醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1396号   白井一道

2020-05-01 10:30:30 | 随筆・小説



   
 徒然草第222段 竹谷乗願房



原文
  竹谷乗願房(たけだにのじようがんぼう)、東二乗院(とうにでうのいん)へ参られたりけるに、「亡者(もうじや)の追善には、何事か勝利多き」と尋ねさせ給ひければ、「光明真言(くわうみやうしんごん)・宝篋印陀羅尼(ほうけういんだらに)」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ」と申しければ、「我が宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名を追福(ついぶく)に修して巨益(こやく)あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経の確かなるにつきて、この真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。

現代語訳
 竹谷乗願房(たけだにのじようがんぼう)が東二乗院(とうにでうのいん)に参られた折、「故人の冥福を祈ることはどのようなご利益があるのか」と尋ねられたので「光明真言(くわうみやうしんごん)と宝篋印陀羅尼(ほうけういんだらに)です」とおっしゃると弟子どもが「なぜこのようにいわれたのですか。念仏に勝ることはないということなどをなぜおっしゃられなかったのですか」というと「我が宗であれば、そのように申し上げたかったけれども、阿弥陀仏の名号を唱えて故人の追善にご利益があると説明している経文が見当たらないので、どの経文にあるのかと重ねて聞かれることがあったら、どのように申したものかと思い、典拠の確かな本経である光明真言(くわうみやうしんごん)と宝篋印陀羅尼(ほうけういんだらに)を申し上げた」とおっしゃられた。

 念仏とは   白井一道
称名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行として捉える場合と、非行として捉える場合がある。
 日本においては、「称名念仏」が平安時代末期には主流を占め、名号を称える道を歩めば、末法の濁世でも世尊の教えを理解できると説かれ、浄土教の根幹をなす。また名号の中でも「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏が中心となる。そのような動き中で鎌倉時代中期には一遍などにより、より具体的に歓喜のこころを身振りや動作の上に表そうと「踊り念仏」が派生する。
この「称名念仏」を純粋な形で人間生存の根底にすえ生きる力を求めたのは、良忍の融通念仏であり、さらに法然や親鸞の教えであった。
『佛説無量寿経』には、阿弥陀仏に現世で救われて「南無阿弥陀仏」と念仏を称える(称名)身になれば、阿弥陀仏の浄土(極楽浄土)へ往って、阿弥陀仏の元で諸仏として生まれることができると説かれている。その故は、法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が、48の誓願「四十八願」を建立する。その「第十八願」(=本願)に 「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法」とある。意訳 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」 と誓う。そしてすべての願が成就し、阿弥陀仏に成ったと説かれていることによる。
法然は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、「南無阿弥陀仏」をひたすら称える「専修念仏」の教えを説いた。後に法然は、浄土宗の開祖と定められる。法然の説く念仏は、阿弥陀仏の本願(第十八願『念仏往生の願』)を信じて「南無阿弥陀仏」と仏の御名を称えれば、善人、悪人、老若男女、貧富の別なく、すべての衆生を救うと誓われた阿弥陀仏によって、臨終には阿弥陀仏をはじめ観音菩薩、勢至菩薩や極楽の聖衆が来迎(らいこう)し、極楽浄土へ迎え入れ、彼の地に往生することが出来ると説いた。また、この阿弥陀仏の選択本願の念仏は、臨終間際の悪人が善知識の勧めによってただの一遍称えただけでも救われると説く一方で、念仏の教えを信じる人は平生(普段から)より一生涯念仏を称え続けることが、阿弥陀仏の本願であると説く。