醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1358号   白井一道

2020-03-19 11:51:06 | 随筆・小説


徒然草第182段 四条大納言隆親卿



原文
 四条大納言隆親卿、乾鮭と言ふものを供御に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参る様あらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、参らぬ事にてあらんにこそあれ、鮭の白乾し、何条事かあらん。鮎の白乾しは参らぬかは」と申されけり。

現代語訳
 四条大納言隆親卿は、乾鮭を天皇のご膳にお出ししたところ、「このような下品なものを天皇のご膳にお出しするものではない」と人に話しているのを聞いて、大納言は「鮭という魚はお出ししてはならないものではなく、鮎の白乾ししたものなど、天皇のご膳に出せないものなのだろうか」と申された。

 わが闘病記12  白井一道
 会計に行く前にお金を下ろさなくてはならない。下にコンビニがあると聞いていた。私はてっきり病院の外にあるものとばかり思っていた。病院の外に出て余りの光に目が眩むようだった。このような光を初めて味わう気分だった。病院の外に出てみてもどこにもコンビニを見つけることができない。二、三分のことだったが、私にはとても長い時間のように感じられた。止む無く私は病院に戻り、妻の友人にコンビニはどこにあるのかなと、聞いてみた。妻の友人は私を誘い、病院内のコンビニに案内してくれた。私はコンビニの中に入り、現金を引き出す機械の前に来て、私にはできるだろうかという不安が起きた。このような不安を今まで感じた事はないにもかかわらず、私は胸がドキドキしている。これはどうしたことだ。決断してカードを差し入れ、金額を入力し、引き出しの決定ボタンを押した。お金が吐き出されてきた。できた。良かった。現実社会の営みに付いて行くことが結構大変な事なのだということを噛みしめていた。私はお金を持って会計に行き、入院費用を支払った。会計課の職員が二か月以内にまた入院するようになった場合は、このカードをお持ち下さいと言われた。この会計課の職員の発言に私は不安を覚えた。脳梗塞は再発しやすい病なのだ。再発する人が数多くいるということなのだと、私は自覚した。この事を妻には言わなかったが私は一人恐れていた。妻の友人が運転する車に妻と一緒に乗せていただき、自宅に帰った。
 四十年以上、住み慣れた自宅の天井が低いのに改めて感じた。今まで自宅の天井がこれほど低いと感じたことがないにもかかわらず、天井は低く、部屋の狭さが身に沁みた。この家の部屋の天井の高さは私が大工さんと話し合い決めたものだ。普通より20センチほど高くしてもらっているはずである。にもかかわらず部屋の天井が低く感じる。この部屋は十畳間である。にもかかわらず部屋が狭く感じられる。人間の感覚というものは病院で感覚していたものと自宅で感じるものとの落差というものがあるのだと自分を納得させた。
 台所の食卓に妻と妻の友人、私が座り、お茶を飲んだ。妻が言った。「Nさんにお礼してよ。本当にあんたが入院していた間、いろいろお世話になったのよ。Nさんがいなかったら、私一人でこの家にいることはできなかったわ」と言った。妻は腰痛持ちである。一人で生ゴミ出しに行くことができない。買い物にも行けない。一人で風呂に入ることもできない。買い物は生協の宅配に頼っている。生ゴミ出しはシルバーセンターにお願いしたということのようだ。自立した生活が不可能になっている。私が入院すると他人の助けなしには生活が成り立たない状況だ。私たちには子供がいない。私たちが若かったころ、妻は不妊治療で入院治療を受けたことがある。私も男子不妊治療として市立病院の泌尿器科に通ったことがある。看護婦さんからここにトイレで精液を採って来て下さいといわれたことがある。当時三十代であった私は病院のトイレの中で一人、マスタベーションする侘しさを味わった。精液を医者の所に持っていくと医者は顕微鏡をのぞき込み、数を数え始める。「いるいる。君、子供を産む能力があるよ」と言われた。それ以来、私は泌尿器科に通うのを止めた。妻は東京の有名な大病院に通い、不妊治療を受けていた。しかし、妻の方にもこれといった理由はなく、妊娠できない理由があるわけではなかった。岳父の協力も得て、遠くの不妊治療専門の病院に妻は入院し、治療を受けたことがある。それでもとうとう妻は妊娠することはなかった。妻もまた、妊娠しない身体的理由はないという結論だった。つまり相性が悪いということで妻は納得した。私も特に何が何でもという気持ちはなかった。