ、しみじみと感じ入る。
『徒然草第二六段』を初めて読んだ時、これは男の話だと理解した。男女の恋の話ではない。なぜなら兼好法師は男だからだ。男が女のような話を書くはずがないと思っていたからである。しかし、永井路子の『徒然草』を読み、永井路子氏は男女関係の話だと解釈して現代語訳をしていることを知った。
『徒然草第二六段』は男の話として理解した方がより深く社会を理解することができるように思う。この話は上司と部下の話として理解すると現代社会になる。部下は上司の関心を買おうと必死である。サラリーマン社会に生きる男たちは皆出世を願っている。部下は上司に認められようと日々励んでいる。
「いい仕事してくれたね」。この上司の言葉が忘れられない部下がいる。一方、上司の気持ちは日々移ろっていく。上司はまた別の部下に対して「よく気が付いてくれたな。君のお陰で助かったよ」などと言う。それを聞いた部下は上司の気持ちが移り変わっていくことを心配する。上司に声をかけられている同僚に嫉妬する。
サラリーマン社会に生きる男にとって部下は男女関係の女のような気持ちにさせられている。哀しい現実のようだ。
ポストを得ることは激しい競争がある。有能な人がその人に適したポストを得るとは限らない。このような競争が企業を発展させるとは限らない。場合によってはこのようなポスト争いが企業の経済成長を疎外している状況もあるようだ。