醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1366号   白井一道

2020-03-29 11:39:56 | 随筆・小説


   
 徒然草第190段妻といふものこそ



原文
 妻(め)といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも独り住(ず)みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰がしが婿(むこ)に成りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据(す)ゑて、相住(あいす)む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。殊(こと)なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟(いや)しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内を行ひ治めたる女、いと口惜(くちを)し。子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。
 いかなる女なりとも、明暮添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、珍らしかりぬべし。

現代語訳
 妻と言うものを男は持ってはならないものであろう。「いつも独り住まいで」などと聞く事ほど快いことはない。「誰々が婿になった」とも、また「これこれという女を連れ込み一緒に住んでいる」などと聞くと、やたらに見劣りさせられてしまう。特に優れたところもない女を良いなと思い決めた上で連れ添っているのだろうと、曲がりなりにも思われ、良い女ならば、それをかわいがり護り本尊のように大切にしているのであろう。まず、その程度のことなのでろうと思われる。更に家をきちんと取り仕切っている女ほどくだらないものはない。子供が生れ、大事に育てているのを見ると嫌になる。男が亡くなった後、尼になり年寄になるありさまを見ると興ざめするものだ。
 どのような女であっても朝晩添い合ってみるとやたらに気に食わなくなり、嫌になるであろう。女にとっても、夫には嫌わるし、別れることもできずに、どっちつかずになるであろう。別居のままで、時々女のもとに通い、泊まるということが長い年月を経ても切れることのない仲というものだ。ふいに男がやって来て泊っていくということほど、新鮮なものはなかろう。

 男と女の在り方について  白井一道
 兼好法師が生きた時代は13世紀末から14世紀前半である。鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の動乱の時代を経て、室町幕府が成立していく時代を兼好法師は生きた。この時代の男女関係はいかなるものであったのかということが分からなければ、兼好法師の主張の意味が分からない。兼好法師は妻問婚が良いと主張している。がしかし、時代は妻の元に夫が通う社会から夫婦同居の社会へと変わろうとしていた。そのような時代背景の中で兼好法師は従来からの妻問婚の在り方が男女の新鮮な関係が持続するのではないかと主張している。夫婦同居の一夫一妻制に男女関係が生成する時代にあって、兼好法師は保守的な男女関係の在り方を主張している。
 いつの時代にあっても保守的な人の主張は男のわがままを肯定的に受け入れる主張をする。女性の立場に立って主張することがない。相対的に男は女に対して有利である状況がある。現代にあっても基本的に男は女に対して有利な状況がある。その男の有利さが少しずつ失われていく状況が現在のようだ。社会は完全な男女平等が実現するように変わり続けて行く。その動きを止めることはできない。今の時代は、いや、兼好法師の頃から「男はつらいよ」の時代が続き、それは完全な男女平等が実現するまで続くのであろう。その間、男女の違いを主張することによって区別されることが差別に変わっていくことが絶えず起きて来ては問題となり、是正されていくことが繰り返されていくことであろう。
 最近、航空会社に勤務する客室乗務員の服装規定について、国会で質問する議員のビデオを見た。女性職員にのみ、パンプス着用を義務付ける服務規定は憲法の男女平等の原則に反するものではないかと野党議員が政府を追及していた。制服というものは人を区別するものであり、着ることを強制する。生徒に決まった体操服を指定する。高校生に制服の着用を強制する。女性にスカートを穿くことを強制する。これは生徒を、女性を区別するものであると同時にこの区別は差別へと変わっていく。絶えず上にいる人間は下にいる人間を区別したがる。この区別は絶えず差別へと変わっていく。

醸楽庵だより   1365号   白井一道

2020-03-29 11:39:56 | 随筆・小説



   
 徒然草第189段今日はその事をなさんと思へど



原文
 今日(けふ)はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛(まぎ)れ暮し、待つ人は障(さは)りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩(わずら)はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予(かね)て思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もしかなり。
予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。不定(ふぢやう)と心得ぬるのみ、実にて違はず。

現代語訳
 今日はその事をしようと思っていたけれど、思いもしなかった急ぎの用事に紛れてしまい、日が暮れてしまった。待っていた人は事情があって来てもらえず、用事の頼めない人がやって来た。頼みにしていた事とは違って、思いもよらぬ事ばかリがかなう。煩わしく思っていたことは特に問題もなく、簡単な事と思っていた事が心苦しい。日々、月日の過ぎ行くさまは、かねて思っていた事のようではない。一年もまたこのようなものだ。人の一生もまた同じようなものだ。
 かねて思っていたことのあらましは皆違っているのかと思っていたが、間違いなく違わないこともあるということは、いよいよ物事いうものは定め難いものだ。定まったものはないという事を心得る事だけが真実のようだ。


 我が闘病記19  白井一道
 早朝歩き始めて行き交う人の数の多さに驚いた。2、30人ぐらいのものだろうと思っていたが、数え始めた。およそ一時間、7000歩のウォーキングで行き交う人の数が100人を超えたことにびっくりした。数えてみると人の数の多さに驚いていた。五月、この季節がこの人の数の多さだったのかもしれない。女性と男性、どちらが多いのだろうと注意しているとやや女性の数が多いことに気付いた。特に老齢の女性が多いことに気が付いた。中には腰の曲がった女性が杖をもつかずに歩いている。行き交ったとき、私は「お元気ですね」と声をかけた。「歩かないと、腰が痛くなるんですよ。歩かないと駄目ですよ。歩くことです」と話し始める。いつ終わるのかと私は心配になった。立ち止まって話しかけたことを私は後悔していた。いつまで続くのだろう。心配になった私は「そうですか。失礼します」と言うと足早に彼女から離れ、歩き始めた。腰の曲がった老女が歩いているのは彼女だけである。きっと厳しい農作業、寒い西風の吹く中、だだぴろい耕地の草取りを一日中、若かったころはしていたのかなと想像した。私が子供だった頃は腰の曲がった老人をよく見かけたものだが、最近はほとんど見かけることのない腰の曲がった老婦人が一人、誰の助けもなく歩いている姿に人間の生きる力のようなものを感じていた。歩いている歩数は一万歩をもしかしたら越えているのかもしれない。
私が歩き始めたころはおよそ7000歩ほどだった。徐々に歩く距離を少しずつ伸ばして私の歩く歩数は一万一千五百歩になった。これ以上歩こうと思ったこともないし、歩いたこともない。私は一万一千歩で満足していた。腰を曲げ、歩いている老夫人から元気を頂き、私は気持ちよく歩いていた。ある時偶然、一緒に歩いた人がいた。彼は一万歩歩くのは大変だと言っていた。なかなか一万歩は歩けないとも言っていた。暑くて暑くて歩けないとも言っていた。しかし継続することが大事なんだよねと、言っていた。一万歩歩けなくとも毎日飽きることなく、八〇〇〇歩ぐらいであっても歩いていることが大事なんだとも言っていた。彼のような人がいる一方、朝も夕方も歩いている。朝も夕方も一万歩以上、二万歩以上歩いていると豪語した人もいる。彼は長い髪の毛にパーマをかけ、色とりどりのシャツを着て歩いていた。私は彼らとの挨拶に元気をもらい、歩いていた。歩いている最中は自分が脳梗塞を患った病人であることを意識することはなかった。確かに視野欠損しているのかどうか、意識することもなかった。ただ右目の右隅が暗くなってはいるが日常生活に不便することはなかった。歩くと元気になるような気持ちになっていた。歩くことが生きることのような気持ちになっていた。歩きながら古利根川の川沿いに俳句の句碑が立っていることに気が付いた。どのような句が詠まれているか気になりだした。