醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1356号   白井一道   

2020-03-17 10:09:55 | 随筆・小説



   
 徒然草第180段 さぎちやうは



原文
  さぎちやうは、正月(むつき)に打ちたる毬杖(ぎちやう)を、真言院より神泉苑(しんぜんゑん)へ出して、焼き上ぐるなり。「法成就(ほふじやうじゆ)の池にこそ」とはやすは、神泉苑の池をいふなり。

現代語訳
 さぎちやうは、正月に毬(まり)打ちをして遊んだ杖を真言院より神泉苑(しんぜんゑん)へ持ち出し、焼き上げることをいう。「法成就(ほふじやうじゆ)の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池のことを言っているのである。

 我が闘病記10   白井一道
 退院の日が決まると病院内のリハビリ室に通うようになった。介護士さんが病室まで迎えに来た。病室備え付けの車椅子に乗せられて二階フロアまでエレベーターに乗り、向かう。充分一人で歩いて行ける所であっても来るの椅子に乗せられて行った。30分ほど、リハビリを受ける。リハビリといっても小学生低学年の生徒が受けるような内容の事の記憶力を確かめるようなものであった。並べてある積木をぐちゃぐちゃにして、また元通りに並べることができるかどうかを確認するようなものであった。この指導をしてくれた人は作業療法士という資格を持った女性であった。このような作業療法を受ける前に血圧を測られる。終わるとまた血圧を測られる。作業療法が終わると今度は真っすぐ歩く訓練である。真っすぐ歩けることが確認できると片足立ちができるかどうかを確認し、何秒間できるかを調べられた。階段の上り降りができるかどうかを確認された。このリハビリ室で小学生の男の子がジグザク歩きをしている姿を見た。その姿を見て、私は女性の理学療法士に「あの子は何の訓練をしているの」と聞くと「一切他人が何をしているのかについてはお答えできません」と、ぴしゃりと断られてしまった。それ以来、私は自分のリハビリ以外の時間は目を閉じることにした。私が目を閉じていると療法士の女性が「何か具合が悪いのですか」と尋ねられた。「否、目に入るものに興味を持ってはいけないかと思って目をとじているんです」と、言うと「そうなんです。私たち、他の療法を受けている人については何も話すことができないんです」と弁明していた。
 リハビリ室に通い始めて三日目の事だ。およそ30分間に4回、血圧を測られた。その度に強く腕を締め付けられる。こんなに何回も腕を強く締め付けられることに抵抗を感じた私は血圧を測るのを止めてくれと頼んだ。すると「これは決められていることです」と、厳しく言われた。「そうですか。それでは医師に辞めさせるよう言っておきましょう」と私は言った。険しい顔つきになった理学療法士は、それ以来笑顔を見せることはなかった。医者にこの事を話すと医者は療法士と話して解決してくださいと言われた。強く腕を締め付ける血圧測定は以後も最後まで続いた。
 リハビリが終わると療法士が介護士に連絡してくれ、介護士が車椅子に私を乗せて病室まで運んでくれる。車椅子に乗る快適さを感じる一瞬であった。充分歩いて行けるところを車椅子に乗せていただき、後ろから押して安全に運ばれていく。なんとなく、豊かな気分を味わったものだ。
 総合病院にはいろいろな職種の人が働いている。それぞれ職種によって服装が違う。リハビリ室にいる療法士は皆、男も女も同じ服装をしている。それは看護師の同様だ。男の看護師も女の看護師も同じ服装だ。昔の看護婦さんは皆白いストッキングに白い服を着ていたが市立医療センターの看護師さんたちは皆、ズボンを穿き、色付きのシャツを着ていた。特に男女の違いはなかった。病院内にあっては、男女の別より職種の違いが優先された服装になっていた。服装によって薬剤師、技師、看護師、介護士、療法士などいろいろな職種の人が服装によって識別されていた。更に、一週間に一度、シーツ、上掛けの布団のカバーを変えに来る。二人の中年女性がやって来る。その方々の服装も決まっている。患者の服装も一週間に一度、変えてもらえる。シャツとズボン、患者は皆同じ服装をしている。服装によって何をしている人なのかが可視化されているところが病院という所だった。
ただ医師だけは服装が自由のようだった。日曜日に出勤してきた女性の医師はジーパンを穿き、ピンクのシャツを着ていた。その姿でパソコンを見て、仕事をしていた。誰からも指示されることなく、働いているのが医師であった。