徒然草172段 若き時は
原文
若き時は、血気内に余り、心物に動きて、情欲多し。身を危(あやぶ)めて、砕(くだ)け易(やす)き事、珠(たま)を走らしむるに似たり。美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔(こけ)の袂(たもと)に窶(やつ)れ、勇(いさ)める心盛(さか)りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨(うらや)み、好む所日々に定まらず、色に耽(ふけ)り、情にめで、行ひを潔(いさぎよ)くして、百年の身を誤り、命を失へる例(ためし)願はしくして、身の全く、久しからん事をば思はず、好ける方に心ひきて、永き世語りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわざなり。
老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎(おろそ)かにして、感じ動く所なし。心自ら静かなれば、無益のわざを為さず、身を助けて愁なく、人の煩(わづら)ひなからん事を思ふ。老いて、智(ち)の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。
現代語訳
若い時は血気が体に満ち、物の動きに心が反応し、情欲が強い。身を危険にさらし、砕けやすいことは、珠(たま)に勢いを付けて転がすことに似ている。綺麗な人に好んでお金を使い果たし、みすぼらしい姿となり、出家・遁世してみたり、はやる心が意気盛んで人とものを争い、心に恥じ羨み、好むことが日々変わり定まることがなく、好色に耽り、情愛にのめり込み、思い切りの良いことを行い、将来のある身を台無しにし、百年の身を誤り、命を失う例(ためし)に憧れ、身を全く、永らえることを考えず、好き勝手なことをしたことが、長い世間話ともなる。身を誤ることは若気の至りなのだ。
老いてしまった人は精神が衰え、時間が薄く淡く流れ、感動することもない。心が平穏静かであるから無駄な事はしないし、身の安全を守り愁うこともないし、人も患うことがないことを思うようになる。老いて知力が若い時より勝る事は、若かった時の姿形が老いた時より勝っているかのごとくだ。
我が闘病記3 白井一道
脳梗塞という病を得て、私は我慢に耐える力が弱くなった。私のベッドの向かい側に新しい入院患者が入って来た。一日中、ベッドの中にいる。一日の大半を寝ている。年のころは80前後かなと私は感じていた。病院の夕食時間は早い。午後5時には配膳され、5時半には看護師さんが膳の回収にくる。私が入院していた病棟は五階、血液の病を持った患者たちが入院していた。脳梗塞は血液の病だとこの病院では区分していた。この区分が普遍的なものなのかどうかを私は知らない。私のベッドの反対側の患者さんが私と同様脳梗塞の患者さんなのかどうかを私は知らない。確かに私と同様に点滴はしている。この点滴薬が血液をサラサラにするものなのかどうかを私は知らない。自らの力でベッドから起き上がる事をしない患者さんであった。夕食が済み、夕日が沈み、窓から見える景色が暗くなってきた。私たちのベッドは窓際にあった。私はカーテンを閉めた。その時私は私のベットの反対側のベット際の窓にかかるカーテンも閉めた。その時だった。寝たままの患者さんが「ありがとうございます」と発言した。「これから病院の夜は長いですからね」と私が言うと「そうですね」と、弱々しい声で言った。「私は今まで一人部屋にいたんですよ。いろいろ事情がありましてね。こちらが空いたものですから、移してもらったんですよ」と私が聞きもしないことを話し始めた。「そうですか」と私が返事をすると長々と話し始める。この寝たきりの患者さんの話を聞くことの辛さが耐え難くなってきた。このような経験は初めてのことであった。
脳梗塞を患うと人の話を聞く能力が低下するのかなと思い始めていた。脳内の血液の循環が低下し、体に異常が起きてくるのが脳梗塞や心筋梗塞という病のようだ。脂肪の塊に妨害されて脳内の血液の循環が滞る病が脳梗塞というもののようだ。
四十代の女性の医者が私のベッド際に来て、カルテを見て話し始めた。「あなたはコレステロール値が高いわね。今までどのような食事をしていたの。脂っこいものを長い間食べているとこのような結果になるのよ。まず体重を減らすことね。退院したら、まず歩くことね。今までのような乱れた食事をしていると大変なことになるわよ」とにべもない言葉である。私の娘世代の医者にボロン糞に言われてしまった。この医者には老人に対する優しさが微塵もない。可愛い顔をしているだけ私には憎らしかった。