徒然草第178段 或所の侍ども
原文
或所の侍(さぶらひ)ども、内侍所(ないしどころ)の御神楽(みかぐら)を見て、人に語るとて、「宝剣をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、内なる女房の中に、「別殿(べつでん)の行幸(ぎやうがう)には、昼御座(ひのござ)の御剣(ぎよけん)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にくかりき。その人、古き典侍(ないしのすけ)なりけるとかや。
現代語訳
ある高貴な身分の方の邸に仕える家人どもが宮中にある三種の神器を納める内侍所(ないしどころ)の御神楽(みかぐら)を見て、人に「宝剣を或る人が持っていた」などと言うのを聞いて、宮中に仕える女房の一人が「清涼殿から別の殿舎に陛下が行かれる時は昼の御座の御剣(ぎよけん)を持っていかれる」と、小声でそっと言われたことは、心憎い発言であった。その方は、昔宮中に仕えておられた方であったとか。
我が闘病記8 白井一道
深夜、トイレに起き、用を済ませて病室に戻ろうとしたとき、何の気もなしに振り替えると看護師のSさんがナースセンターで一人、ツクネンとしている。私は何となくナースセンターに向かって歩き出した。Sさんは私を見つけると「寝られないんですか」と聞いて来た。「否、今トイレに起きたんです。Sさんがつまらなそうにしているから、なんとなくSさんに吸い寄せられてきてしまったんですよ」。「白井さんのデータが見られますよ」とSさんが言う。「ナースセンターに入ってもいいですか」。Sは黙って頭を振り、頷いた。「これが今、私が胸に付けている心電図を測るデータなんですか」。「そうですよ」とSさんは言った。同じような波形を次々と描いては消えていく動きが心臓の動きなのかとSさんと一緒に眺めていた。
「夜勤の時はこのフロアにSさん一人きりになるの」。「そうよ。東は私一人よ」。「西側にも一人、看護師さんがいるけどね」。「三人で交代して仮眠を取るのよ。三時間づつね。私はいつも最初なのよ。だからいつも寝られず、起きてしまうのよ」と愚痴った。午後9から三時間が最初に仮眠する人。次の人が午前0時から3時まで、最後の人が午前3時から午前5時までのようだ。私はいつも最初だから寝不足なのよと愚痴っていた。
看護師さんの勤務は激務だ。私の入院期間にゴールデンウィークが挟まっていた。去年のゴールデンウィークは10連休が評判だったが、市立病院であるにもかかわらず、立派な市立病院の看護師さんでありながら、10連休とは無関係であった。10連休のゴールデンウィークだと浮き浮きしている若い看護師さんは一人もいなかった。私たちはシフト制だから無関係だわと冷ややかであった。医者は全員出勤日が1日あったようだ。だから医者は5連休と4連休のゴールデンウィークだった。勿論、病院には入院患者がいる以上、当然給食の配膳は滞ることなく行われた。給食は外注だった。車に乗せ、保温した手押し車に乗せ、一人一人病人が違えば、給食内容が一人一人違ったものを配膳してくれた。市立医療センターに給食を配膳する会社に勤める従業員には10連休のゴールデンウィークは無関係なことであった。病院の給食は患者の病状によって一人一人違っている。私の給食には脂質異常症という札の付いた給食であった。他人の給食の配膳されたものを見る機会はなかったが、一度だけ見たことがある。そこには脂質異常、糖尿とあった。その札を見て、内心安心する自分がいることを自覚した。このさもしさに自己嫌悪を覚えながら、どうにもならない自分と向き合っていた。ゴールデンウィーク中の病院は静かだった。ナースセンターにいつもいる医者が一人もいなかった。医者たちがいつもパソコンを向かい合っているコーナーが閑散としていた。看護師も一人、忙しく動き回っていた。そんな時だった、看護師のSさんが言った。「白井さん、お風呂に入る?」と聞いて来たのだ。「もちろん、入りたい」と言うと「午後2時からどうかしら」と言った。私は直ちに了承した。時計を見るとまだ一時間ほど時間がある。私は午後1時半になると30分ほどまだ間があったが、風呂場に誰も入っていないのを確認すると看護師さんに断ることなく、自主判断し、入浴した。湯舟があるわけではない。ただ体を洗うだけのシャワーに過ぎないが、体がさっぱりした。これが私にとっての入院中のゴールデンな日となった。