醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1347号   白井一道

2020-03-07 13:29:01 | 随筆・小説



    徒然草171段 貝を覆ふ人の



原文
 貝を覆(おほ)ふ人の、我が前なるをば措(お)きて、余所(よそ)を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に石を立てて弾くに、向ひなる石を目守(まぼ)りて弾くは、当らず、我が手許をよく見て、こゝなる聖目(ひじりめ)を直(すぐ)に弾けば、立てたる石、必ず当る。
 万の事、外に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(こうじ)を行(ぎやう)じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。内を慎まず、軽く、ほしきまゝにして、濫(みだ)りなれば、遠き国必ず叛(そむ)く時、初めて謀(はかりごと)を求む。「風に当り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。目の前なる人の愁を止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。禹(う)の行きて三苗(さんべい)を征せしも、師(いくさ)を班(かへ)して徳を敷くには及かざりき。

現代語訳
 貝遊びをする人が、自分の前の貝に注意を払わず、他所を見渡し、他人(ひと)の袖のかげや膝の下にまで目を配る間に、自分の前にある貝を覆われてしまう。よく貝を覆う人は、余所まで無理して取ろうとはせず、近い所の貝ばかり覆うようだけれども、結果的には多く覆っている。おはじき遊びで碁盤の隅に石を置き弾く時に、向こう側にある石を目指して弾くと当たらず、自分の手元をよく見て、目的を定めて弾けば目指す石に必ず当たる。
 万事、外に目的を求めてはならない。ただ、自分の側を正しくすることだ。宋の名臣、清献公の言葉に「好事(こうじ)を行(ぎやう)じて、前程を問ふことなかれ」がある。この意味は今良い行いをしていれば、(結果は付いてくるのだから)結果を問うようなことはしてはならないと言う事。世の中を安定させる政治もこのようなものだ。内政を慎むことをせず、軽い気持ちで、ほしいまま、乱れたことをするなら、地方で必ず中央政府に背く時には反乱を求める。「風に当り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書にあるとおりだ。好んで冷たい風に吹かれ、湿った所に寝ているなら自ら病におかされ、神様に祈願するのは愚かな人のすることだ。目の前で愁う人を助け、恵みを施し、政治を正常に戻せばその影響は遠く地方にまで至ることになろう。中国古代の聖王、禹(う)が苗族を征伐し、暴力による征圧でなく、徳治を行った結果だ。

 我が闘病記2  白井一道
 成人しての入院は二度目だ。一度目は定年前のことだ。50代後半だった。十日ほど、入院した経験がある。その時は大腸内の憩室から出血して、貧血になり、入院となった。一週間一切飲み、食わずの生活だった。一日24時間点滴をしていた。夜間寝ていても点滴し、続けた。点滴が長くなると針の刺さっているところが痛み出したす。耐えられなくなると看護婦さんに訴え、腕を変え、刺し換えていただいた。今回の点滴は昼間のみだったのが助かった。今回は一日24時間、心電図を取り続けられた。夜中に電線が外れると看護師さんが来て、直してくれる。その際、看護師さんによって対応が違う。Nさんは優しく、眠りをできるだけ妨げないよう気を付けてくれているのが分かるように取り扱ってくれるが、Aさんは熟睡している私の胸を振るい、「起きて下さい」と言う。それから外れた線をコンセントに繋ぎ、静かにしてくださいと厳しく注意する。この深夜の対応の違いに看護師さんの性格の違いを感じたものだ。この心電図を取る装置を付けたままいることの鬱陶しさが心に沁みた。十日ほどの鬱陶しさだった。この装置を外した時の爽快感はなかった。
 脳梗塞・視野欠損という病にはこれといった身体的苦痛があるわけではない。ただ右の隅に暗点があるというだけである。痛いとか、苦しいという身体的なものがない。ただ人の話を注意深く聞くことに苦しさのようなものを感じるようになった。これが今までと大きく違うことであった。自分が話すことはできる。がしかし、人の話を聞くのが辛くなった。特に興味関心のないことの話を聞くことが辛い。このようなことを感じるようになったのは、脳梗塞・視野欠損という病を得てからだ。