醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1404号   白井一道

2020-05-09 10:14:41 | 随筆・小説



   
 徒然草第228段 千本の釈迦念仏は



原文
 千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人(によりんしやうにん)、これを始められけり。

現代語訳
 千本の釈迦念仏は文永のころ、如輪上人(によりんしやうにん)が始めたものである。

 釈迦念仏とは     白井一道
釈迦念仏とは称名念仏(しょうみょうねんぶつ)のことである。千本釈迦堂とは瑞応山(ずいおうざん)大報恩寺をいう。
称名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行として捉える場合と、非行として捉える場合がある。
初期の仏教では、六隨念や十隨念の第一である「仏隨念」を「念仏」と呼ぶ。
原始経典の「南無仏」のように口称念仏として仏の名を呼ぶことによって、仏を具体的に感得しようとする信者たちの願いが生じる。常に信者たちの実践と結びついていたのは「阿弥陀仏への念仏」であった。
『般舟三昧経』では、諸仏現前三昧の代表として阿弥陀仏の念仏が説かれ、これが天台宗の常行三昧のよりどころとなる。
中国では、念仏の流れとして慧遠の白蓮社の観想念仏、善導による称名念仏、慧日による慈愍流の禅観的念仏の三流が盛んになる。このように阿弥陀仏の念仏については、おおむね3つの形態がある。
日本においては、「称名念仏」が平安時代末期には主流を占め、名号を称える道を歩めば、末法の濁世でも世尊の教えを理解できると説かれ、浄土教の根幹をなす。また名号の中でも「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏が中心となる。そのような動き中で鎌倉時代中期には一遍などにより、より具体的に歓喜のこころを身振りや動作の上に表そうと「踊り念仏」が派生する。
この「称名念仏」を純粋な形で人間生存の根底にすえ生きる力を求めたのは、良忍の融通念仏であり、さらに法然や親鸞の教えであった。
『佛説無量寿経』には、阿弥陀仏に現世で救われて「南無阿弥陀仏」と念仏を称える(称名)身になれば、阿弥陀仏の浄土(極楽浄土)へ往って、阿弥陀仏の元で諸仏として生まれることができると説かれている。
その故は、法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が、48の誓願「四十八願」を建立する。その「第十八願」
「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法」
意訳 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」と誓う。そしてすべての願が成就し、阿弥陀仏に成ったと説かれていることによる。
法然平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、「南無阿弥陀仏」をひたすら称える「専修念仏」の教えを説いた。後に法然は、浄土宗の開祖と定められる。法然の説く念仏は、阿弥陀仏の本願(第十八願『念仏往生の願』)を信じて「南無阿弥陀仏」と仏の御名を称えれば、善人、悪人、老若男女、貧富の別なく、すべての衆生を救うと誓われた阿弥陀仏によって、臨終には阿弥陀仏をはじめ観音菩薩、勢至菩薩や極楽の聖衆が来迎(らいこう)し、極楽浄土へ迎え入れ、彼の地に往生することが出来ると説いた。
また、この阿弥陀仏の選択本願の念仏は、臨終間際の悪人が善知識の勧めによってただの一遍称えただけでも救われると説く一方で、念仏の教えを信じる人は平生(普段から)より一生涯念仏を称え続けることが、阿弥陀仏の本願に順ずる事であると説き、法然は自らも日に六万遍、七万遍の念仏を称えたと伝えられている。 また、門弟の中に、一念義等の邪義を説くものが出たおりには浅ましき僻事(いつわり)であると、その間違いを世に示した。自らが著した『選択本願念仏集』で阿弥陀仏の選択本願念仏を詳しく説き示し、親鸞などの限られた弟子達にそれを授け、正しい念仏の教えを説いた。
                                             ウィキペディアより